須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

その後の古本屋風情

 午後2時20分起床。晴。からっとした感じ。冷水1杯。

 地下鉄駅方面へ下りて行き札幌銀行へ行く予定であったが、もたもたしているうちに3時15分前になったので、本日は中止。郵便局へ寄り、冊子小包(「絵ときこわい話 怪奇ミステリー」)を出し、羊ヶ丘通りを15分ばかり下り、豊平区役所へ赴き、国民健康保険の納付相談。
 終戦記念日に「至急、滞納している保険料をお支払いいただくか、区役所保険年金課までにご相談下さい。」という通知チラシが新聞受けに入れられていた。この10年ぐらい数えきれないくらいの数、相談に通っているのであって、我ながら好ましくないことだと思うのではあるがすっかり慣れっこになっているので、相談の内容並びに結果も想像でき、郵便局で1期分振り込むだけで済ませようかとも思ったのであるが、少しでも心証を良くするために出向いたのである。

 三方を衝立てに囲まれた極狭いスペースの中、机挟んで向かいあって座り、
「これ以上は減免できないんですよ」と申し訳なさそうに温和そうな係の方(おそらく50台男性)が云う。
「はい、わかっています、1期分支払います」と5千円札を差し出す。
「古本屋さんて儲からないんですか?」と差し出されたオツリ520円を受け取りながら
「ええ、儲からないんですよ(ホントは儲かっている人もけっこういるんだけどな、俺を除けば)」と全古本屋界の代表のような顔をして断言する。
「来月は2期分の支払いお願いできます?」と訊かれて、寸秒の後、
「はい・・・努力します」と答え、
「努力して下さい。追いつくように頑張って下さい。大変でしょうけど。今日はもういいですよ」と励まされ相談終了。

 区役所を出て、隣の区民センターへ入り、図書室で、札幌市民となって23年、初めて貸し出しカードを作ってもらう。たまたま持参していた国保払い込み用紙を住所証明証として使う。以前何度か来てみて、最近流行の作家の小説読むのならここにある分で十分であるな、と思っていたのである。最近流行であるので三浦哲郎は2冊しかないのに三浦しおんは何冊もあるという具合。もっとも最近の作家でも保坂和志堀江敏幸など、広く一般大衆には認知されておらず今イチ地味な人は芥川賞受賞本の1冊のみ。10人ほどの座って読んでいる人、やはりほとんど爺さんと婆さん。うち半分は新聞と月刊誌。新聞を二紙か三紙、独占しているジイさんから、「ひとつだけにして下さい」と云って係の女性が取り返していた。

 帰途、<セイコーマート>へ寄り、『SPA!』を開き「これでいいのだ!」立読み。とある寿司屋で福田和也が前官房長官福田康夫に遭遇したが、その態度がいかにも「俺のこと知ってるよな、君たち」みたいな雰囲気を発散していた由。それはどうでもいいことなのであるが、そこはまちがいなく味も値段も飛び切りハイソな店なのであろうよ、と想像し、その自分が一生食うことのないであろう高級トビキリ寿司を保守系福田が二人それぞれ、週に二度、三度、いや三度、四度と通っては喰らい、美味い酒を飲んで、ふぉっほっほっほっ、と腹鼓を打っているのかと思うと、今日まだ何も固形物を口にしていなかった自分は俄に空腹を覚えると共に、人の一生について思いを巡らさざるを得なかった。DION7月分4462円を払い込み、牛乳1パック148円を買い、5時帰宅。うどんを食う。

 6時現在、晴、23.4℃(最高気温は27.6℃であった由)、湿度52%、北北西の風2m/s。
 6時のニュース、駒大苫小牧の野球部員の父親の話、息子が殴られた数が40発になり、30発になり、50発にもなったりしている。一方、殴った部長の方も3、4発が10発に増えた。

 <楽天>より「新撰組事典」注文あり。600円。ブツは居間のドア横に積んである山の中にある。ついでに丸谷才一編「探偵たちよ スパイたちよ」(集英社 昭和50年初版)も取り出す。4、5日あたり前から気になっていた書籍であったのだが、ちょっと取り出すのが面倒な積み方をした中にあったので放っておいたもの。新撰組とミステリー関係、一見なんの関係もない脈絡のない本の分類整理の仕方に見えるであろうが、実際そのとおりなのであって、どちらもある友人から貰った本であるというただそれだけの繋がりで同じ場所に置かれてあったのだ。

 気になっていた、頭の隅に引っ掛かったままであったというのは、数日前「松岡正剛の千夜千冊」で石田波郷の「鶴の眼」についてのエッセイを読んだ時、他にも何点か(幾夜か)のエッセイに眼を通してみた時に遡る。石神井書林内堀弘さんの「ボン書店の幻」についても語られているのを発見した時にはPCに向かって拍手したいほどであったのだが、第九百七十二夜【0972「ポオ全集」(全6巻)春秋社 谷崎精二訳】を卒読して、おや、とまたしても頸を傾げた。ポオは、稲垣足穂野尻抱影、吉田一穂などと等しくずいぶんと読み込まれている詩人作家のようで、エッセイも長く、力(リキ)の入ったものであるが、問題は次の部分。(以下《》内引用)

《日本で『メルツェルの象棋さし』が訳されたのは、例によって「新青年」が最初だった。昭和5年2月号である。調べてみると、たしかに載っているのだが、おかしなことに訳者名が書いてない。それにおそろしく短くなってなっていて、おまけに冒頭には原作にない一文が入っている。その一文というのは、こういうものだ。
 「天才は機械の発明によって、しばしば不可思議な創造をするものである。だが、一見、如何に不可思議らしく見えるにしても、それが純然たる機械であればある程、その内部に伏在しているはずの、たった一つのの原理を発見しさえすれば、それによって容易に不可思議を解決し得るのである」。
 のちに大岡昇平がバラしたのだが、この抄訳者は小林秀雄なのである。おそらく翻訳料を稼ぐためにしたのだろうが、小林はこれをボードレールの仏訳から重訳し、のみならずかなり縮めて、何を思ったのか、勝手な一文をつけていた。
 ここは小林について述べるところではないから、一言だけ感想を言うにとどめるが、このやり方はいかにもその後の小林の批評性を象徴しているのではないかと思われる。そして、それ以上にハッとさせられたのは、小林の文芸精神の方法基礎がポオから盗んだものだとするのなら、これは小林のその後の成功が圧倒的だったのも当然で、しかしながらそのことをついに小林は白状しなかったということだ。これはポオその人の性格にも酷似する》

 小林秀雄という人はそんなチンケな男であろうか、と自分は思った。窮乏の青年時代に『新青年』にポオの翻訳を無署名で載せていたこと、あるいはポオから「文芸精神の方法基礎」を盗んだ(学んだ)ことを、棺桶の中まで口を噤んで秘密にしていたような、そんなケチ臭い男なのだろうか。あの宮大工の棟梁のような顔をしたお人が。また、それがそれほどまでに秘匿しておきたい事柄なのであろうか。中原中也長谷川泰子との三角関係についてもあえて黙しているのではなく、誰も訊きに来ないから話さないのだ、と、それこそ誰かに語っていた由を読んだ覚えがある(ここいら辺りはうろ覚え)。また「ドストエフスキイの生活」がE.H.カーの著作からヒントを得た作品であることも特に隠そうとはしていなかった筈だ。それに小林秀雄自身がたしか件の翻訳小説についての話をしていたのを数年前に読んだ覚えがあるのだ。そう、たしか乱歩との対談で。その対談を含んだ本はあそこ、ドアの横の山の中にある、とまでは思い出したのであるが、そのまま放置していたのだ。

 で、本を開いてみた。あった、あった。やはり小林秀雄江戸川乱歩の対談「ヴァン・ダイン論その他」というのが収録されていた。中をざっと見ると、以下のくだりがあった。

《 小林 僕は探偵小説というのはポーの「メルツェルの将棋指し」あれは大学時代に訳したんですよ。   
  江戸川 その話、聞きましょう。
  小林  それはね、僕はポーが大変好きでね。全集を神田で買いまして読んでいたら、あんな話があったので、
      大変面白いと思って、そのころ金に困っていたから、それを訳して『新青年』に売ったんですよ。  
     (引用者省略)  
  江戸川 僕はあれをまちがえていたんですよ。小林さんが訳したって知らないから、乾信一郎君が訳したとばか
      り思っていた。無署名でしょう。
  小林  ああ、署名なかったかもしれない。ただ原稿売ったんですから。あのころ僕は訳しちゃあ売ってました
      からね。僕の大学時代です。
  江戸川 大学の何年ぐらいですか。
  小林  一年の時から訳してました。いろんなものを訳しました。ええ、もうファーブルであれ、モーパッサン
      であれ、何だって一枚二十五銭でやりましたよ。
     (引用者省略)
  江戸川『新青年』は二十五銭ということはなかったでしょう。
  小林  もうちょっと高かったですよ。でも五十銭ぐらいでしょう。だけど僕は一月三百枚ぐらい訳しましたか
      らね。
     (引用者省略)
  江戸川 その訳すときは自分の好きなものを訳したんですか。
  小林  そんなことはないです。あるものをやったんです。それが誰の名前で出るか、そんなこたあこっちは知
      らなかった。ポーはこれは好きで面白いと思ったから訳して売った んです。どういう手蔓で売った
      か。それは忘れちやったけれども。
      (以下省略)》

 元々は『宝石』昭和32年9月号に掲載、単行本「教養としての殺人」(蝸牛社 昭和54年)にも収録されている由。「小林秀雄全集」「乱歩全集」については手元にないので分からぬ。

 だが、「白状しなかった」どころか、貧乏ながらも懐かしい青年時代をとても愉しそうに乱歩に語っているようにみえるのだが、どうだろう。ダイジェストして翻訳するというのは当時の雑誌では『新青年』以外でもごく普通に行われていたのではないかと思われ、珍しいことではなかったのではないだろうか。だから原作を自ら進んで短くしたのではなく、編集者からの注文に応じて圧縮せざるを得なかったのかもしれぬではないか。また、冒頭に加えられた文章に関しては、おそらく小林が故意に創作して付け足したフレーズであると自分なんぞも思うのだが、何故そうしたのか、それはもしかすると単なる読者へのサービスであったのかもしれぬし、或るいは松岡氏が述べるが如くに小林の批評の秘密が隠されているのかもしれぬし、いろいろ想像してみるのはたしかに面白いことだろう。ただ、今さら小林秀雄本人に翻訳当時の事情を訊けない以上、どんな推論であれ証拠のない仮説に過ぎない。

 と、ここまで書いてから「ポオ小説全集」(昭和49年 創元推理文庫)が在庫にあったのを思い出し、見てみると第一巻に「メルツェルの将棋指し」が含まれており、訳者は小林秀雄大岡昇平の共訳となっているじゃないの。なんだ。おそらくこの元版の同社単行本全集にも同じ訳者コンビで収録されている筈。もちろん『新青年』掲載訳の冒頭の文章も見当たらないし(ただし、書き出しの段落の中に「天才」「機械」「発明」という同一単語が含まれている)、これは完訳なのだから全篇通して比較すればかなり違った文章になっているとは思われるが(大岡色が出ているかもしれない)、いづれにしろ小林は『新青年』へのポオ翻訳については昭和32年から明らかにしていた。また、ポオから強い影響を受けているボードレールを学んだ小林の処女出版は、ボードレールの翻訳書「エドガー・ポー」(昭和2年 新しき村出版部)なのであるから、最初の出発からしてすでに、小林秀雄はポオへの興味、偏愛を特段隠してはいなかったと言い得るのではないだろうか。

 ちなみに自分は何も「千夜千冊」をあちらこちらクリックして覗き、ありゃ?、というところを捜して廻ったわけではない。ほんの七つほど、七夜分のエッセイを流し読みしたに過ぎないのである。ああ、また古本屋風情が余計なことをしてしもうた。乞う御容赦。

 ◯◯市の<古書WXY>◯◯さんからメール。9月に来札の由。ゆっくり話ができるのは7年ぶりぐらいの筈。愉しみだ。
 <楽天>へ3点入力UP。シャワー、第二食(浴びながらでなく上がってからね)の後、日記を書く。8時半終了。ブログあちこち覗き、午前10時就寝。断酒。