須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

稲垣書店とK古書店

 3時45分起床。快晴。郵便局へ駆け込み(出入金窓口は4時終了)、振替須雅屋口座から昨日振り込まれた5340円おろし、「火星の美女たち」発送。口座は店の口座なれど、本は妻の本なのである故、帰宅して3千円渡す。

 横溝正史「血蝙蝠」(角川文庫)にメール注文。台湾在住の人、本は国内の実家へとの指示。10日前に注文が入り、今日がキープ期限の「岡本太郎EXPO'70 太陽の塔からのメッセージ展図録」の入金あり。「蝙蝠」のお客へメール、「太陽」は中を眺めてから梱包。

 昨日届いた「五反田古書展+月曜倶楽部」合体目録を見ていた妻が「ぎゃあ」と声を上げる。何だ、またこの阿媽は、と訝りながら、開いていたページを示されたのを見てみると、今日送った武部本一郎の「美女たち」、先日売れた「騎士たち」、ともう一冊の3冊コンプリートのセットが、当店が売った2冊のウン倍の値段で掲載されているではないか。非難がましい視線を送ってくる妻に、「この店はこういうサブカルもんが専門で、独特な値段つけてんだよ、きっとさ」と弁明した自分であるが、何かまた後悔の念がじわじわ。

 11日の南陀楼綾繁さん日記で三河島稲垣書店>の復活を知る。昨年11月末に上京した折、明治古典会で奥様らしき方とご一緒のところをお見かけし、懇意にして戴いているわけではないので遠くから、お元気になられたのだな、とうれしく思い帰札したのだが、しばらくして思いがけず拙作について感想のおハガキを戴き、ありがたく、恐縮した。しばらくは土日の昼間だけの営業であるらしいが、いつかは訪れてみたい店である。もっとも、昨年の上京が十年ぶりであった自分にとって、その機会はなかなか来ないと予想されるのだが。それでも自分はまだいい方なのだ。妻などは、結婚前に連れて行くと夫が軽く請け合っていたという神田神保町にもいまだ足を踏み入れたことがないばかりか、生まれてこのかた飛行機にも一度たりとも乗った経験がないのである。

 <稲垣書店>中山さんと言えば、反射的に思い出すのはわが友「なにごとも形から入る男」と自称する<K古書店>のエピソードである。『BOOKMAN』であったか、とにかく何かの雑誌に載った中山さんの記事を読み、ドテラ姿で帳場に座ってお客さんへの返信ハガキを書く写真の中山さんの姿にいたく感動したKは、早速翌日から何処ぞより調達したドテラを着込んで店番、その姿で一冬を過ごしたばかりか、暖かくなってもなかなか脱ごうとせず、書見をしたりしていた。が、その後、ピアニスト、グレン・グールドに入れあげたこの男はドテラを何処かへ放り投げ、顎まで隠れるように何重にも巻いたマフラーをつけ、ぼってりした手袋をはいて(ピアノは弾かぬがセドリのために常に暖めておこうという配慮でもあるのか)、グールドのCDをかけながら、まるでドテラの過去などなかったかのように、格調高き古書店の店主然として(意識してか、せずかは知らねど)神妙な顔で座っていたもんである。が、古本屋を廻ってくる客のめっきり減ったどころか、一日一人も現れぬこともしばしばの現在では、もう人からどう見えるかなどはかまっていられなくなったのであろうか、店内には未整理本ダンボール箱が堆積し、砦かバリケードのごとき様相を呈しているばかりか、店舗の前にもキャンプなどで使うクーラー・ボックスの巨大なものを思わせるプラスッチクの容器が何十と積まれ、中には何か化学的実験の果てに出た廃棄物でも詰まっているようで、見た目とても不気味であり、店の中は怪しい新興宗教の事務所では、と辺りの住民からは疑われても仕方のないような外観になっておるのである。と、さんざん脱線してしまったのであるが、<稲垣書店>のお店再開、ほんとによかったなあ、と思う。遠隔地にいらっしゃる利害関係のないご同業の幸福は、素直に喜べるのだ、こんな自分にも。
 ラクテン3×横浜4(佐伯、村田にHR、楽天は50敗目)、MLBヤンキース6×パイレーツ1(松井6号)。

 有栖川有栖「作家小説」読了。断酒。7時就寝。