須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

月曜 歩いたのである

 2時半起床。15時現在、晴、29・3℃、湿度55%、最高気温32℃。今日も蒸す。

 トースト三枚、紅茶、水。4時半、シャワー。浴室から出て、まだ全裸のところに電話注文あり。遠藤周作『海と毒薬』。お客さん、名前伺うとシュルレアリスム研究で有名な方であった。

 5時半、家を出て地下鉄で中島公園へ。夕方になって、風やや涼し。6時、<サンセリテ札幌>というホテルに夫馬基彦、田村志津枝ご夫妻をお訪ねする(夫馬さんのサイトはhttp://www.jj.e-mansion.com/~fuma/)。3日から東北北海道を旅するが7日に札幌へ行くので一献差し上げたい、とのお誘いを受けていたのである。予約してある店まで十数分ぐらい歩くのでクルマを拾いましょうと提案したが、景色や街の様子を見たいと云われるので徒歩で行くことに。今日は昭和新山経由で洞爺湖温泉から2時間半バスに揺られて来た由でお疲れではないかと思ったのだが、どうして、自分よりもよほど元気なのである。旅の達人であるお二人は地面に足つけて歩くのを好まれるのである。歩きながら、「これは何という樹?」「あれは何という山?」「大通という地名の由来は?」「札幌の人口は今どのくらい?」「今、どの方向へ向かって歩いているの?」「市電は何処まで行ってるの?」「須賀さんの出身地は?」「いつから札幌に住んでらっしゃるの?」「東京には、いつからいつまでいたの?」と矢継ぎ早にお二人から質問が発せられる。倦むことなき好奇心なのである。やはりこれがモノを書かれる人というものなのだろう。須賀クン自身のことはまあ兎も角、札幌の地誌に関してはこれまで郷土史に余り関心なく過ごし、特に予習もして来なかった自分よりも、ところどころ田村さんの方が詳しいぐらいであった。

 狸小路に入り、ええ、これがその昔は道内の田舎に住むプラモ少年には憧れの店であった<中川ライター店>(1902年、明治35年に創業)でして、それからあちらに見えますのが司馬遼太郎がエッセイで褒めたことのある<富士メガネ>でございます、と紹介する。<中川商店>と北海道の風雪に耐えて来た感のある看板の掛かった店に入ると、喫煙具はもちろん、プラモデルやモデルガン、ナイフ、手裏剣、手錠、マスク、アーミー帽など雑多な玩具関係のミニ<ドン・キホーテ>的ゴチャゴチャな品揃えで、これには「おもしろいね〜」と云われ、ああ、自分も少しは札幌観光のお役に立ったかしらん、と思う。途中、「狸小路神社」にお二人がお賽銭を収めて参拝するのに便乗して自分も手を合わせ、予約してあった狸小路市場内の居酒屋<だいふく>に。昨年6月に薫風書林、KT氏と来て以来二度目。

 エビス生ビールで乾杯、続いて日本酒。ソイの刺身、イカの山ワサビ和え、タラバ蟹の酢のもの、枝豆豆腐、鮭のハラス、夏秋刀魚の塩焼き、漬物、などを戴く。

 「冷やモッキリ」というのが酒のメニューにあるところから「もっきり屋の少女」の話になり、夫馬さんが25歳の時につげ義春さんを訪ねてインタビューをした思い出、そして、田村さんがその昔、藤原マキさんの本を読んだところ、舞台が何かご自分が住んでいる場所と似ているなと思いつつ読み進めたが、最後に、同じ団地に住んでいることが判明し、不思議な偶然に驚いたという話に。夫馬さんは『現代の日本』(?)という雑誌に現代日本漫画家論を一年間連載の予定で、その第一回につげ義春を取り上げたが、雑誌がつぶれ第二回で止むなく連載が頓挫に至った由。つげさんが水木しげるさんのアシスタントをやっていた時代の話だ。

 そのつげさん訪問時にも話題になったという井伏鱒二、それから太宰治他の井伏一門の作家がお好きとはエッセイを読んで知っていたが、花田清輝への評価も聞いて嬉しくなる。学生の頃はちゃんと花田を読みもせずに◯◯が上と思っていたが、ヨーロッパやアジア放浪して後、後年になってから読んでみると花田の方が断然優れている、と思われた由。特に「鳥獣戯話」は小説とエッセイを融合させた最高の文学作品と云われる。自分、目を通したのは「復興期の精神」と「室町小説集」のみなのであるが、自分の知人にも花田清輝好きがいて(http://www3.gimmig.co.jp/hanada/)、おっ、自分の数少ない知り合いには偶然なのか必然なのか花田清輝好きが多いな、と分かり、それをオモシロイと感じたわけである。

  田村さんがご本「若山牧水 さびしかなし」を書かれるに至ったエピソードも聞く。正直、田村さんの本は一冊も所持しておらず、その前に第一読んでもいず、台湾映画などにも不案内の自分は、のこのこ御馳走になりに来る資格ありの人間なのか、という戸惑いがまずあった。またノンフィクションを書かれる女性作家ということで、かなりコワい人なのではという不安もあったが、これは杞憂で安堵、優しい方だったので、愉しく(自分のみかもしれないが)飲酒できたのである。牧水は自分も興味のある人なので頭の中の読書予定ノート(ほとんどが計画倒れ)にチェックしておく。

 9時半、場所を変えてというか、もう一軒ヒジョ〜に安い店がありますからと半ば強引に三宅マスターの店、6、7分離れた<焼鳥じゃんぼ>にお連れして、瓶ビール。持参した夫馬さんのご本三冊「金色の海」、「美しき月曜日の人々」、今年6月に出たばかりの最新作「按摩西遊記」にサインして戴く。「美しき」には「北の星 須雅屋さんへ 夫馬基彦」と。この本、実は正確には自分の所有している本ではなく、A本屋さんから1年以上無責任に借りっ放しにしているものなのだが、これでいよいよ返却不能、売ってもらい、晴れて自分の本にするとしようぞ。「美しき」の内容で気になっていた二点を質問。帰り、コンビニでオニギリを買われた夫馬さんに、これはあなたにと、明太子オニギリを一ヶ戴き、ホテルまでお送りして握手でお別れ。10時半となる。

 さきほど夫馬さんご夫妻が、その行列に大変興味を引かれたらしき斜め向かいのジンギスカン屋<だるま>の前を通って、また<じゃんぼ>へ戻り、冷や酒二合飲む。音楽はJ・コルトレーン。お勘定950円を済ませ、11時半過ぎの地下鉄に乗る。いつのまにやら眠っていたらしく、目を醒してみると、降車駅南平岸を二駅過ぎた自衛隊前、まあいいさ、真駒内まで行って麻生行きで引き返せばいい、と高を括ってそのまま乗り続け真駒内駅へ着くと、「ご乗車の皆様〜、・・・・麻生行き方面は本日終了しております〜。」との鼻にかかったアナウンス。自分は膝から力が抜けてへなへなと崩れ落ちそうになるのを堪えたのである。

 それから自分は歩き出した。ただ歩いたのである。平岸方面へ向かって歩いたのである。右側に地下鉄高架が空中を通り、左側に自衛隊基地を囲んで延々と続く柵に沿ったほとんど真っ暗な舗道を歩いたのである。「歩き疲れては、/夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである/草に埋もれて寝た」かったのであるが、寝たら死ぬと思い歩いたのである。タクシー乗るなんて十年早いや勿体ないやと歩き続けたのである。自衛隊の皆様、明日も早朝からお勤めご苦労様です、それまでどうぞ安らかな眠りを、と左側の闇の中に横たわる建物に向かって挨拶し、そして「自衛隊に入ろう、入ろう、入ろう」と一人歌いながら歩いたのである。自分を励ましながら歩いたのである。夜の行軍をしたのである。そして1時半に帰宅したのである。そうしてそれからすぐに服を脱いで夜具に倒れたのである。