須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

土曜 吉増展オープニング、帰り萌黄さん

 午前9時半目覚め。10時起床。9時現在、晴、19・7℃(最低16・0、最高24・5)、湿度64%。牛乳、カフェオレ、紅茶、冷水。名刺作成。作業1時間。うどん、ナットウ、冷水、トースト2、紅茶。妻がお世話になっている丸山先生から宅配便。早速開けてみるとソーメン。有り難し。

 1時20分出。南平岸駅まで駆け足7分。この距離は休みなしでまだ走れるのを確認。地下鉄で西18丁目まで。近代美術館へ2時5分前着。何故か吉成君と名刺交換。2時過ぎからトーク・セッション「吉増剛造の現在」(文学館の吉増展オープニング・イベント)。吉増剛造小林康夫高橋世織、工藤正廣の諸氏。小林さん以外は、ほんのほんの少しだがかつて言葉を交わしたことあり。感慨を謳うだけの大方の詩人は、疾走する吉増さんに付いてこれない、というような言い回しでどなたかが断言するのを聴いて、別に付いて行かなくたっていいじゃないか、吉増さんが凄いのはわかるけど、と内心反発。本日の来会者だけに今日午前に書かれたという一枚ものコピーが吉増さんからのオミヤゲとして配られる。gozoCine (吉増短篇映像作品)#5「プール平」上映。唖然。慄然。とんでもない作品。吉増さんが大相撲呼び出しの小鉄柳田國男、エリオットなどのコマギレ音声をテープで流す。山口昌男さん、神谷忠孝さん、新進詩人文月悠光さんや、それから1月の新年会三次会<焼鳥じゃんぼ>で松尾真由美さんと偶然お会いした時ご一緒だった紳士の顔も。4時ちょっと過ぎ終了。明日のゲストの柳瀬尚紀さんとすれ違う。

 生の吉増さんは4回目。1回目は1976年6月頃(?)東京市ヶ谷法政大のさほど大きくはない普通の教室。フォークソングの歌詞と現代詩についてみたいなテーマ(?)で谷川俊太郎さんとの対談(のようなもの)。お二人の持参したLPレコードやテープをその場でたしかポータブルプレイヤーでやラジカセでかけたりしたのではなかったか。吉増さんはカセットテープに録音した電車車内の音やラジオの天気予報も流した記憶あり。その折、友人Kと開演間際に慌てて1階からエレベーターに乗ったところへ、谷川、吉増のお二方が入ってこられ、友人Kと顔を見合わせ、上昇する箱の中で感動していた覚えがある。2回目は1981年(か80年)、室蘭の水元町、室蘭工業大学近くのJAZZ喫茶(?)2F。加古隆(トリオ? or ソロ?)と一緒のライブ。今から思えば何とも豪華な共演。朗読もこの時はたっぷりと聴けた。たしか「古代天文台」もやった筈。マリリアさんも声とパーカッション(?)で参加。3回目は1984年2月11日、札幌駅裏8号倉庫の「北の朗唱」イベントで。吉増さんはその時点でおよそ37歳、42歳、45歳ぐらいであったわけで、いずれも今の自分よりも若いのであって、今の我が身を見るになんとも哀しくなるのである。

 西11丁目まで歩き萌黄書店さんに寄る。ご主人は仕入れで留守。冷たいお茶を頂きながらトーク・セッションの感想や、ある大学の先生に目録で公費注文もらって大学に納品に行ったがすったもんだがあってヒジョーに苦労し苦悩した思い出や、作家◯◯◯◯さんの思わぬ収入源などについて一方的に奥様にお聞かせしているところに萌黄さんが戻って来る。今日仕入れに行ったお客さんから貰ったという服(高級?ポロシャツ1枚、コンサドーレものなどTシャツ2枚)と年代モノ紹興酒を1本頂く。実に実に有り難し。このオミヤゲも自分にはとても嬉しい。やっぱり寄ってよかったなあ、と思う。今日の一番の感想は俗によく云われる男の(女もか?)顔は履歴書ってこと。自分など額に汗して来なかったことが露のヘラヘラ顔であるからして。地下鉄で南平岸(間違って麻布方面に乗り札幌駅で慌てて降りたが)、<Maxvaluボストンベイクで食パン108円。

 6時帰宅。日記。トースト2、紅茶、冷水。テレビを観ていたら居眠り、そのまま11時頃就寝。断酒。