須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

冬終わる?

  1時起床。10時の予定であったが3時間寝過ごす。

 昨日のナボコフを注文して来たお客からメール。代金送るから本の梱包時に大学宛の領収証同封してくれろとのこと。東京の某有名女子大学の先生だった。金を即送金してくれると云うのだから、なんら問題はなく、ラジャー!もう、ばっちグーの了解ですよ、てなもんで、「へい、かしこまりました」と返信する。これが古書価格認定証ほかの書類を3枚、4枚と書かされて、金は一ヶ月半後か二ヶ月後に大学からの銀行振込というパターンとなると、ご注文のありがたさも半減、けっ!いいご身分だぜ、大学教師っていうのはよおー、と、毒づきたくなることもしばしばなのであるが。

 2月6日に古書須雅屋としてEasySeekに出品を始めてから二週間。まだ掲載点数は140点足らず。であるのだが、ちょうど札幌の古本屋たちの合同カタログが発刊され、それからの引き合いと、またA本屋さんへの委託本からのモノもあり、なんとこのところ毎日、本の注文があるのである。1月末までは、せいぜい四日か五日に一冊の割合であったが、EasySeekを始めてからは、一件か二件ではあるが、毎日注文が来るようになったのである。

 どうもネットでの通信販売という形態は、やってみると自分に向いているのではないか、と思えてきたのである。確かに、受注、入金確認、発送と、その都度のメールのやりとりは多少煩雑であるが、売れない紙のカタログを出し続けた苦労に比べれば、どうということはない。なによりも、一行いくらという経費計算からの制約のあった紙のカタログと違って、本の説明をいくら長く、詳細に記そうとかまわぬという点が、視神経の消耗さえ気にしなければ、執拗な性格の自分に極めて向いているようなのである。うーむ、下ばかり見て歩いて来たこの十年来の暗黒の日々にほの見えた微かな光っていうか、ははは、成功の予感っていう奴かしら、これって。

 この六年ほど、業者の市場では、売り上げ不振、業績低迷じゃなくて業績陥没のため、つまり金がないので、ほぼ全然って云っていいほど、入札ができなかった自分である。本の価値も相場も分かるのに(ウヌボレを許したまえ)、支払いを考えるとまったく手が出せずに悔しい思いをして来たのである。愛書家でも読書家でもないが、本を市場で買い占めたいという願望、いい本は他の古本屋には誰にも渡さずに独占したいという欲望だけは人一倍、少なくとも札幌一強いとかつては思い込んでいた自分なのである。そんな自分を尻目に良品を買い続ける同業者を、「こ、こ、こいつらに、こ、こ、この本の神髄が分かってたまるか。ぶ、ぶ、ぶ、文学が分かってたまるか。シュ、シュ、修羅シュシュシュのシュルレアリスムの精神が分かってたまるか」と嫉妬と憎悪の念に苛まれながら歯噛みして眺め、市場の開かれた日は悔し涙で枕を濡らした夜もあったのである。

 が、いつ果てるとしれぬと嘆じていた、長い長い冬もようやく終わりを告げつつある、ということなのだろう。ふふふ。いっひひひ。ほほほ。はははの、は、だぜ。◎◎書房よ!、■◇書店よ、せいぜい今のうちに我が世の春を謳歌するがいい。この私が金を握った暁には、お前たちには二度とまともな本は買わせぬ。すべての果実は私の物だ。私が通った後には、ペンペン草しか残っていないであろう。今度はお前たちが泣く番だ。オイオイと泣く番だ。さんざん私をないがしろにして来たお前たちが。

 と、これを書いている横から、「ほんとに明けんのか?冬。大丈夫か?また、ドツボに嵌まんじゃないの。いつもの虎野タヌ吉じゃないのか」と妻が半畳を入れてきた。たしかに、その昔といっても、つい6、7年前、いい気になって本を買い過ぎ、買った分だけ本は売れてくれず、資金繰りに行き詰まり、ついに、というかあっけなく、自分は破滅したのである。それに、毎日注文があるといってもまだ、半月足らず、それも1万、2万じゃなくて、数千円に過ぎず、しかもどうやら今日は注文無し、ゼロのようなのである。また、あの無限の奈落に沈んでゆくが如き虚無の日々が戻って来るのか。追い打ちを駆けるように「短かったわよね」と妻が、付け加えた。

 本の新規注文はないが、郵便振替での入金通知があったので、本の梱包一件。J.ダニング「実録・ヨーロッパ殺人シリーズ」全7巻。8000円。15日の火曜日に、合同カタログ「さっぽろの古本屋」2号へ、埼玉の女性からFAXにて注文来し品。三年前に仕入れた物なので、売れても、儲かったという実感が乏しい。

 ついでに「さっぽろの古本屋」2号を市内中央区の女性へ私信同封で送る。一日遅れの15日であったが、なんの前触れもなく(当たり前だって)チョコレートが送られて来た。その昔、有線放送で働いていた頃に、事務のおネエチャンに義理で貰って以来の自分としては、意外でもあり、少なからずコウフンもしたのである。

 十数年前にとても質のいい蔵書を宅配便の函にして50箱売ってくれるなどしてお世話になっていたお客のTさんが、正月の7日にススキノで御馳走してくれた。それは、自分が昨年秋に受賞した、ちょっと風変わりな或る小説賞の受賞祝いをやってくれたのである。十数年ぶりにお会いしたTさんは、Hガスの社長秘書から現在は役員になられていた。「いやあ。ほんとうによかったなあ。今夜はあんたを酔いつぶすからな」と大変に喜んで下さったが、自分もまた嬉しく、ハイピッチで注がれる酒をぐいぐい調子にのって飲んでしまって、すっかり酩酊したのである。

 その三次会で案内された<古今>なるいやに高年齢の女人従業員ばかりのスナックに一人だけ、二十代中頃かと思しき女性がおり、店のママが「このマユミちゃんもエッセイとか書いてるんですのよ」などど紹介する。そのマユミちゃんなる女性が「読みたあい、読んでみたーい」などと自分の耳元で甘いささやきを漏らしたりするので、「逢わずに愛して」だの「、花と蝶」だの「、廃墟の鳩」だの、「マサチューセッツ」だの、「ホンキー・トンク・ウィメン」などを高歌放吟して絶好調、いい気持ちになっていた自分は、「ははは、うん、わかった、コピー送ってあげるから」と口約束して、でへへ、でへへと正体をなくして帰宅したらしいのである。翌日、ポケットからそのマユミちゃんの名刺が出てきて、自宅住所まで添え書きされていたのを見た自分は昨夜の一件を思い出し、あれはまんざらお世辞でもなかったのかと考え、数日後、拙作の小説のごときもののコピーを送ったのである。が、その後、一週間たっても、二週間たっても、なんの反応もなかった。ふん、やっぱり単なる水商売のネーチャンだったな、あーあ、コピーと切手代がもったいなかったなぁ、と、差別意識を全面に出して後悔、そんなことも忘れていた一ヶ月以上もたってのプレゼントであった。で、そのお返しに自分はまたお調子者の本領を発揮して、自分の書いたエッセイのごときものが掲載されている「さっぽろの古本屋」第2号を送ることにしたのである。「そういうもん貰っても、向こうは嬉しくないと思うよ。ホワイト・デーに三倍返しが常識だって」、と、ポリポリとチョコレートを摘みながら口を挟む妻の助言も聞かずに。

 夜、mixiなるものに初めて日記を書く。ソルボンヌK子さんから誘われた時は、縄で拮抗縛りにされ、ブーツで踏みしだかれ、革の鞭をふるわれる、ロウソクのロウたらたらの秘密クラブのような場所なのかと半ば期待しながら怯えていたのであるが、そうでもないようである。少し長くなった。明日からは、もっと簡潔にサラッと行こうと思う。 
 酒三合。朝、 NHK日本の話芸桂米朝。7時就寝。