須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

復活そして実篤

 3時起床。快晴。家にいる分にはほどよい暑さ。

 インコの世話。日清チキンラーメンと米飯書き込み(俺って大山昇太か?)、第一食。紅茶を啜りつつ、パソコンに向かい、<はてなダイアリー>と<mixi>のお気に入り二日分を読み、それからメールのアカウント設定。昨夜帰宅後、2時間格闘したができず。夕方ようやく設定できたかに思えたが、毎日来ている筈のメールが来ていないところから、送信はできるが受信ができていないことが判明。自分へテストメールして確かめ、薫風書林にメールと電話をかけ検討、読みもせぬメールマガジンを取り過ぎていたりなんかしたのが主たる原因であろうか、POPサーバーっていうのが満杯になっているのを突き止め、ここから溜まっていたメールをどんどん削除し、ついにメール復旧す。すでに外はとっぷりと暮れ、夜の9時を過ぎている。途中、7時半頃、岩内の実家にいる妻から電話あり。昨夜は12時過ぎまで(ちょうど自分が帰宅した直前である)何度も電話してきた由。繋がらないので、パソコン故障の顛末が心配でほとんど眠れなかったそうな。

 昨日お世話になったハコザキ氏へお礼メール。F氏のアドレスはわからぬのでお礼よろしくお伝え下され、とも。ほどなく返信あり、こちらも返信、また返信のやりとりの末、いずれ低予算飲み会決行の話決まる。

 PCの不安も消えた妻は今夜、心ゆくまでテレビジョンを満喫しておるのであろうなぁ。と、羨みつつ、自分はラジオとネットで世間に触れる。ブッシュ、イラク戦争続行について米国民へ演説の報。MLB、松井10号ソロ、三年連続二桁HR。日の本のベースボールはというと、日ハム、西武に連勝。横浜ベイスタの多村、高速道路のガードレールだか、壁だかに接触事故で骨折。昨年40HR。横浜にとって実に久々、オバQ田代以来の和製大砲、真のホールラン・バッター、三冠王も狙える逸材と見なしていたというのに、なんという形で期待を裏切る男であることか。

 シャワー浴びた後、横になるまでにメール処理。昨日今日で珍しく注文三件も来ていた。安房直子作・味戸ケイコ画の絵本「夢の果て」昭和50・サンリオ、雑誌『みどり』(「作家訪問:深沢七郎氏を訪ねて」掲載)昭和33・學燈社)、ル・クレジオ「海を見たことがなかった少年」昭和63年・集英社。受注メールを送り、他のメールもビシバシ処分、斬って斬って斬りまくり、大方を削除する。中に覚えのないアドレスのメール一件あり。題名は「こんばんわ」。いささか不気味なるも、思い切って開いてみると、これは意外!驚いた。句読点含めて35文字なれど、詩人TSさん(のファンのつもりではあるが、面識はもちろんない)からのもので、自分のブログへのコメントであり、視界がいっぺんに明るくなったかの思いを味わう。この思いがけぬ嬉しい励ましはインターネットあってこそであり、パソコンってのも、けっこうイイとこあるじゃん、の思い新た。

 後藤明生「無名中尉の息子」三分の一まで読んで、8時近く就寝。酒はあるが断酒。巷間一部で自分は大酒飲みのアルチュール・乱暴の酒乱ように言われておるが、それはまったくの誤解というものなのであって、そんな豪気な無頼派ではない。まあ、酒は無性に好きなのは好きなのではあるが、第一、酒量もさほどではなく、真人間になるべく努めているこの数年は酒を飲まない日だってしばしばなのだ。その圧倒的要因は経済的なものなのであるが、今日この夏の爽やかな朝のように、身辺に酒類があるにも関わらず酒を口にせぬという、かかる離れ業を演じることもできるのである。そんな時自分は武者小路実篤の詩(?)を思い出すのだ。「僕から見ると/自分は可愛い」。

 
 *注 実篤詩は手近に本がないので、漢字と仮名遣いがうろ覚えでの引用です。