須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

日曜 東京だョおっ母さん1

 午前4時に目が覚める。その後目を瞑り横にはなってはいたけれども眠られぬまま5時起床。タラの芽の天麩羅入りうどん、ナットウ、クロワッサン2、冷水、紅茶、カフェオレにて第一食。最後は無理して詰め込む。

 この冬の東京地方の気候を鑑みるに靴をもう一足鞄に入れて行くべきではないべか、と妻に訊くと、それじゃあ、ついでに冷蔵庫と洗濯機もかついでっか?と呆れられたので、普段の防寒靴だけにする。飛行機が墜落するかもしれず、100%無事帰還できる保証はないのであって、これが永久の別れになるかもしれないのだから、見送りに玄関まで付いて来た妻に(と書くとなんか広大な邸宅のようであるが)「誰よりも愛してゐました」と太宰治みたいに云い残しておくかなぁ、と一瞬思ったが、じゃあね、と一言のみで、6時10分に家を出る。

 地下鉄で札幌駅へ出て、6時48分発のJR千歳空港行きに乗り換え。行くての薄曇りの空に、雲の切れ間から赤みの濃いオレンジ色の太陽が半分ほど浮かんでいる。7時25分空港着。7時半に出発メイン広場日航前に集合せよ、と1週間前に係の◯◯さんからメールを貰っており、遅れてはならじとトイレも我慢して階段を走り上る。7時30分ジャストに着き、札幌古書組合員の顔はないかと探すが誰もいず。仕方なくトイレへ入ろうとしたところで文教堂恊治君と遭遇。それから15分ほどしてなちぐろ堂の大西君を発見。8時になっても主要メンバー二人が姿を見せないので恊治君が事業部長伊藤書房さんに電話すると、その近くにさきほど大西君が突っ立っていた広場の中のコーヒー屋さんのテラスにいることが分かり、無事四人集合となった。事業部長にコーヒーを御馳走になる。かねて聞き及んでいたとおり南陽堂秀了君は行きは別行動、それから、7時半集合の旨メールをくれた◯◯さんはすでに数日前から私用で上京しているそうで、がくっ、と腰が抜けそうになる。飛行機が8時50分発なのであるから待ち合せは8時で十分だったのではあるまいか、と思うのではあるが、まあ、いろいろ手配してくれているのだから文句は云えないと思う。
 8時50分発JAL1004便に乗り込む。機内で仮眠をと考えていたが眠れず、ほぼ予定通り羽田に10時25分着。車輪が滑走路に着いた瞬間に心の中で拍手。何故か機内持ち込み荷物は一ヶと頭脳に刷り込まれていた自分が預けたバッグを受け取るために15分ばかりロスし、皆に迷惑をかける。モノレールではなく京浜急行に乗り、品川で山手線に乗り換え、神田で中央線にまた乗り換えお茶の水駅へ。外へ出ると雨。用意してきた傘をさす。

 30年ばかり昔に一年ほどいた元中大近くの<DOUTOR>で軽く昼食。自分はトーストと紅茶、計350円。古書会館近くのドトールはむろん知っていたけれどもここは初めて。あちらと違って広くゆったりとしていて気に入る。オーダーする時にレジ近くの席にいた美少女に思わず見惚れる。自分らの席に座ってから大西君に美少女について話すと、彼のみならず皆さん同意見であった。古本屋廻りや飲食、名所旧跡、歴史的建造物の見物、文化施設の利用などの他にこれもまた東京の愉しみならん。

 半時間ほどいて正午過ぎ、今回の札幌古書組合事業部研修旅行の目的、中央市会大市に参加すべくいよいよ古書会館へ。と云っても自分は端から見学のみの予定だが。雨止まず。受付に落札品を送ってもらうための宅配便伝票が置いてあって、各自が自ら送付先住所を記すようになっているのであり、自分も係の方(東京の古本屋さん)から奨められるが、「けっこうです。どうせ買いませんから」と遠慮する。ちょっと正直すぎたかなあ、と反省。せっかくすすめてくれているのだし、それに、このサッポロの田舎もんは何しに来たのか、と札幌組合の評判を落としてしまったかもしれないと危ぶまれるのだ。なにしろ底値1万円(入札最低価格)で、支払いが二週間後なのだから、それなりの用意が(カネの)なければ、とてもじゃないが気楽に札は書けない。今回同行している新人某君などは昨年末の資料会大市で、どうせ落ちないだろうと、ばくばく札を入れたところ、数日後自宅に想定外の個数のダンボールが届き、それからまた数日後に四十万もの請求書が届いたというのだから。

 まずは第一回開札の四階に上り、一階ずつ地下まで降りてざっと感じを掴む。地階通路ホールに「未亡人下宿」シリーズポスターの極美品が何枚か重ねられて出品されているのを一枚一枚勉強(?)のため入念に点検。今度は一階ずつ廻ってじっくり見ながら最終改札の地階まで降りて行こうと再び四階へ。「こないだはどうも」と声をかけられ、見るとアルカディアさん。「野球が好きなんですって?」と『古書月報』から得た知識で尋ねると、えっ!?何で知ってるの?と怪訝な表情。ぱあーっ、と背表紙眺めながら歩いていると我が組合の専務理事弘南堂の庄一氏がいたので挨拶。

 富士正晴の雑誌「VIKING」一括や青木正美「近代作家自筆原稿集」などを見ているうちに2時となり、もう少しピッチを上げようと三回に降りたところで事業部長の伊藤さんから声をかけられエレベーターで八回の休憩コーナーへ。ほうじ茶を御馳走になる。しばらく話していたところへ八勝堂さんが来られる。もっぱら伊藤さんが聞き役となって八勝堂さんが話されるのに耳を傾ける。最近の古本業界の話、公共機関の動向や古本市などの昔話など。十数年前に一度札幌で酒席をご一緒させていただいたことがあるのだけれど、その豪放磊落ぶりはお変わりになっていない。また自分より三十年ほど人生を長く生きていらっしゃる筈なのだが、その記憶力の確かさには驚かされる。最近の自分と云えば妻と話す時にも、ほれ、あの、なんだっけ、なんてつかえるのがしょっちゅうなのであるのに、昭和30年代に全国を古本市ツアーで廻った思いで話をする八勝堂さんの口からは、小樽の大黒屋とか長野(?)のマルビシデパートとかの固有名詞がスムースに出てくるのだ。その当時の小樽大黒屋デパートでの古本市の搬入には馬橇を使用した由で、一日の営業が終わると紅灯の巷へ直行、吹雪になって旅館へ帰れずに(だったか?)そこで夜明かしし、朝は飲み屋さんからそのまま古本市の店番に向かったりしていたそうな。また、山形だか秋田だかの当時女社長が経営するデパートではエレベーターの使用が認められず(おそらく業務用が故障中だったか元々備え付けられていなかったかだろう)、一階から八階の催事場へ蜜柑箱(昭和30年代の話なのでダンボール箱ではなく木箱かも?)をニケずつ肩に載っけて階段を上がってまた降りてを繰り返して搬入したと云う。これだ、と自分は思った。やはり成功された人は根性とヴァイタリティーが常人とは違うのだ。そうこう話を伺っているうちに、「今夜はどうするの?」と訊かれて、札幌組合事業部が夕食をご一緒させていただくことに。やったあ!話が決まった瞬間、パッ、と自分の頭の中の電球が灯るのがハッキリ分かった。

 再び三階に戻り、よおし、入札はしないが、あと二時間マジメに本を見てお勉強するぞ、と眠気払いの気合いを入れていたところに、「あれ、スガちゃん、珍しいじゃない」と新村堂さんから呼び止められ、お茶に誘われ、今度は外へ。いつのまにか雨は上がっている。三省堂の<自由空間>で紅茶を御馳走になる。「どう、札幌は?」と問われて答に窮す。札幌の古本屋を代表して札幌古本界の景気を話せる立場の人間じゃないのだ、自分は、特殊古本屋である自分は。「東京タワーへは行ったことがある?」「否」「じゃ、今から行ってみる?」「否」「靖国神社は?」「否」などという門答の末、ごく近いというので結局後学のために靖国神社まで散策することに。「入札はいいんですか?」と心配すると、朝の10時から古書会館に来ているし、名所旧跡に人を案内するのが趣味だからよろしいのだそうだ。なるほど、向かって行く先に鳥居が見える。すっかり春と云うべき街の散歩心地よし。途中、リッチになった東城書店さんがオーナーになったというビル前を通り、中曽根康弘の肝いりで作られたという昭和館なるバブリーな建築物を眺めながら歩き、おお、ここが東京理科大学かと気づいたすぐ先が靖国神社。道路挟んで武道館。「武道館は?」と訊かれて「30年ぐらい前にクリエィション(プロレスのファンクスの入場テーマ曲が有名)というバンドが500円コンサートやった時に来ました」と答える。参拝はしないが見学を15分ほど。遊就館というのも覗いてみたいが時間がないので、あるかないか分からぬ「また」の機会にする。新村堂さんが人形焼を奥さんにおみやげと云って買ってくれる。「最終台の奈良絵本が欲しいんだけどさあ」などという次元の違う話を聞きながら、靖国通りを古書会館へ戻る。明日は<まつや>で蕎麦を喰わせてくれると云う。うん、研修旅行に参加してよかった。と思った。途中、パチンコ<人生劇場>のトイレを借りる。古書会館へ戻ると4時過ぎ。眠い。

 もう時間もないのだから文学モノで高いものを集中して見た方がいいのではないべか、と考え地階に降りる。サッポロ堂夫人、石神井さん、月の輪さん、稲垣書店中山さんに挨拶。石神井さんに横浜方面(?)の古本屋さんに紹介され(名前失念。御免なさい)、その方にまた例の「どうですか?札幌は」を訊かれて弱る。商売人特有の儀礼的挨拶代わりの質問であるのは重々承知なのだけれど、特殊古本屋たる自分がエラそうに述べるわけにはいかないのである。ふらふらしながら自筆原稿や本をちょっと触ったりしているうちに、あっというまに5時となり下見時間終了。一階カウンター前で港やさんと名刺交換。建築関係の専門店として本の方では名前が知れ渡っているが、ルックスもなかなか。負けた。と思った。これから揚羽堂さん(古本屋さんなのだ)のコンサートに行くという石神井さん、月の輪さんと、じゃまたね、と別れ(あるかないか分からぬ「またね」なのであるが)、札幌組合一行五人と八勝堂さん、その弟子のロゴスさんの七人で、庄一氏の提案により蕎麦居酒屋<高田屋>へ。

 最初はビールで乾杯。自分は燗酒をメインに飲みつつ、頻繁に八勝さんに注がれる「司牡丹」と焼酎もやる。鴨のベーコンがなかなか。元八勝堂の番頭・書肆ロゴスの香川さんには90年(89年?)の旭川で開催されたオール北海道大市でお知り合いになったのだけれど、この人は外見がほとんど変らず今だに若い。今日は別行動をとっていた南陽堂秀了君も携帯電話で呼び出して参加させ、総勢八名となる。飲食しながら八勝堂さんの豪快痛快な思い出話に聞き入る。話を聞いていてあらためて確認したのは、若い時から一日3、4時間しか寝て来なかったという八勝堂さんはこれまでの人生で、三十歳ほど年下の自分の人生総睡眠時間の三分の一ぐらいしか睡眠をとらずに一所懸命に働き、なおかつお酒もたくさん飲んで思う存分に遊びながら、古本界では誰もが認める成功者として今日に至っているという事実である。どんなに遅くまで飲んでも、数時間寝てシャワーを浴びれば仕事につくことができる由だ。連続睡眠を摂る競争ならこのスガも勝てるのではと自負するのであるが......、それ以外はとてもじゃないがマネできん。そして八十歳近いお年の現在も現役で、心から古本屋生活を愉しんでいるのがよく伝わって来るのだ。シャポー!である。<高田屋>というのは札幌が本店の筈なのを思い出し、「ぼくらはみんな札幌のモノです」と従業員さんに云うと、彼女は「自分は室蘭出身です」(スポーツ系のクラブ活動をやっていたのだろうか)と応じるので、「ぼくは室蘭の高校に通学してました」と話が瞬間的に盛り上がる。大都会に来て同郷(ほぼ)の人間に遭うというのは、けっこう嬉しいものであるのを知る。そして頑張って欲しいと思う。まあ柄にもなく、かかる向日的かつ美しい心根になるというのは、相手が若い女性であるという要素を抜きにしては考えられないが。最後は蕎麦で〆て散開。八勝堂さん、伊藤さん、庄一氏に御馳走になる。時計は8時半。

 庄一氏以外の札幌組はタクシー二台で今夜の宿泊先水道橋グランドホテルへ。一旦チェックインして後、事業部長の提案により近くの居酒屋(名前失念、大きめ)で二次会。焼酎水割りを少し飲んだところで自分はいつのまにか熟睡。座ったまま30分ほど寝ていたそうな。1時間ほどで切り上げ、オレはラーメンを食べてく、と云うまだまだエネルギッシュな事業部長と別れて他のメンバーはホテルへ。二次会は自分以外の人が払ってくれたらしい。

 部屋は八階。入浴。ひげ剃りで頬を切り流血の惨事。上がってベッドに寝転びテレビをつけると昼間の第一回東京マラソンのニュース。零時過ぎ就寝。疲れた。