須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

ご案内

◎『北方ジャーナル』2026年9号発売中。
http://hoppojournal.sapolog.com/e507960.html

〇スガの連載「よいどれブンガク夜話」第200夜めは、松本清張『帝銀事件の謎』12――「いつ、どんな機会に『犯人』に仕立上げられるか知れない」であります。長期間身柄を拘束され、世間から遮断されて留置場と取り調べ室の往復のみが続き、連日十時間以上も尋問され、いくら弁明否認しても無実を認めてもらえず、いつまで続くのか終りが見えない状況に絶望した被疑者は、追い詰められ耐えきれなくなり、「私がやりました」と云うに至る。捜査官たちの「証拠なき確信」により、一旦検察側に犯人と見込まれて追及されると、この落とし穴から脱け出るのは困難。平沢貞通の他にも帝銀事件犯人として自白に追い込まれた人物がいたという事実、冤罪により十八年間拘留されていた足利事件(一九九〇)菅谷利和氏の例、自らサリン中毒に倒れながら事件の第一報を警察に通報したが重要参考人として事情聴取を執拗に受け、マスコミによって真犯人であるような印象を日本全国に広められ、翌年元旦の讀賣新聞スクープによりオウム真理教に疑いの目が向けられるまで今にも逮捕されそうな日々が半年間続いた松本サリン事件(一九九四)河野義行氏を例に冤罪事件と自白の心理学ついて、帝銀事件が私達に与えた重要な示唆のひとつは「われわれの個人生活が、いつ、どんな機会に『犯人』に仕立上げられるか知れないという条件の中に棲息している不安」であると述べる清張の「疑問への情熱」に引き入れられながら、ちょこっと書いてます。挿絵は笹木桃氏。雑誌表紙絵は鈴木翁二氏。
『北方ジャーナル』は道内大手書店、セイコーマート、Amazonなどで購入できます。


◎『北方ジャーナル』2026年9月号発売中。
http://hoppojournal.sapolog.com/e507960.html

〇蘇我すが子さんの連載エッセイ「古本屋女房の古本的日常」その152回目は「夏の買い出しミッション」であります。
湿度高過ぎの今年の夏、「からっとした北海道の夏」はもう過去のもの。持病のため買い物は5、6日分まとめてになるため、帰りは大荷物。友人が送ってくれたカートを杖代わりに、ヨイショヨイショとスーパーへと歩むすが子さん。熱中症にも気をつけて、運転手不足による路線縮小の結果、最終時刻が平日でも6時前、土日休日に至っては5時前、スーパーの最終お値引きまで粘れなくさせられてしまったバス時間に気をつけて、カートとエコバックに詰め込めるだけ詰め込んで、しびれかけた脚にむちうって古本屋女房、必死のお買い物行です。
『北方ジャーナル』は道内大手書店、セイコーマート、Amazonなどで購入できます。
http://hoppojournal.sapolog.com/e507960.html



◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第100号(2026年8月29日発行の最新号)に拙句が掲載されております。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に5句と選評が載っています。
「須賀章雅の句は金子兜太の句のオマージュだろう」(外山一機 評)とのご指摘のままの、孤島の裸足のマラソンのジャズの晩夏のさるすべりの愛の鮫の雪の湖の俳句です。
当該号の特集は[特集 全部読む!「風の花冠文庫」] [特集 鬣TATEGAMI・一〇〇号年譜Ⅰ] 。創刊百号記念号。読み応えの堂々168頁。

◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第99号(最新号100号の一つ前の2026年5月30日発行の号)に拙句を載せて頂いておりました。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に4句と選評が載っています。


着ぶくれて猫とわけあう昼の酒
雪割りてウォトカで洗う詩人の墓 
涅槃西風酒なめてねむる猫のひげ 
ただ酔えよ地球の記憶なくすまで 

当該号の特集は[特集第24回鬣TATEGAMI俳句賞] [特集『上田玄全句集』] [特集 句集『燃えるキリン』井口時男] 。「鬣」サイトのバックナンバーコーナーはトップページの左下にあります。「鬣」のサイトからも読めます。太っ腹です。
https://tategaminokai.sakura.ne.jp/


◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第98号(最新号の2026年2月23日発行の号)に拙句が掲載されております。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に4句と選評が載っています。去年今年と地獄とカードと餅と奇術師と餅と雪とゲームと餅と遁走するユキウサギの句です。
https://tategaminokai.sakura.ne.jp/

◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第97号(最新号98号の一つ前の2025年11月23日発行の号)に拙句を載せて頂いておりました。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に5句と選評が載っています。秋と彼岸と母と沼と月天心と母と枯野と父と大時計の句です。
鬣」のサイトからも読めます。太っ腹です。当該号の特集は[アンソロジーの俳句史] 。「鬣」サイトのバックナンバーコーナーはトップページの左下にあります。
https://tategaminokai.sakura.ne.jp/


◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第96号(最新号97号の一つ前の2025年8月22日発行の号)に拙句を載せて頂いておりました。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に4句と選評が載っています。川釣り、缶蹴り、原っぱ、夏休みなど、すべて少年期を詠んだ句です。
「当該号の特集は[江里昭彦の百句を読む] 。

◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第95号(最新号96号の一つ前の2025年5月22
日発行の号)に拙句を載せて頂いておりました。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に6句と選評が載っています。啄木忌やゴム風船など、すべて春の句です。

◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第94号(最新号95号の一つ前の2025年2月22日発行の号)に拙句を載せて頂いておりました。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に6句と選評が載っています。すべて雪の句。


◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第93号(最新号94号の一つ前の2024年11月24日発行の号)に拙句を載せて頂いておりました。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄 選考:外山一機 吉野わとすん)に4句と選評が載ってます。手塚治虫漫画に絡めた俳句であります。


◎俳句誌『鬣TATEGAMI』第92号(2024年8月24日発行)に拙句を載せて頂いておりました。巻末近くの「TATEGAMI集」(投稿欄)に5句と選評が載ってます。鬣ホームページからも読めます。太っ腹です。当該号の特集は「夏石番矢の百句を読む」。

中村さんのこと

 この度直木賞作家となった朝倉かすみさんが平成15(2003)年に「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞創作・評論部門を受賞した回で、佳作に入ったのが中村南の中篇小説「昼の月」だった。

 うろ覚えで書くが、「昼の月」はリヤカーで廃品回収をしている社会の底辺で生きる(実に我が身に沁みるのであるが)中年男二人の共同生活を描いたもの。やがて二人は喧嘩別れをしたのだったか、一人(けっこう意味なく狂暴になる男だったような記憶あり)が出てゆく。しばらくして残った方の男が大通公園を歩いていると、一人の男がボンベを傍らに置いて風船を次々膨らませ、セールストークよろしく声を上げて、風船を売っているのを見る。それは出ていった方の男だった。見上げれば、大通公園に立つ札幌テレビ塔の上に昼の月が出ている、という処で小説が終る。このラストはいいと思った。

 中村南さんは男性で本名は中村伸一。青倫堂という屋号で店舗を開いていた時期もある、私にとっては札幌古本業界の先輩にあたる人だった。小説を書き出す前は詩を書いていた時期が長く、生田四郎という筆名で何冊か詩集を出していたようだ。そのうちの一冊の発行所が青倫堂となっており、著者「あとがき」に「青倫堂の中村伸一氏にはたいへんお世話になった」というようなくだりがあったのを覚えている。

 私が札幌の古書店八文字屋書店の丁稚になった頃は、東区の石狩街道沿いに店舗を出していたが、しばらくして住居を兼ねた物件が北27条西7丁目辺りに見つかり、そこへ移転された。七、八坪ほどの広さで、詩歌もけっこうあったが、質量ともにマニアックに集めている専門店という品揃えではなかった。もちろん文学系も多かったが、住宅街にあるなんでも置いている街の古本屋さんだった。店の外側の佇まいも、中に入っての、しんとした雰囲気も、つげ義春の漫画に出てきそうな古書店だった。

 青倫堂の店の入り口の引き戸の前には紺色の暖簾がいつもかけられていた。私が独立後、すがやの店を手伝ってくれた、古本屋廻りが趣味の北大生が、「あの暖簾をくぐって店に入る時、なんともいえぬ哀愁を感じるんですよね」と話すのを何度か聞いた。

 店に入っても主人が不在のこともあった。数分もすると「やあ」とちょっと恥ずかしそうに中村さんが帳場の奥の、書棚の蔭から出てくる。日課の午睡をされていたらしいのだ。ガツガツというところのおよそない人だったように思う。

 店も静かだったが、ご本人も寡黙で静かな人だった中村さんは美男であった。今は死語なのだろうか、いわゆる「しょうゆ顔」の美男であり、長めの髪に長身痩躯、そして病気がち、「誠」の羽織を着て日本刀を手に、コホコホ咳をして、沖田総司を演じたら似合いそうな人だった。

 私が独立開店した翌年の秋、「すがや通信」と名付けた古書目録を発行し、同業者にも送ったところ、数日後の夜の8時頃、中村さんが電話で注文をくれた。品物は島津亮の句集「唱歌」。「これから取りに行くから」と電話を切って五分ほどすると、爆音を響かせてオートバイが店の前に停まり、中村さんが店に入ってきた。

 バイクといえば、こんなこともあった。弘南堂高木庄一氏のクルマに稲野書店さん、薫風書林佐々木氏と私が乗せてもらって遠征、旭川古書組合のセリ(市会)に参加、会場で出品本を眺めていると、後から中村さん、並樹書店さん、八文字屋さんの三人がそれぞれヘルメットを脇に抱えて入ってきた。お三方とも背丈があるので、そうした姿がよく似合っている。聞けば、あらかじめ三人で示し合わせて、バイクで札幌から走ってきたのだった。セリよりもバイクでのツーリングを楽しむのが目的のようだった。セリが終わって、弘南堂さんのクルマで札幌に向かっていると、すぐ脇をこちらに笑顔をむけて走る三人のバイクが追い抜いて行った。「中年暴走族じゃねえか」と稲野さんがコメントした。まだ北海道らしい夏が失われていなかった時代の、よく晴れた気持のよい日だった。

 たしか二度ほど酒席を共にした記憶があるが、中村さんは酒は嗜むが呑兵衛ではなかった。酒を飲んでも私のように調子に乗って饒舌になることもなく、寡黙で静かな人だった。だが、周りから浮いているという訣ではなく、ご本人もそれなりに楽しんでいる様子だった。

 昭和59年か60年であったろうか、地下鉄すすきの駅上、現在はCOCONOになっている場所にあったヨークマツザカ屋で古書展があった。その古書展の何日目かの営業が終わった後の夜、向かいのビルにあった居酒屋 〈古艪帆来=コロボックル〉で参加古書店による飲み会があった。青倫堂中村さんの他に、北海堂小田さん、稲野書店稲野さん、同店員佐々木くん、八文字屋書店上田さん、同店員須賀、成美堂の店員さん(女性)というメンバーだった。終始和やかで楽しい飲み会であったが、そこで何よりも印象に残っているのが、中村さんの頼んだツマミだった。小上がりのテーブルいっぱいに、刺身だのイカ焼きだの焼鳥だのコロコロステーキだのが並ぶ中で、中村さんが口にするのは酢のものだけだった。豊富なメニューの中で、間をおいてではあるが、酢ダコ、牡蠣酢、ワカメ酢と中村さんが注文した食べ物は酢のものだけだったのだ。それ以来、稲野さんは中村さんを「酢男」と呼ぶようになったものだ。その当時も感じたことだが、時が経った今になっても、中村さんの酒の肴に酢のものというのは絶妙に似合っているように思われてならない。

 昭和63年から平成の初めあたりのことである、苫小牧のイトーヨーカドーで古本市があった。主催する北海堂さんの他に、青倫堂、薫風書林(稲野書店から独立した佐々木氏が開いた店)、すがやに、函館の中古レコード屋さんが参加していた。中村さんと二人で店番を担当した日の帰り、札幌までを中村さんの軽自動車に同乗させてもらった。それが中村さんといっとう長く話をした時だったかもしれない。

 中村さんが詩を書いている人であるのはすでに知っていたし、また、私はできれば詩を書きたくひそかに思っている者であったが、詩や文学の話はしなかった。本の話もしなかった。いつもの古本屋の噂話の他に、話題はもっぱら近々予定されているという中村さんの手術の話だったように思う。寡黙と思いこんでいた中村さんは珍しく積極的に話をした。もうすぐ心臓の手術をするために入院する。心臓を十数秒であったか数十秒であったか、正確な数字は忘れてしまったが、ともかくちょっとの間止める大手術だと云う。中村さんの横で話を聞きながら、躰にメスを入れた経験のない私は実際に胸が痛くなるような、心臓が締め付けられるような感覚に見舞われていた。

 やがて手術は成功したらしいとの話が聞こえてきた。それからしばらくして、住居の移転もあってか、青倫堂は、古書店新規開業者に書棚や設備と在庫一式を居抜きで売られた。中村さんは通販のみの古本屋となったが、次第にセリに顔をみせなくなっていった。

 その後、おそらく、もう小説は書き始めていたのだろう、北大前通り北17条の古書すがやにバーナード・マラマッドの本を探しに現れたことがあった。バイクはもう使わなくなっていたのか、前に同乗させてもらった軽自動車に乗っていた。翻訳文学書に力を入れている店だったのでマラマッドは数冊在庫していたのだが、すがやの値段があまりに高かったせいだろうか、購入はされなかったのだが…。

 

 しばらくして中村さんの小説が雑誌に掲載されたとのニュースが伝わってきた。八文字屋書店の上田さん、北大の工藤正廣先生たちがやっていた同人誌『岳樺=ダケカンバ』に発表した短篇小説が、朝倉かすみ、まさきとしかなどを創作教室で指導した川辺為三の目に留まり、札幌の有力文芸誌『北方文芸』に転載されたというのだ。

 そして20世紀の終りか今世紀の初めあたりの秋、十勝川温泉のホテルで開かれた釧路古書組合のセリに行った時のことである。予約をしておけば、夜には根室や釧路や帯広などの古本屋さんたちの宴会にも参加、そのまま宿泊もできるという、たいへんけっこうな市会である。会が終わって帰札しようと出口に向かっていると中村さんとすれ違った。「あれ?…どうも」「やあ」「もう、セリ終っちゃいましたよ」。優雅だなあ、と羨ましく思った。市会には出ないが宴会には出て宿泊もするらしいのだ。古本の商売よりも釧路古書組合の人々との交流、道東の秋の風景を眺めることが旅の主眼であるらしく、それも中村さんには相応しく思えたものだ。昨今のような殺伐とした古本業界にはめったに見られなくなったタイプの人だった。

 それが生身の中村さんを見た最後であったかもしれない。それから数年して、道新文学賞の佳作を受賞され、私は主にネットでその活動を知ることになる。初めての作品集のカバー袖に掲載された写真の中では、いわゆるロマンスグレーになっても変わらぬ美男ぶりの中村さんがこちらを見ていた。その後も、たまにではあるけれど、ふと中村さんの面差しが浮かび、今は何をされているのか、まだ小説は書いているのだろうか、と思うことがあった。

 数年前に亡くなっていたと聞いたのは最近のことだ。たしか私より十歳の上だった筈だ。すべては後のまつり、悔んでも詮ないことなのだけれど、今にして思えば、もっと話をしてみたい人だった。今度は古本や古本屋の話よりも詩や小説の話を。まだお酒を飲まれていたとしたら浅酌で。

 中村南名義の著書には以下がある。単著には作品集『サイドショー』(2005)、長篇小説『でぃすたんす』(2006)、共著には『utage・宴 北の作家書下ろしアンソロジー vol.1 』(2010)、『utage・宴 北の作家書下ろしアンソロジー vol.2 』(2012)。4冊とも版元は柏艪舎である。その柏艪舎も今はない。

萌黄さん

 最近は二月に亡くなった萌黄書店坂口仁さんの面影がしばしば浮かぶ。

 

 駄法螺吹かず、ハッタリかまさず、たいした中身もないのにやたら己を大きくみせたがる処もなく、生半可な知識の知ったかぶりで何かにつけてインテリぶったり、文化人気どりのカッコつけには無縁の、実直な等身大の人だった。でも本好きで音楽好きでお酒も嗜み、ユーモアも好む、実に味わい深い人だった。

 拙著『貧乏暇あり』が出た時、彼からの奨めで、彼のクルマに乗って市内書店廻りの営業を敢行したのも懐かしい。やや狷介な面もあったかもしれないが、気遣いのある、やさしい人だった。もう若いという年齢ではなかったかもしれないけれど、よき人ははやく死ぬ、と思うこと切。

 まったく間抜けの遅まきながらも、自分にとっての数少ない理解者だったことが今はよくわかる。惜しい人をなくしたことであるよなあ。もう一度、いや二度三度と酒席を囲みたい人だった。

 

「さまよえる古本屋」紹介頂いております。

○御厚情多謝。
☆『図書新聞』に内堀弘さんが連載中のコラム「古書肆の眼」にて、拙著「さまよえる古本屋ーもしくは古本屋症候群」(燃焼社)の収録作「あゝ、雑巾先生」が紹介されました。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3223&syosekino=8656
☆『朝日新聞』北海道版の「BOOKほっかいどう」。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20150611010860001.html
☆『小説すばる』6月号の連載コラム「荻原魚雷の古書古書話」で拙著2冊、『さまよえる古本屋ーーもしくは古本屋症候群』と『貧乏暇ありーー札幌古本屋日記』が紹介されました。(2015/5/17)
紀田順一郎さんのサイト。
http://plus.harenet.ne.jp/~kida/topcontents/news/2015/040501/index.html
林哲夫さんのブログ。
http://sumus2013.exblog.jp/23885551/
岡崎武志さんのブログ。
http://d.hatena.ne.jp/okatake/20150429
☆草木堂書店の横田盛夫さんが北九州古書組合サイトのコラムで。
http://seesaawiki.jp/kosyokitakyu/d/%B8%C5%CB%DC%B2%B0%C3%F8%A4%CE%BF%B7%B4%A9%CB%DC

水曜 交換会と訃報

 午前6時過ぎ就寝。8時45分起床。トースト2枚、バナナ1、カフェオレにて第一食。9時27分、萌黄さんの車に同乗(自分が7分遅刻)。薫風さんは例によって休みだが、息災なりしや。

 車中、1月後半から2月末までの苦しい日々について話す。〈セブンイレブン〉のコーヒー御馳走になる。10時前セリ会場の頓宮神社着。駐車場はすでにいっぱい。『北方ジャーナル』配る。アダノンキさんからチラシ頂く。文学フリマ札幌へのお誘い。7/23の由。じゃんくまうす太田さんと恒例お参り。階段を駆け足で降りている時に太田さん足をつる。トイレに入ると某君が小用足しながらスマホに見入っている。器用なものだなあと感心するが、スマホはたまに除菌しているのだろうか。

 品物は吉成君出品の一口もの、純文、SF、ミステリーなど文芸もの、COMなど、漫画雑誌、建築関係、小樽岩田さん出品の仏語洋書の山など。今日買った人は儲かる。じゃんくさんが落札できなかった文芸雑誌の山も『幻想文学』も6冊ぐらいだか入っており、面白いものだった。ふくろうさんが休みのため、久しぶりに通常市で発声係のピンチヒッターをやる。あっさり、おっとり、ねっとり、ちゃっかり、うっとり、さっぱり、がっかり、と様々な古書店主の顔というか生態が見られるが、1月2月の苦痛の日々を思うと、やっぱりこの場にいられると嬉しいし、楽しいし、ホッとする。最終台の建築関係はいい値段になった。安く買ってやろうというスケベ心のない、思い切った気持のいい札。古本屋の入札姿勢はこうでなければ、と感服もし、勉強にもなる。ただ、この人の札のクセはちょっと掴んだように思う。でも、この数年、いや十数年か、ほとんど入札をしない自分にはこの観察が役に立つ日は来ないと思うけれど。

 セリ終了後、萌黄さんから声がかかり、Dさん出品のボーになった歌集の口から思いかけず『並木凡平全歌集』を頂く。ありがたし。今日来てヨカッタ。萌黄さん落札品の中に浜田省吾の初期のLPがあり、台車で運搬のお手伝い中、エレベターの中で「路地裏の少年」スガ・ヴァージョンを披露。

 午後1時半帰宅。うどん、ナットウ、トースト1、ミニ餡パン1、バナナ1、カフェオレ、ジュース。5時、トースト1、ミニ餡パン1、バナナ1、カフェオレ、紅茶。確定申告計算。8時半、NHK第二「カルチャーラジオ」でマイルス・デヴィス。ベースがマーカス・ミラー時代について。

 プラゴミ投げ。MS入口敷石上の犬メルドに困惑とユーウツ。本日の気温−3・1〜11・0℃。日中は晴。午前1時、蒸し鶏肉、蒸しモヤシと水菜、フカヒレ、蒸しジャガとタマネギ、胡麻食パントースト1、クリームチーズ、熱燗一合、ウィスキーお湯割3杯。

 妻から札幌在住のジャズピアニスト福居良さんの訃報を聞く。夕方に行った歯科医院待合室で見た道新に記事が載っていたと云う。ネット検索してみると15日午後1時前に亡くなっていたと知る。悪性リンパ腫で入院されていた由。67歳という没年は最近他界が伝えられるジャズミュージシャンの中ではずいぶん若い。知人の知人として酒席で(いつも薫風書林佐々木君同席)何度かお会いしただけだが(福居さんには記憶されていなかったと思うけれど)残念なり。オリジナル曲の「メロウドリーム」が好きで、75年に入試で上京した際、渋谷のジャズ喫茶〈音楽館〉でアルバム『メロウドリーム』をリクエストした覚えがある。70年代後半のある年の瀬に東京から伊達に帰郷する前に札幌在住の友人川南宅に遊びに来ていた折、たしかクリスマスの夜だったが、札幌のジャズ喫茶〈ニカ〉で福居良トリオを観た筈だ。82年から札幌に住み、86年に古本屋を開いた後も、自分の知人のOさんが福居さんと昵懇となったことが縁で何度か演奏を聴く機会に恵まれた。薫風佐々木君と一緒にホールで観たコンサートやご自分のお店〈SLOWBOAT〉でのピアノや、三吉神社座敷での「日本酒の会」(という集いが酒屋さんの主催で20数年前ぐらいにあった)でのアコーディオンの演奏などどれもヨカッタのだが、自分としては、ススキノの何処かのビルにあった飲み屋で突然始まった福居さんのピアノ、名前をいま思い出せないが当時在札していた(後に東京に移り実力を知られるようになったのではなかったか)外国人のドラム、元ベーカーショップブギーのボーカルの人(?)が「スタンド・バイ・ミー」を歌った夜のノリノリの楽しい雰囲気が印象深く懐かしい。数年前にAM ラジオで放送していた毎週日曜夜10時ぐらいからの番組「福居良のメロウドリーム」で声を聞き、お元気そうで何よりと思っていたのだが……。惜しい。そしてやはりちょっとサミシイ。

 午前3時半就寝。
 

金曜  キビシイ年

 午後2時前起床。3時現在、晴、−4・8℃、室温9℃。さすがにストーブを作動させる。2004年に購入、一袋残っていた期限が2007年の市販薬を服用。特に異常なし。

 ○○地方の某氏からFAXあり。彼の地のテレビ番組で全国の即席麺を紹介する企画があり、ラーメン評論家2人がベスト1に「利尻昆布ラーメン」を挙げ、試食したスタジオのタレントも皆美味しいと感嘆しているのを観て、ご自身も一度試してみたく思ったが、貴兄は御存知のラーメンなりや?近場では売っていないのですが、という内容。どう解釈すべきなのか。どうかひとつ買って送ってくれまいかと無心されているように読めるのだけれど、やはりこの理解でいいのだろうか。近くのスーパーの売場で見た覚えはないのでネット検索してみると、Amazonなどでも売られており、2ヶ600円ほどというのが一番お手頃の量と価格のようだが、送料が1300円ぐらいもかかるようで、その日の米にもこと欠き、ストーブも一日1時間も着けないようにして室温10℃で過ごしている我が家にはとても無理だ!と思った。

 4時、うどん、ナットウ、冷水、トースト2、バナナ1、アセロラジュース、きな粉ショウガ蜜入りホットミルク、カフェオレ、紅茶にて第一食。一昨年末に妻の友人奈良の植松さんが送ってくれた茨城県ひたちなか市株式会社幸田商店の「黒ごまアーモンドきなこ」(ショウガ蜜も植松さんからの差し入れなのだが)を使いきる。いつかまた巡り逢いたい食べ物なり。

 5時過ぎ、P社のT氏から電話あり、19日火曜からの「開始」となる。ああ、かつて同じ○○○ったIさんは今度で○○目の○○○○○にノミネートされているというのになあ。

 なちぐろ堂大西君から新年会の出欠確認のメールが来ていたので返信を出す。〈大西さま /おめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。新年会は、欠席します。/年末のチカホ古本市手伝いで、伊藤専務理事から「今度の新年会、料理いいからさ、出てよ」と勧められており、その気でいたのですが、用事が入ってしまい、参加できなくなりました。残念です。/午前のセリの方は行く予定ですが、確実に行けるかどうかわかりません。最近は『北方ジャーナル』を配達に行くのが、主たる目的になってしまっている有様です。家が狭いので、たまるとけっこう嵩張りますから。/今年は商売も書く方もいろいろキビシイ年になりそうです。/それでは。〉

 長野県軽井沢町国道18号碓氷バイパスでバス事故。運転手ほか14人死亡。スキーツアーのバスで若者が多いらしい。何年か前にも多数が死亡したバス事故があって小泉政権時代の規制緩和が大元の原因だったが。SMAP独立騒ぎの記事もネットで読む。妻によるとメリー喜多川というのはジャニーズ事務所の女帝みたいな人だと云う。

 二十年ぐらい使っており消耗が激しい灯油ストーブの自動クリーニングをする。なんとか今シーズン保って欲しいもの。本日の気温、−8・8℃〜−4・3℃。

 11時、「ワールドロックナウ」はデヴィッド・ボウイー新譜「★(ブラックスター)」紹介兼追悼特集。古本入力、〈日本の古本屋〉3点UP。午前1時、焼きニシン、カニカマとリーフレタス入り茶碗蒸し、ボイルソーセージ、蒸しモヤシとリーフレタス、ウィスキー・ニッカバレルお湯割り3、温麦茶。書見少。小沼丹随筆。午前4時半、5時就寝。