須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

帰ってきた清水哲男

 7時起床。晴。本日は札幌古書組合の交換会。労働にそなえ、昨日妻が作り置きしていたおかずと米飯でしっかり朝食。カフェ・オレ。インコの水を取替え、8時10分近く出発。予定では8時に家を出て優雅に夏の朝を歩いてゆく筈であったのに、地下鉄南平岸駅までを走る羽目に。朝から蒸し暑し。駅の向かい<Maxvalu>前で待っていた<M黄書店>さんのクルマに乗り込む。待ち合せ時間に1分遅刻して8時16分。M黄さんは真面目な人なので、時間から5分以上経つとそのまま発車してしまうことがある。心配していたが、まだ停車しているクルマを見た時にはほっとした。これは交通費節約のため、自宅が近所のM黄さんに頼んで相乗りさせてもらっているのである。もう服の背中には汗が沁みているのが分かる。予報では本日最高気温30℃の真夏日なり。

 車中雑談。昨日のS大ガールのファションについて報告。「古本買い十八番勝負」を半分まで読んだ由。M黄さんは読みたい本を新刊で買うんだからエラいもんだ。自分などは新刊書を買ったのなぞいつだか覚えていないぐらい。そう言えば昨年末に1冊買ったな。8時半前、頓宮神社着(南2西3。テレビ塔の比較的近くです)。

 すでに薫風専務理事と事業部員の何人かは集合、待機していた。その中に三十台のスーツ姿の見事な髯を生やした見知らぬ人がおり、噂に聞いていた新規組合加入者の<スズラン>さんと知れる。可愛らしい店名の由来は北海道の植物他、自然科学の本を主に扱いたいからの由。札幌組合では初のネット通販専門の加入者。

 ほどなく赤帽さん2台到着。全員で荷物をおろし台車に積んで、2階の会場へエレベーターで上げる。今日のメインは先月、薫風書林から聞いていた函館のK・Tさんからの預かり本が引っ越し用ダンボールで60箱。他の出品はさほどでもないだろうとふんでいたら、けっこうな量がある。そういえば毎年、新事業部での交換会1回目にはそこそこ荷が出るのであった。60箱は、2階エレベーター前の休憩スペースに置き、その他は借りている会場内に運ぶ。

 薫風と自分は、M黄さん、ブックス21の番頭大西夫婦に手伝ってもらい、60箱を専門に仕分け。後から来た事業部員以外の人もどんどん、「いやー、早く来て失敗したな」と言いながらも助けてくれ、最後には十数人で作業。お客さんの事情により、箱の中はごちゃごちゃ、わやくちゃ、分野も何もあったもんではなく、雑然混沌と詰まっている。詩集、漢詩、小説・研究書その他、外国文学・洋書、文庫・新書、将棋本、雑誌類、に分けてゆくが、なかな進まず途中何度か挫折しかかり、ああ、もう面倒くさい、そのまま箱の中身ごと縛ってまとめてゆくか、と思ったが、「やりましょう」「がんばりましょう」という薫風の声に励まされ、縛った物を積み上げて会場内に3口、その他は廊下に25口に分けてほとんど平積みで並べ、なんとか11時に終了。廊下は普通第1回開札だが今回は最終開札とする。須雅屋が店仕舞いする時に東京の市場へ送ったのがダンボール90箱であったのだから、アバウトな仕分けとはいえ、2時間半で形にできたのは上々。これも皆さんのご協力のお蔭。

 会場内の本は見ている時間なし。11時半から第一回開札。K・T本の将棋の山が7万以上になってうれしい驚き。一応、発声係(落札価格と落札者を読み上げる)なので、第1回、第2回と発声をやり、廊下のK・T本を見て歩く。いくらなんでもこれでは落ちないだろうという数字を書いて止め札代わりに入れてゆくが、延べ勘定がきくとはいえ、もしも全部落札した時の支払いの圧迫と疲労のため入札意欲湧かず、4口だけ入れてやめてしまう。

 このK・Tさん、売り買い共によく知っている人なので自分は何とも思わないが、他の皆は一度に出た量と、中でも全体の半分ほどもある詩(大半が現代詩)の本の多さにいささか唖然としているようである。10年ほど前の冬、まだ店舗のあった須雅屋に初めて現れ、詩集の棚を見つけるやへばりつき、ほどなくバタバタと本を床に積み上げ始めた男がいた。何をやろうとしているのか、何が起こったのか、しばらく自分は分からなかった。展開されている光景が信じられなかった。やがて作業に区切りをつけたその男が、詩集を両手で抱えて帳場に何回かに分けて持ってきた時は感激した。大ダンボール一箱分、金額は7万円弱ほどになり、「10年店をやっていますが、こんなに現代詩の本が売れたのは初めてです」、と喜びを率直に伝えると、「僕もこんなにまとめて欲しかった詩集が買えて嬉しいです」、と客は答えた。得意客になりそうな人には出していた下心の紅茶をいれると旨そうに飲み、たまたまあった定山渓土産の温泉饅頭をむしゃむしゃ食べながら話す、それがK・T氏であった。今回よんどころない事情で処分した本は自宅にあった分の3分の2ぐらいではないかと思う。それにまだ研究室にも置いてあるはずだ。

 12時半最終開札。期待していなかったのに3口を約3万で落札。だから、ドキドキ鼓動が速まるなんて純情なことは全然なかった。詩集の残りはほぼ、<K堂>さんと<K口書店>、<H光書房>、<A本屋>さんの4軒に落ちていた。K堂さんは一口のみ買っていたが、80年代以後の入澤康夫詩集のほとんどが含まれていて一番いい山であったかもしれない。さすがに目がいい。本をダンボールに仕舞い込んでいると、「スガさんにやられた」とSさんが何度か未練がましくこぼすのが聞こえてくる。この人、須雅屋の十万倍ぐらいのお金持ち。中に何冊か入っていた谷川俊太郎の新しいところを欲しかったようなのであるが、こんな安札でヤッタもヤラレタもあったもんじゃないのだ。ちゃんとフメば買えるのに、うまく安く買ってやろうとするから落ちないのである。「一口モノの市は買ったもん勝ちですよ」、と、その昔、石神井さんから教わったことがある。スペースと金が許せば、できることなら詩集は全部買いたいぐらいのもんなのであるが、その両方に恵まれてないので、止め札まがいの数字しか入札できなかったというのに。

 入札者なしであった雑誌の山、ダンボール8箱ぐらい、ボー(売買不成立)だったら引き取ってくれと薫風に言われていたがウチにはとても格納できそうにないので、新人のスズランさんにもらってもらう。整理すれば1箱ぐらいは活かせるだろう。少しはよいこともないと、新人一回目から今日のようにこき使われては、次回からセリに来なくなってしまう怖れがある。

 K・Tさん本は全部で約34万になっていた。薫風が2万くれる。これはK・Tさん60箱分を須雅屋との共同預かりとしてくれたため。元々、ウチ専門に本を送ってきていたお客さんなのだが、スペースの都合等で薫風に移行したという経緯があるので、それ故の彼なりの配慮であり、ありがたく戴く。A本屋さんからも6万円もらう。こちらの方は事業部員としてのこれから一年分の慰労金。自分はいわば準事業部員という微妙複雑な立場であり、戴けるかどうかとても心配していたので、これは実に嬉しい。何か珍しく持ち慣れない大金を手中にしてしまった感じ。ぐふふ。

 じゃんくさんより、唐沢景子さんからのプレゼント、唐沢通販「UA!ブックス」2冊渡される。薫風の娘さん桃ちゃん(19歳)のマンガ「ドン底少女サトミ」シリーズも掲載されており、薫風君はすぐに見ていた。やはり、当たり前だが、娘が可愛いもんなのだな、と思う。薫風は今朝東京へ漫画家目指して旅立った、桃ちゃんの支度につき合って、1時間しか寝ていないそうな。今度会う時にはお爺ちゃんと呼ばれる運命が彼を待っていたりして。

 赤帽車に配送の荷物積み込みんでいる最中、伊藤赤帽で8年ほど働いているオニイさんの髪が薄くなっているのが気になった。また、<R平岸さ>んに殿様顔とかつて讃えられた小樽の<I書店>さん、最近は見惚れるような銀髪となり羨ましく思っていたのであるが、今日話していたら、額の面積が以前より広くなっている。ああ、時は残酷だ、人生は悲しい。彼らには不老林や薬用アポジカを買う余裕があるから、まだ救いがある、戦うこともできる。だが、自分は.............ひたひたとわが身に忍び寄る脱毛の恐怖。

 1時半過ぎ終了。神社近くの某ビルへ寄り、某金融機関に1536円支払い済ませ、ついに完済。最後まで女子事務員は能面のような顔を崩さず。札幌駅方面へ歩き、三井住友銀行で某金融機関へ5千円振込み、こちらの残はあと1万5千円となる。大通りへ戻り、みずほ銀行クロネコヤマトへ1680円送金。地下鉄で南平岸へ戻り、<Maxvalu>で買物。蛍光管、電池、食料。3時前帰宅。すでに市場で買った本7箱が到着、部屋のドア前に積んであった。明治古典会七夕大市入札カタログが新聞受けに入っていた。今の自分にはほとんど関係のない世界のものであるのは寂しく悔しい。

 一服していたところへ、今日将棋の本を買った<H書店>さんよりクレームの電話。「薫風君に電話したら、スガ君へ話してくれって言うからさ」と開口一番Hさん。450冊のうち70冊の見返頁が切り取られていたので、1万値引きして欲しい由。3、4万引けとか、あるいは全部返品したい、と言い出すのではないかと一瞬焦ったのであるが、1万ならば自分の手数料2万に影響はないとみて、即OK。薫風は難事をすぐこちらへ廻してきたらしいが、寝不足と疲労で対応する元気がないのだろうから、まあ、仕方あるまい。

 夕方「カミングス詩集」をあちらこちら探し、発見に1時間を要す。それからアンパン2ヶ、トースト2枚、紅茶を摂取した後、玄関前の踊り場に放置していたダンボールから今日買った本を移動。玄関内部、家の廊下が以前から置いてあるダンボール、書棚、本で極端に狭く、箱のまま運搬するのは困難で、本を十冊ぐらいずつ持ち運び、寝室の普段自分が横になっている場所に置いてゆく。最後にダンボールをたたんで重ね、ガムテープで固定。7時から始めて2時間半、9時半に終了。

 これは午前中に市場で本を箱から取り出していた時から、自分だけが(当たり前である)気づいていたのであるが、見覚えのある本がずいぶんと多いのだ。K・Tさんが須雅屋から買った詩の本である。入札する時はさして注意していなかったのであるが、落札した山、玄関外から運びながらじっくり見てゆくと、谷川俊太郎の他に清水哲男清水昶兄弟の本がたくさん。ことに清水哲男が十数冊あるのは嬉しい。それを1冊1冊見て行くと、かつて須雅屋にあった本が6冊。なかでも懐かしいのが、詩集「喝采 水の上衣」(昭和49年 深夜叢書社)、詩集「スピーチ・バルーン」(昭和50年 思潮社)、詩集「野に、球。」(昭和52年 紫陽花社)、詩集「雨の日の鳥」(昭和53年 アディン書房)。第一詩集、第二詩集を納めて復刊した「喝采 水の上衣」は上京した昭和50年に神保町の<三茶書房>1階にて入手し、その他3冊は新宿の<紀伊国屋>でそれぞれ新刊が出た時点で買った筈である。弟の昶氏の、現代詩の中でも代表的といえる暗さにひかれていた自分は、現代詩文庫の解説で、その実兄も詩人であることを知り、機会あれば読みたく思っていたが北海道の田舎ではどうにもならず、<三茶書房>の棚にその名前を見つけた時は興奮した。まだ現代詩文庫に清水哲男が納められる以前の話である。古本屋を開店するに際し、自分の蔵書を参考書になる一部を覗いて全て並べたのだが、これらを含めて現代詩の詩集はK・Tさんが来店するまでめったに売れなかったのである。自分にとって小説はさほどでもないが、こと詩集に限っては、現代詩文庫と元の単行本で読むのとでは受ける感じがちと違うようなので、久しぶりに戻ってきて再会できた清水哲男さんはほんとうに懐かしく、喜ばしい存在だ。やはり、あの3口の山は須雅屋に買われるべき運命にあったのだ、と自分は自己満足したのである。
 シャワー後、ウィスキー水割り。

 寝る前に、鳥の水を替える。自分は妻ほどインコ語に習熟していないので、籠から出してあげた老鳥が何を求めているのか今ひとつ分からず、もどかしい思いをする。水飲みを差し出すと逃げる、エサ入れを差し出すと、何か?という顔をする、指を差し出すとガブッと齧り、イライラしてくるのである。

 日ハム9×ロッテ5。巨人0×横浜3。MLB、松井9号、3割復帰。

 本に塞がれ寝場所なく、今日は妻がふだん使用している押入れベッドに就寝。5時。