須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

乱酔記

 8時に目が覚めるも起床10時。寝しなは快適であったのに、朝方は気温が上がるにつれて何度も夜具を払いのける。

 快晴。牛乳、紅茶、冷水で第一食。メールチェック。11時から日記を書く。時々、トリの世話。籠から外に出て、クッションの上で腹這いになって眠る老インコ金之助。鳥類というよりもカラフルな色をした亀である。彼なりに工夫をしたというか、あるいは飼い主兼父親に似てラクな方へと流される性格の成せる技なのか、数年前からこの姿勢でのうたた寝を発明して温かな日にはしどけない恰好で熟睡、こちらは見ていて飽きない。ラジオで聞くテレビのワイドショー、昨日安達祐実婚約発表記者会見の由。3時、犬ビスケットと牛乳で第二食。15時現在、晴、21・9℃、北西の風4m/s。湿度51%。結局6時まで日記を書いていた。金にならないことで一日が失われる。ああ、あらかじめ失われた古本屋たちよ。

 『札幌人』の荒井さんよりメール。21日7時から事務所にて飲み会の由。アンデルセンを買ってくれた北海道浦河のお客さんより、「届きました、探していた本でしたので感激してます」のメール。こちらは注文と金さえ戴ければ何の不足もないのだが、こういう感想はやはり嬉しい。女性の客は最後まで対応が丁寧な人が多く、気分がいい。
 トースト2枚と紅茶で第三食を摂取、7時に家を出る。

 7時半、地下鉄大通駅着。<リーブルなにわ>に寄り文芸誌のコーナーへ。『詩学』9月号と『抒情文芸』秋季号を探す。出たばかりの『抒文』はあったが、『詩学』はいくら探しても見当たらなかった。先月末から並んでいた筈なのだが、街に出る用事がなく霊園の陋屋に引き蘢っている間に、売り切れてしまったのかもしれない。それとも、昨年11月、今年の4月、5月(であったか)のように何らかの事情により休刊になってしまったのか。

 とにかく『序文』を開いて目次を確認、投稿欄の詩のコーナーをざーっと眺める。が、猫叉木鯖夫の名前はない。ありゃ?とかすかに落ち込みながら本欄推薦の欄を見るとありました、ありました、猫叉木鯖夫作「蹴球生活」が。はっきり言ってちょこっと自信あったのよ、これ。選者は清水哲男さん。だからいい歳して投稿している。俳句も一句本欄に掲載されていた。「ふわふわとカラスアゲハと海に出る」。うーん、我ながらなかなか。選者は坪内稔典さん。俳句は六句送ったうちもう一、二句、入選欄に掲載されてもいいのではと調子に乗って付け上がるが、まあ、何はともあれ目出たい。この雑誌に投稿をしている間に一度はプロのゲストさんたちと並んで本欄に掲載されたいもんだ、という秘かなる野望を抱いていたのだが、事はそう簡単でなく、俺は駄目なのかな、と考えさせられることも度々であったので、今回の本欄掲載はとても励ましになる。また、なおさら病気が重くもなる、かもしれない。ちなみに投稿詩から本欄への掲載は毎号一人、そしてこの雑誌には昭和の終り頃、小池昌代さんも投稿していたことがある。二段組、三段組ではなく、自分の詩しか印刷されていない頁を眺めるというのは、むふふ、相当に気持よく、愉快である。ここは当然購入すべきところであるが、金がないので今は断念。定価735円。近々余裕ができたら記念として買うとしよう。

 実は「猫叉木鯖夫」は妻の発案になるペンネームなのだが、もう一つ候補があってそれは「須賀馬子(すがのうまこ)」というものであった。高浜虚子とか水原秋桜子とか、男でも子の字の入る俳号の光栄ある伝統を復活させようとの意図があったかどうかは妻から聞いていないが、諸々の事情を鑑みた末、これは採用しなかったのである。

 10分ほどで<リーブル>を後にし、地下街を薄野方面へ歩き、エスカレーターにて地上へ、狸小路に出て<富士メガネ>へ行くがもうシャッターが降りていた。営業時間7時半までの由、今日初めて知った。この店は来札してたまたま通りかかった司馬遼太郎が今日の自分と同じくメガネの調整のために立寄り、その接客マナーと技術にすっかり感心した体験をエッセイに書いたことがある。金がないので、酔っぱらって損壊した、紛失した、などのよんどころない事情がない限り十年に一度ぐらいの割合でしかニュー眼鏡を誂えることはないのであるが、人一倍神経質な自分は、1・5ヶ月に一度ぐらいの頻度で調整に訪れている。貧しい身なりでたびたびやって来ては調整だけして金を使わずに帰る男を、あ、また来たな、と思ってはいるだろうが顔には微塵も出さず、ニコヤカに対応してくれるお店の方々に、毎度悪いな、恥ずかしいな、いづれ余裕できたら10万円の眼鏡10個新調しますから、と心で詫びながらフレームの具合を見て貰っているのである(ま、一生ないだろうな、そういうことは、と、これを書いている横から妻が口を出した)。

 眼鏡調整の予定は狂ったが、取りあえず地下鉄薄野駅へ降り、携帯は当然持っていないので、公衆電話コーナーでダイヤルを回す。「こんにちは、◯◯です。/15日は20時頃ススキノにおります。/携帯090ー◯◯◯◯ー◯◯◯◯ です。/当日、電話お待ちしております。」というメールを一週間前に貰っていたのだ。◯◯氏は道内某地方都市の古本屋さん、新古書店と従来の古書店を折衷したが如き大型店を何軒もやっている。この四半世紀の道内古本業界での風雲児とも呼んで過言でない人物だ。それで自分、本日はモノもあまり食わずに、この夜の宴にすべてをかけて来たという訳なのだ。

 十円玉2枚入れてかけるが留守録モードになっており、すぐ切る。20円が消える。5分ほどして百円玉(10円がもう財布にない)で再びかけてみると今度は繋がった。「・・・、はい」「◯◯さんですか?須賀ですが」「・・・、お。スガ君かぁ。今どこにいる?」「薄野駅です」「<北の御馳走>って知ってるか?あ、そう、知らない?えっと、ここは何処だ?住所、住所・・・」と、声が遠くなり、ガサゴソという何かが擦れるような音がしばし続いた後、「あのな、スガ君、30秒後にまた電話くれ」と云って切れた。声がモーローというか眠そうというか、かなりご酩酊の様子。己が今いる店の住所さえ伝えられないとは、100円が無駄に消えた空しさもあり、自分は何かイヤな予感がした。1分ほどしてまたまた100円玉投入して電話。「お。スガ君。ちょっと待ってくれや。おいこらっ」と誰かを呼ぶような声の後、数秒のガヤガヤという雑音が続き、自分の不安がいや増す頃、「あ、今何処にいます?」というお店の従業員らしき女性の声が出たので、ようやく位置を教えてもらい、受話器置く。さらにまた100円が消える。初めに電話をかけてからすでに10分以上が経過している。

 <北の御馳走>というそのフザケた名前の店をススキノ交番の真裏の通り、駅から徒歩1分の場所に難なく見いだし、なんだ、こんなに近いなら、さっさと迎えに来てくれりゃよかったのに、と思いつつ入ると、店舗は3フロアーに渡ってあり、なんか抜けてるな、ほんとにいるのかな、あのオヤジ、まったく!、と若干の焦燥を感じながら探しまわり、二階の小上がりにようよう◯◯氏の顔を発見した時は、ほっ、としたのである。

 札幌の老舗××堂さんもご一緒。元々がクマさんを思わせる風貌であった◯◯氏、髪や髭に白いモノが混じり、酔ってとろんとした目をしていることもあってか、自分より数歳上なだけである筈なのに、年老いてちょっとしょぼたれたクマさんという雰囲気になっている。自分が席に着くなり、「変らんなあ。顔色いいじゃないか」と云う。「いや、だんだん後退して来てますから」と額示しながら、「顔色いいのは酒飲んでないからだと思いますよ、ずっと。酒ヤケが取れたんですよ」と答える。二人はすでに日本酒と焼酎。自分はまずビール。八年ぶりで酒席を共にする隣のどろーんとした◯◯氏の顔を見ながら、「なんか、昔のような元気がないですね」と述べてみたところ、予期せぬ答えが帰って来た。「いやぁ、Yに死なれて、オレもすっかり参っちまってなぁ。もうガクッて来てなぁ」。

 Yさんというのは◯◯氏の中学だか高校以来の親友。そして長きに渡って池袋の<T書店>店長としてつとに有名であった人。政治家活動に熱心な社長の代わりに店を切り盛りし、内外の文学(中でも幻想文学)、人文思想系、美術本、絶版文庫などの良書をよく揃え、店を繁盛させていたのであるが、この店が評判であったその要因の一つは、わけてもその付け値の高さにあった。

 と、まるで見てきたように書いているが、実は自分、この店に行ったことはない。であるのに何故そんな情報を知っているかと云えば、86年に店を開いてまもなく、東京から仕入れ旅行で来札したせどり通販専門の<潜水夫>なる屋号の古本屋夫婦と酒を飲んだ時、現在の東京古本界の幻想文学におけるプライス・リーダーは、神田の<大塚>、江古田の<O舎>、それに池袋の<T書店>、この三店がある限り幻想文学の値段は下がることはない、と週に何日か、ある美容室で女性達相手に占いをやっているのが本業という、そのマイケル富岡に似た容貌のせどり屋さんが断言するのを聞いたからなのである。ほお〜、はあ〜、へえ〜、と自分は阿呆のように東京古本界の話を聞くばかりであったが、やがて<T書店>が参加していた東武百貨店古書展覧会の目録、それからまた数年して発行された自家目録を見るに及んで、品揃えの見事さもさることながら、その価格の高さに目を瞠った。高い、高い、とあちこちでお客の顰蹙を買っていた須雅屋の販売価格は棚に上げ。

 89年の秋であったろうか。一新会大市に参加するため上京し(この会の大市見学は後にも先にもこれが最後)、<石神井書林>を訪ね、お話を伺い、トイレを使用させていただき(この折のトイレ借用については昨年、『彷書月刊』の受賞式で須雅屋についてのコメントを求められた時に内堀さん、言及されていたから、よほど印象深い出来事であったようだ)、それから石神井さんの運転する自家用車で大田区の△△書房さんを表敬訪問し、お寿司を御馳走になった。ちょうど出たばかりの<東武>古書展のカタログが話題となり、「『ウサギのダンス』が1万だもんねぇ」と石神井さんが慨嘆とも感心ともとれるトーンで語ったのを、酒類を嗜まれないお二人がお茶を飲んでいる脇で、ビールをずうずうしくいただきながら聞いた覚えがある。つまり松浦寿輝の第一詩集、♪ソソラ ソラ ソラ 「ウサギのダンス」ーを詩歌書のオーソリティ石神井書林に先んじて万本に祭り上げていたのが、当時<T書店>店長のYさんその人であったのである。モノによっては思い切った値段を付けるのも、古本屋としての才能の一つであるのだから、これは先見の明があったと申してもよろしかろう。

 その後、営業方針の転換を謀った<T書店>を離れ、長野の<H書店>にしばらく番頭さんとして在籍し、ここでもT書店時代と内容そっくりのY色を全面に打ち出したカタログを発行してみせ、数年前には通販専門の<瑠瑠屋書房>として独立し、これからという時であった。93年秋に釧路で開かれた業者市「オール北海道大市会」には東京からはるばる自転車で来会しているのを知って驚いた。入札を終え、自転車に乗って東京へ向かうYさんを、薫風書林や釧路組合の人たちと一緒に手を振って、変った人だな、と思いながら見送ったもんである。その飄々とした後姿と壮健さの印象が強いので、亡くなったというのは俄には信じ難い。2003年二月末、49歳であった由。

 親友を亡くしてさぞかし辛いことだろう、それは老け込むのも無理はない、と少しく同情の念を抱いてしんみりしていた自分の横で◯◯さん、呼び出しのブザーを押して店のおネエさんを呼びつけ、自分のためにどーんと追加注文をしてくれるのかと思いきや、「アケミ!マリコだったっけ?」などとデタラメな名前を云い、××堂さんの隣に座って酌をしろ、などと命じている。女性が微苦笑うかべながら相手にしないで去ると、今度は臨席の用を聞きに来た店のおニイさんに、「おい、こらっ!カワイイ顔してるけどな、オマエはチンピラに過ぎん」「一本酒をサービスしろ」などと何の正当性もない言いがかりをつけている。二人して数秒、お互いに顔色を伺い合い、張りつめたアトモスフィアになったが、「少々お待ち下さい」と答えてその店員青年が退くに及んで、自分はどっと力が抜けるのを感じた。忍耐の頂点に達した青年がキレて逆上し、「お前等くそオヤジが日本を駄目にしてんだよ。この野郎!こうしてやる!」などと叫びながら刺身の食い残しや酒の載っている卓を今にもこちらに向けてひっくり返しはしないかと、ハラハラしていたのだから。その後すぐに小さめのグラスに一杯、「サービスです」と云いながら青年が本当に酒を持って来たのには、本日何回目かの軽い驚愕を覚え、またヘンなオヤジにからまれた彼を心から気の毒にも思った。

 その後も何が面白いのか自分には微塵も理解できないのであるが、注文もないのにやたらとブザーを押し続け、「サユリだったっけ?あっ!ヒロミか」とワンパターンで先ほどのギャル店員をからかい、かと思うとまた同じ青年に難癖をつけ、再度酒を一杯せしめて、「よし」などと満足げに頷いたりしている。終いには、隣席の後片付けを始めたおネエさん、「ユウコ、いやアヤコ」などと声をかけられても一切こちらを見なくなった。当然の成り行きである。あんたも、古本屋という客商売してんだからこういう客は大迷惑だって分かるでしょ、それとも最近は店頭に出る機会がほとんどないので分かりませんかね。と、内的独白している自分の頭を時々後ろから、意味も無く、ぱたぱた叩いたりする。

 そして、あわよくば今夜、須賀家に宿泊しようと画策していたことが分かり、本日何度目かの驚愕をまた味わいながら、寝る場所はおろか、座るスペースさえないのだ、と慌てて説明し、「お前が寝なければ済むことではないか」と執拗に迫るのをやっとのことで断念させた。すると「情けない。それじゃ、俺は10時半のJRで帰ることにするわ。小さい、キミは実に小さいぞ、スガ君」としょぼたれ熊は嘆いてみせ、自分の肩に手を回し、声を落として「スガ君、キミの●●●を見せてくれ」とまたまた訳の分からないことを云い出したので、「ススキノ交番からオマワリさんが飛んで来るからイヤです」と断ると、「小さい。キミはあまりに小さいぞ、スガ君」と決めつける始末。ええ、ええ、どうせ小せぇですよ。小さくて悪かったですね。ところで、あんたはフザケてるのか、酔っぱらってるのか、それとも頭がボケちまったのか。何にしろ、Yさんに死なれて弱ったと云うから、虚無的な気持で日々を送り、人生を儚んでいるのかと同情したら、とんでもない、云ってることとやってることがまるっきり逆じゃないか。

 この間、向かいに座っていた××堂さんは何も話さなかったのかというと、実にまったくそうなのである。実際、会話にはほとんど加わらずに細い瞳で微笑を浮かべながら、しょぼたれ熊と酒に卑しい阿呆二人が話しながら乱れてゆく様を(主に熊のほうであるが)眺めていたのである。。それぐらい元来が寡黙なお方なのである。例えば酒席でも業者市場でお茶を飲みながらの談笑タイムにおいても、自分はこの人が挨拶以外に、そう、1分以上続けて発語するのを見た覚えがない。その××堂さんが腕時計をちらと見やったのを認めた◯◯氏、「9時か。時間だね。××さん」と云い、「じゃ、行くぞ、スガ君」と自分に声をかけた。行くぞってねあんた、まだ俺は生ビール一杯と酒を一合飲んだだけ、食いもんも焼き鳥四本にあんたたちの食い残しの卵焼きと付き出しのちょこってのを腹に入れただけだよ。同じくあんたから食えと回された食い残しの刺身は、あんたが店員をからかったり、俺の頭を叩いたり、押さえつけたり、下らぬ質問をして来たりで、まだ一切れも食ってねーの。今日は朝からあまり食わないでこの場に臨んだというのに、どうしてくれるんだ。もう、お開きとは、そりゃねーよ。そんな自分の気持も知らずに二人、「今日は私が持ちますから」「いや、××堂さん、俺が払うよ」「いやいや、私に出させて下さい」「そうですか、御馳走になります。すみませんね、××堂さん」と結論を出し、××堂さんが清算に来たおネエさんの方を向いた瞬間、にまぁ〜、と隠しきれぬヨロコビが◯◯氏の顔全体に広がるのを自分は見た。このシミッタレは、ほんとに大型店を何軒も持ってるあのWXYの社長なのかな、と思いつつ。

 店のサンダルで小用済ませて来た自分の前におネエさんが置いた靴を、「スガ君、早く、早く」と蹴っ飛ばす◯◯氏、外へ出たら出たらで、見送りに来たまた違うおネエさんに七十近い××堂さんを示しながら「この人を家まで送って行って、一晩一緒に夜をぶっ飛ばしてくれたまえ」などとまたバカを云って若い店員さんを困らせている。今頃、二階の店員さんたちの間では、ウザイ客だったわね。うん、それにセコいよな、まったく。もう二度と来て欲しくないわ、特にあのオヤジ。というような会話が交わされているに違いない。

 地下鉄で自宅へ帰るという××堂さんと店の入口前で別れ、札幌駅まで見送れと命じるしょぼ熊に付き合ってタクシーに乗る。千円札取り出して受け皿に置き、「3分以内に着いたら、おツリはいらないよ、運転手さん」とまた無理難題をかましている。それにあんたね、万札、いや五千円、せめて二千円札出して云いなよ、そのセリフは。極楽か地獄にいるかは知らないけどさ、死んだ小渕首相も二千円札が初めて役に立ったって喜ぶよ。と、車内でもやたらウルサかったオッサンが一分も経たぬうちに股間押さえて黙り込み、やや間があって「運転手さん、出るわ、出していい?」。「えっ?困ります、困ります。それは」と運転手さん怯える。出していい?ってこいつならやりかねん。あんたな、他人の靴蹴っ飛ばして遊んでないで、さっさとトイレに行くべきでなかったんじゃないの。何処までいっても迷惑な男であることよ。ほんと、ボケてるんとちがう?自分もう、同じ職業であるのが恥ずかしいよ。「あ。あまり急に発車しないで。振動で漏れそうになるわ」と唸りながらおどけた調子で体くねらせて悶えているのが、何処まで本当に堪えているのか測りかねる状態であったのだが、どうやら演技ではなかったらしく、もう1分足らずで札幌駅に辿り着くという場所の信号で停車した途端に、「運転手さん、駄目だ、出るわ、出してくれ」とドア開かせ十数歩歩いて中道の入り際まで行き、何かの工事中の現場を覆う金属製の柵に向かってジョー、ジョーやり出した。これが、長いのなんのって、清算済ませた自分が宍戸錠オダギリジョージョージ川口ジョー山中ジョー・サンプルジョー・ジャクソンジョー・ウォルシュはギターのホテル・カリフォルニアサイボーグ009は白いマフラーの島村ジョー、自転車はおフランスプジョーってこれジョーシキ、ウッドストックの大雨で歌うはカントリー・ジョー、脚の長ーいtonight男はジョージ・チャキリス、親友に女房とられたジョージ・ハリソン創価学会ナンミョーホーレンゲーキョー・ボーイ・ジョージ、赤い手袋日ハムのツヨシ・シンジョー、あしたのジョーにハタ坊だジョー、ジョージョー、ジョージョーって数えながら待っていてもなかなかジョージョー終わらない。しかしこれは決して豪胆な性格の発露などとは呼びたくない。ただの、だらしのないボケオヤジである。

 ようやく終わり札幌駅まで歩き始めると、「スガ君、キミは小さい」とワンパターンのフレーズ、今までジョージョーしていた掌で自分に抱きついて来ようとするもんだから、わ!と飛び上がる。危うく逃れた自分は少し離れて歩くことにした。◯◯氏、相当な量を飲んでいる筈であるが、ふらふら体が揺れるという訳でもなく、先ほどからのフザケた言動の割には足取りが存外しっかりしている。本当にそんなに酔っているのだろうか。と、札幌駅方面からこちらへ向かって歩いて来る制服姿の女子高生二人組に、「よっ!女子高生!」と大声を上げて手を振ってみるが無視され、かと思うと、並んで信号待ちしていたOLらしき二人組の体と体がようやく一人分あるかなきかのスペースに、周囲に自分達四人以外は誰もおらず、空間は無限にあるというのに、肥満した体でわざわざ割り込んでみたり。信号変るや、「わぁーん、キモ〜イ」と唱和しながらギャル二人して走り去って行く。お嬢さんたち、お気持ちはよ〜く分かりますよ。それで自分は◯◯氏からさらに距離をとって歩くことにした。「小さい、スガ君、キミはあまりにも小さすぎる。札幌はオカシイぞ。田舎だよ」オカシイのはあんただ。だが、そういうオカシイ男に付いて来たのは、さっきの店では悪かった、ま、もう一軒行こうじゃないか、と反省した◯◯氏が己の無粋に気づく、とまではゆかなくても、<北の御馳走>ではほとんど話せなかった古本業界の話題を肴に、せめてカンビールの一本、カップ酒の一本なりとも当たるのではないか、という卑しい期待が自分にあったからなのだ。ああ、貧すれば窮す。貧乏はしたくなし。貧困は悪に違いない。

 札幌駅に着くとまだ列車の時間までは一時間もある。改札の前の人だかりの中で「片道切符だけ買って、今月中に遊びに来いよ。宿泊費も帰りの交通費も心配しなくていいから」と誘われるが一旦冷えた気持は動かない。それにいざ遊びに行ったとして、あれ?そんなこと喋ったっけ?と嘯かれたらそれまでだ。さらに「じゃ今日これから来いよ。一緒に列車乗って帰ろう」と、自分の手を取ろうとするから、後ずさり逃れた。すると「スガ君、キミは小さい」がまた始まり、「名前はスガ何だっけ、下のさ」と訊いてきたので「アキマサ」と答え、あ、失敗したな、と思った時には遅かった。「ええ、お集りの皆さん。ここにいるスガアキマサ君は古本屋でありまして・・・」と大きな声で演説を開始したので、逃げるようにして、というよりも、実際足早に逃走。その場を離れて、角を曲がって地下鉄駅への通路に向かった。

 10時、南平岸Maxvalu>にて牛乳1リットル168円、「白鹿酒カップ」200ml100円を買う。酒は『抒情文芸』本欄掲載を自ら祝するため。<セブン・イレブン>で雑誌立ち読みして時間を潰し、10時45分帰宅。毎週恒例の女友達とのデート終え、妻としては珍しくすでに帰っていた。「早かったのね。満足なさいましたの?」と訊くので、「いや、飲めんかった。◯◯さん、行った時にはもう酔っぱらってて」と答える。古本屋の名誉のためにも詳細に話すのは控えることにした。と、いうのはウソ偽りで、一旦誰かに話すと書く気が失せるという己の性分を幾らか知っているため、日記に書くまでは話すまいと考えたというのが本当のところ。シャワー浴びて、ネット徘徊。鮭の刺身、目玉焼き、かぼちゃサラダで酒一合。妻に『抒情文芸』の成果を伝える。「いやぁ、これはワタクシにとっては一つの通過点に過ぎないがね。ははははは」と辻仁成のようなセリフを吐きながら鼻の穴を広げた。

 寝る前に歯を磨いていると、左顎の付け根の辺りがカクッという音と共にかすかに動いたような気がした。口を動かしてみると、なんだか具合がよろしい。二週間前の8月末から噛む度に痛みが走るのは右顎の方であったのだが、その痛みが今のカクッから劇的に軽減したような気がする。あんまり毎日日記に書くのもみっともいいものではないので書き控えていたのであるが、実は毎回食事のために痛く、医者に行かなければ、このまま一生こうなのであろうか、と暗澹とした気分であった。これでこの問題には幾許かの希望の光が見えて来たように思う。ん。日記のネタも拾えたことだし、結果としてなかなか良き一日であった。
 4時半就寝。◯◯氏は無事に家まで辿り着いただろうか。今頃、地下街か狸小路の何処かに、寝そべっていなければよいのだが。