須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

悪夢を見そうな....

 2時起床。12時現在、晴、4・8℃、北東の風1m/s、湿度62%。今日日中最高気温6℃。

 第一食、鶏即席麺、カフェ・オ・レ、冷水。郵便局へ行き、<ぱるる>から14800円、振替講座から5570円をおろし、<農協>で9月分家賃半分32500円、<ローソン>でNTT二回線分3843円を払い、<Maxvalu>で食料684円(ナットウ3、トウフ2、うどん2、牛乳)とジップロック・コンテナ198円、計882円を買い、4時過ぎ帰宅。紅茶。

 先週注文のあった池田得太郎の「家畜小屋」(昭和34年)。昨日入金あり、今日発送しなければならないのであるが、以前からちょっと興味がある小説で、それに次に入手するのは何時になるかも分からぬので、表題作のみ大急ぎで読んでみる。収録されているのは「家畜小屋」「鶏の脚」「女神像」の三作。元来の所有者であった妻の話によると、後に出た深夜叢書版ではこの元版の中央公論社版から「鶏の脚」一篇が割愛されている由。作者はたしか、福田章二が中央公論新人賞を「喪失」で受賞した時に、表題作で次点であった人。読むのが遅い自分としては珍しく一気に読了。内容はある程度知っていたのであるが、読み進めて行くと、爽やかさのひとかけらもない、密度の濃い、執拗な、粘着質の文体によって、血の滲んだような空と地面に汚物と臓物がばらまかれたような風景が描かれる内蔵感覚的な夢魔のごとき小説。が、所々思わず吹き出す場面あり。過激な物語の滑稽の果てには実存という言葉も浮かんで来る。文体に初期大江健三郎の影響があると思われるが、その大江さんが何処かで、日本の文学にはついに生まれなかっただか、成立しなかっただかと述べていたグロテスク・リアリズムの傑作ではないだろうか。テーマ、設定、トーン、まるで違うが、同じく屠殺場で働く主人公が描かれる作品として佐川光晴「生活の設計」があり、これは読んでみるとさすがに実際に作家が職業として経験しているだけあって、作品後半に出て来る屠殺の場面はみごとなものであり、小説としてもリアルで面白く、爽やかでさえあり、また技術から見ても「生活」の方が優れているのだろうが、徹底して荒唐無稽である「家畜小屋」は有無を言わせぬ迫力という点では勝っており、より長く印象に残る強烈な作品だと思う。「女神像」のエピグラフとしてロバート・ペン・ウォーレン「天使の群れ」からの引用が掲げられているところをみると、当時、荒地出版社から出たばかりの「現代アメリカ文学全集」を読んでいたようである。勉強家であったのだなぁ。倉阪鬼一郎氏によると傑作はこれ一作のみという不思議な作家。7時過ぎに読み終え梱包発送。

 ニュース。ネットでDIONのニュース映像を見る。東京都職員の黒田さんと礼宮さんの結婚式。披露宴で石原知事がベルクソン引用して祝辞を述べる。披露宴の入場曲はカノン。島田雅彦さんは感動したのではないか。しかしお辞儀の仕方はどんなモデルよりも決まってますな。

 食料調達と立読みから帰った妻の話では<文教堂>(札幌に同名の古本屋さんもあるが、これはあの有名新刊本屋)で、女性作家のコーナーに内藤ルネの自伝が置かれていたそうな。まあ、それはそれで一概に間違っているとも云えないのであるが。
 <日本>へ12点UP。1時から2時半入浴、ヒンズースクワット50回。妻が食事の準備を完了したところで、今日はメシ食わんで寝る、と宣言したのが原因で家庭内険悪となる。少しは早く寝て早く起き、生活を立て直そうという前向きな意欲からの計画であったのだが、いやぁ、人と人との関係は難しく、そして恐ろしいものである。そう云えば今年の春であったか、八十代の夫が七十代の妻の作った夕食のメニューに、多過ぎる、と文句をつけ、じゃ食うな!と言われたことに激昂した夫が妻を殺害したという事件が札幌市内で起きている。逆のケースが発生しないとも限らない。というわけで今日は何も食わず、水を飲んで3時に横になるが、なんとスリルとサスペンスに満ちた睡眠であることよ。就寝後、濡れ手拭いが顔に被せられるのではないかという恐怖を感じつつ。ヘンテコな小説を読んだことだし、ああ、悪い夢を見そうな予感。断酒。