須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

もう秋か。それにしても、何故に、また本屋が消えるのか。

 午後6時起床。正午起床の予定であったが、さすがに寝過ぎた。疾しいを通り越して何か、自分が大物になったような錯覚まで覚える。18時現在19・5℃、湿度49%、西北西の風3m/s。本日は道内のいずれも25℃を超えなかった由。
 第一食は珍しく納豆と卵で御飯、それと甘納豆、番茶、紅茶。ブログあちらこちら。9時前から日記を書く。
 12時半シャワー、上がって脱衣場にいるところへ帰宅していた妻が、そういえばね、云うの忘れてたんだけど、と話しかけてきた。実家で読んできた新聞の記事によると地下鉄大通駅真上の三越隣にある<丸善>が移転するのだという。この数年で、<パルコ>から<冨貴堂ブックセンター>が撤退、<旭屋>は札幌駅の<JRタワー>へ移転し、<東京堂>(札幌本社)も<ロビンソン>から撤退、<成美堂>は閉店廃業と、薄野、大通界隈からどんどん新刊書店が姿を消している。『北海道新聞』のHPを調べてみると下記の記事が見つかった。

《札幌南1条店10月閉店 丸善が苗穂へ移転、増床  2005/08/31 07:18
 書店大手の丸善(東京)は三十日、六十年間営業を続けてきた札幌南一条店(中央区南一西三)を十月十六日に閉店し、十一月にも札幌・苗穂地区のショッピングセンター(SC)内に移転、増床すると発表した。丸善がSC内に出店するのは初めて。南一条店閉店で、札幌・大通地区から店舗面積千平方メートル級以上の大型書店はすべて姿を消すことになる。
 札幌南一条店は売り場が五つの階にまたがり、《1》柔軟・効果的な商品陳列ができない《2》各フロアで会計が必要で不便−などの欠点がある。また、JRタワーが二○○三年にJR札幌駅に開業したのを機に、大通地区の複数の大型書店が相次いで駅前に移転し客足を奪われていた。
 移転先は十一月にも苗穂地区に開業予定の大型SC「アリオ札幌」(東区北七東九)。新店舗は平屋形式で、売り場面積は現在より一割強広い二千平方メートル前後。主ターゲットは家族連れ。専門書の品ぞろえを減らし漫画や児童書を増やすほか、現在、店舗面積の一割程度の文具売り場を大幅に拡充、同社として前例のない売り場構成とする。(以下引用者省略)》
 ここにはないが紙の新聞の方には「とても寂しく、また深刻に受けとめている」意が同じく大通駅に隣接している<リーブルなにわ>の談話として掲載されていた由。<丸善>というと梶井基次郎は云うに及ばず、芥川や武者小路など近代の文豪の作品にしばしば登場した場所であり、他のどの本屋にも増して自分のような田舎者には、「伝統」「文化」というものを燦然と背負っている存在に思えていたものである。苗穂というのは住まわれている人には悪いが、都心からはかなり外れたあか抜けない土地で、いくら<丸善>のカバーが好きだからといって、わざわざ出向いて行きたい場所ではないのである。待ち合せの時などに気軽に入って時間を潰せる場所として貧富に関わりなく利用できた空間が失われて行くのはビンボー人としても寂しいし、また新刊本の実物を実際に手にとって見られる場所が減って行くのは、作り手、売り手、読み手、それぞれにとって、やはり決して健全ではないだろう。と、いつになく自分は真面目に思った。しかし、こうなると儲かっているのは<Amazon>と<ブ>ということになるわけなんざんすかね。
 第二食後、また日記を書く。7時から発泡酒1本、次いで酒カップ1本飲みながらネットあちらこちら。

 昨年末に知人のFさんからパソコンをプレゼントされ、今年1月半ばにネットに繋がり、本格的にあれやこれや見始めたのは2月から、それから、さあ、いつであったろうか、文芸誌の広告を見ている時に(今調べてみるとおそらくは『文学界』3月号であるらしい)、執筆者名の中に、おやっ!と目を引く名前を見いだしたのであるが、同姓同名だろうと特に確かめもせずに放っておいた。が、9月1日の「ナンダロウアヤシゲな日々」を読むと、その作者がどうやら自分が知っている人と同一人物であるとみて間違いないのを確認した。その人とは『群像』9月号に「どうで死ぬ身の一踊り」を掲載している西村賢太氏。かねて知っているとは申しても面識があるわけではなく、かれこれ十数年前に本を買って戴いただけの関わりなのであるが、たしか神田のK書店にて送付してあった須雅屋目録をご覧になった西村氏が、そのままKさんから電話注文を下さったように思う。それは文学史的に無頼派に入る或る作家の売価1万円の本であった。その後『田中英光私研究』という雑誌を何冊か出されていた筈で、無頼派作家の蒐集に熱心なマニアで、かつ在野の研究者とも云うべきお人なのだな、と遠く札幌から見なしていたのであるが、無頼派を通り超して全集を企画(?)するまでに藤澤清造に惚れ込み、なおかつ清造にも関わる私小説まで書いていたとはつゆ知らず、ちょっと驚いた。だが、驚いたのは自分だけで、本人にとっては至極当然な成り行きであったのに違いない。粗筋の紹介を読むと、本を集めて研究するだけでは収まり切らない何かを抱え込んでいた人なのだろう。と、思ったことである。主人公が女を殴ったりしてるんだって、私小説なんだってさ、と妻に教えると案の定、それでよく殺されなかったわね、と返ってきた。
 行方不明であったニューオリンズ在住のファッツ・ドミノは生存が確認された由。午前10時半就寝。就寝。