須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

水道屋さん来襲

 2時起床。11時の予定であったが3時間寝過ごす。顔を洗おうとしているところへ、水道設備屋さんの来襲を受ける。15分ほど待ってもらって、洗濯機などを移動し、工事が可能になるように空間を作り、入ってもらった。

 先の日曜に、チラシなどの予告なしに突然都合を調査しに来たマンション管理人には、「金曜か土曜、できればもっと遅く」と伝えておいたのだが、今日来てしまった。流しの蛇口の一部とガス湯沸かし器に入っておる管を老朽化のために取り替えるのだと云う。

 この工事のためにというか、他人を部屋へ入れるためであるが、昨日は夜の8時から深夜2時半までかけて水道屋さんの目にふれそうな部分を重点的に掃除をした。妻は掃除が不得手の人間であるために任せられぬ。「この阿媽ぁ!」とはり倒したいところであったが、食費を出して貰っているし、腕力でも負けるので、自分一人で遂行。一生懸命労働をした後の快い疲れとほのかな満足感もあるので良しとし、入浴して、酒を飲み就寝した。

 工事一時間半程で終了。ついでに、数年前から水が完全には止まらなくなっているトイレのレバーというか、タンクの中を見てもらう。このMSの大家に出来るだけ顔を会わせないように、出来るだけ自分ら須賀家が大家の注意を引かないようにするために、水が不経済なのも、地球環境にやさしくないことであるのも顧みず、管理人にも言わず、ずっと我慢してきた。

 ここはオーナーの自主管理で、オーナーすなわち大家さんは徒歩1分足らずの豪邸に住んでおり、この集合住宅の他に、自分の知る限りでは、駐車場、いわゆる打ちっぱなしって云うところのゴルフ練習場を経営しているこの界隈の富豪。もともとは明治初期開拓期からの林檎農家であったらしいのであるが、札幌オリンピックあたりからのこの平岸地方の大規模開発で転業、のし上がったプチ富豪のようなのである。管理人さんと2人で除雪だの、廊下のタイル貼り換えなどいろいろやっておるが、MSの老朽化は覆い難く、水周りを主にあちらこちらが痛んで来ている。

 昨年の10月から、トイレ・タンク内の浮き袋のバーの部分に輪ゴムを取り付けて、浮き袋が上がり易いようにして、水が止まるように誤摩化してきた。浮き袋を交換しないと駄目だろうと予想していたが、さすがはプロ、応急処置であろうが一応水を止まるようにしていった。何はともあれ、これで、この数年の悩みの一つが一時的かもしれぬが、解決を見た分けであって、水道工事があってヨカッタ、ヨカッタ、災い転じて福となすとはこのことよ、とささやかな幸福を祝う。

 それにしても、工事中、妻は寝室の押し入れでずっと睡眠をとっておったのであるが、水道工事屋さんは、この家にもう一人人間が潜んでいたとは、ゆめ思わなかったことであろう。「この阿媽ぁ!」と雄叫びを上げたいところであるが、「誰のせいでこんなところで寝てるんだ、どの口がほざくんだ、こら!!」とビンタが飛んで来るかもしれぬので、よくも眠れることよの、と感心するだけにしておく。

 「スゴイ量の本ですね」と言い残して水道工事屋さんは去っていった。たまたま事情があって、この108号室の内部に足を踏み入れた誰もがそう云う。そうした時、愛書家でも読書家でもない、まあ、単なるほどほどの本好きの古本屋と自覚している自分は、「商売です。通販で古本屋やってるんです」と事実を告げるのを常としている。そうすると相手は、「なあるほど・・・」という納得と安堵の表情を浮かべるのであるが、今回は昨夜の労働で疲れているせいか、めんどうで何も答えなかった。真っ昼間に寝ぼけ眼で応対に出、彼が作業中には、尋常ならざる物量の本が堆積する3DKの屋内で(各部屋のドアは、その前に積み上げられた本やダンボールなどのため開かれたままとなっておる)、ノートパソコンに向かいながら、ふふふ、・・・ひひひ、・・・ははは・・・、と笑い声を漏らしながら(他人の日記を読んでいた)中年男を水道工事屋さんはどう思ったことであろうか。膨大なマンガ雑誌やプレイボーイなどの週刊誌、それにエロ・ビデオの類いを溜めすぎて、アパートの床を抜かし、そのまま自分のコレクションの殿堂もろとも一階の部屋に墜落して病院行きとなり、つい最近全国ニュースにもなった、あのお騒がせ中年男を思い浮かべていなかったと言い切る自信は、自分にはないのである。

 ナボコフロシア文学講義」、<日本の古本屋>で注文来る。これは自分がパソコンを所有していなかった昨年末までに、A本屋さんに委託して出品してもらっていた品物約700点のうちの一冊。昨日は平井呈一訳「ワイルド選集2」の注文が同じく<日本の古本屋>からあった。これが家の中の何処に存在しているのか不安であったが、案の定見つからぬ。

 何故かかる事態が発生するかと云えば、昨年、A本屋さんのPCで入力したデーターはほぼ5年前に出した紙の目録に記載されているものを元にしているからで、その時点では明確に在処を認識していたのであるが、今となっては記憶が曖昧になっているのであり、我が家にはこのような行方不明の商品(本)がまま紛れて存在しているのである。

 途中、「ほら、出るわよ、出るわよ」という妻の声に促されて、芸能人たちを案内して神保町を闊歩、講義するTV画面上の唐沢氏を見物に行き、「あっ、佐藤藍子とはこの女子のことであったか」と妙に納得した時間を除いて、家のあちこち本を探し続けたが、12時近くなり、ついに探索を断念。続行すれば、何日か後には発見できるかもしれぬが、その保証はないし、さすがに時間が惜しい。注文の東京荻窪のお客に「申し訳ございません」のメール送る。彼の記憶には、いい加減な信用のおけぬ古本屋として札幌の古書須雅屋の名前が、永きに渡って刻まれることであろう。

 埼玉のお客さんが送ってくれた清酒を飲んだ後、床の中で藤沢周平を読み、寝る。