須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

冬がこわいのだ

  午後5時目覚め。6時起床。

 こんなふうに夕方に起きた時はよく  
 『夕ぐれに眼ざめてはならない。すべてが
  遠く空しく溶けあう 優しい暗さの中に
  夢のつづきの そこはかとない悲しみの
  捉えようもない後姿を追ってはならない。』(清岡卓行うたた寝」全行)

という美しい詩を思い出す。が、これはタイトルが「うたた寝」で作品内の話者が夕ぐれに目覚めるのが極たまにであるらしいのが読者に察せられるから美しいのであって、毎日のように朝方寝付いて十分に「本眠」を貪ったイギタナイ中年男が感傷に浸ってこの詩を口ずさんでいる風景は決して美しいとは云えないであろう。
 6時現在、くもり、19・6℃、湿度55%、北北西の風3m/s。どうりで快適に眠れた筈である。妻の特製ラーメン、カフェ・オ.レ、冷水にて第一食。

 <楽天>より9日ぶりに注文一件。アプトン・シンクレア:淺野三郎訳「マナサス」全2巻(昭和16年 初版 アルス刊)カバー付。売価一萬四千円。胸に希望の灯が灯る。現在ではまったく流行らないようだが、著者は戦前から戦後まもない頃、ずいぶんと翻訳紹介されたアメリカの作家。むろん自分は読んではいないが、この作家の「人われを大工と呼ぶ」(昭和5年 新潮社世界文学全集2期第8巻 同作家の「百パーセント愛國者」併録)を読んでドタバタに開眼したと筒井康隆氏は「突然変異幻語対談」(柳瀬尚紀共著 1993年 河出文庫)で熱情を持って語られている。つまり作家筒井康隆の誕生に少なからぬ影響を与えた存在と云い得るだろう。筒井氏によると「人われを大工と呼ぶ」はハリウッド映画界が舞台の小説、で、この「マナサス」の方は副題が「南北戦争」となっているのだから、まあ、そういうお話なんでしょうな、たぶん。ご注文のお客さんは以前、紙のカタログでお買い上げ戴いた方であったが、こちら金がないのでやはり代金先払いでお願いすることにして、その旨返信する。

 古本のネット販売市場に参入したのは2月、当初の目論見では、秋の今頃にはかなりの余裕ができていた筈で、君、これで服でも買いなさい、と妻に一万円札で膨らんだ紙袋を与えたり、まっ、たまにはいいではないか、君、と泊り掛けで温泉に小旅行へ出かけたりする予定であったのだが、如何せん売上げ芳しからず、以前と変らず安酒も満足に飲めないばかりか、テレビジョンが故障し、せめてそのテレビ音声だけでも聴くべく使用していた購入後二十年の星霜を経たラジ・カセの野郎までもが近頃オカシクなり始めており、日によってニュースが受信できたり出来なかったりという情報弱者にまで成り下がり、さらにまた2月の末に壊れたストーブ修理の目処もついていないというテイタラクなのである。すでに9月、残すところ四ヶ月、異常な貧乏から脱出して、なんとか普通の貧乏になるのが本年の目標であったが、まだ何も成し得ていない、日暮れて道遠しの感がじわじわと強い昨今ではある。「・・・ああ、むごたらしい事を考える。俺は悲惨を憎悪する。/冬が慰安の季節なら、俺には冬がこわいのだ。」(ランボー小林秀雄訳「地獄の季節」)

 と、我が身の置かれた境遇を慨嘆してみせた割には、妻が手書き自家目録のコピーをとりにコンビニへ行ったのをこれ幸いと、ネットをあちらこちら覗いたりなどして仕事進まず。で、妻の蔵書他4点のみを<楽天>へUP。1時から入浴の後、第二食。顎がまだ少し痛む。午前4時から日記を書く。
 朝9時横になり寝床読書、10時就寝。断酒。