須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

黒川紀章のビルと友がエラく見える日

 午後1時起床。晴、部分的時間的に曇り。4時前郵便局行き、郵便振替の妻口座と須雅屋口座から金おろし、一旦戻り、4時半に外出。

 <Maxvalu>で発泡酒350ml2本買い、地下鉄で札幌駅まで、下車して徒歩5分、<大同生命ビル>着。3階4階の<大同ギャラリー>で開かれている小樽の画家Mさんの個展を見る。

 このビル、若尾文子のダンナ、黒川紀章の設計により30年ほど前に建てられた物であるが、施行前に交わされた設計者との契約により、外壁に看板行灯の類は一切設置できない。また、ビルの下から三分の一ぐらいの高さ、ちょうど三階部分を囲むぐるりが、数メーターの幅で連なる巨大なプランターを思わせる庭園になっていて、草花や樹木が植えられており、見た目にも爽やかである。が、自然との調和を目指したと思しきこの試み、当時の札幌では斬新であったが、ほどなく失敗であったと悟った、と後に黒川紀章は語っているらしい。というのは、秋の末から翌年の春にかけての1年の三分の一は、人の目を楽しませる緑なんぞは何処かへ消えて、葉が落ちて裸になった寂しそうな木々か、またはムシロなどで冬囲いをされた上に積もった雪が見えるだけだからだ。北海道の風土を甘く見ていた設計だったのである。ただし、以上は黒川紀章本人から直接取材して得た情報ではなく、このビルのオープン当時にテナントとして実家の釜飯屋が入っていた自分の友人(現在は洞爺湖温泉でお土産屋兼食堂をやっている)から聞いた話であるので、真偽のほどは保証の限りではない。

 Mさんの個展は、ほとんど小樽近辺の山や草原、林、海辺などの風景画。昔書いていた、ルネッサンス時代の宗教画みたいな絵よりも、今の方が自分好み。中でも冬の風景がいい。同じ雪景色でも、初冬から春近くまでの、吹雪の時、吹雪の後、冬の夜明け、雪解け等の風景が、時間と共に変化するその空気の色まで丹念に描かれている。スペースと金があれば、買っておきたい絵もある。

 見終わってソファに腰掛け、発泡酒飲みながらMさんと話す。いささかショックな話ひとつあり。自分と同レベルの貧乏とばかり思い込んでいた◯◯書店さんに遺産が入ったというのだ。何年間か行き来が途絶えていた◯◯さんから、つい最近電話があり、「借りっぱなしになっていたモノを今度返すよ、金が入る当てができたんだ」とえらく明るい声で言ってきたそうな。のみならず、この個展に現れて絵も1枚買ってくれ、今自分がいるソファに腰をおろして、「5年から10年食える分の金が入る、遅ればせながらパソコンを買ってネット販売を開始し、目録もまた出すヨ、東京の市場へ仕入れにも行くんだ、ようやくオレにもツキが回って来たぞ」などと、これからの展開と夢を熱く語っていったというのだから、豪気な話だ。そういえば、この会場の絵のうち何枚かに売約済みのマークが付けられており、会場費が出そうでよかったな、と眺めていたのであるが、その1枚が自分と同じ貧乏人と今の今まで見なしていた◯◯書店さんが買ったものとは.............愚かであった、浅はかな自分であった、◯◯書店さんはもうすでにリッチマンへの道を歩み出していたのだ。そうとも知らず自分は..............ああ...........ああ、う、ら、や、ま、し、い、心の底から身体の底から................

 もっとも
「あんなに元気になるなんて、お金が入ると変わるね、人って、ってカミサンと大笑いしたんだよ」
「へえ、貸してたもんが戻ってきてよかったですね、Mさんも」             
「でも、 まだ絵のお金も貰ったわけじゃないし、そっちの方もどうなるか分からんけどね」
というわけで、Mさんはまだ半信半疑のようであったが。

 6時、閉場後、知人に一席招待されているMさんと大通まで歩き、待ち合わせ場所である<リーブルなにわ>へ。自分も誘われたが、高そうな所へ行くようなので遠慮。雑誌コーナーで『抒情文芸』夏期号、『群像』、『新潮』、『文學界』ざっと立読み。松浦寿輝星野智幸陣野俊史の鼎談「村上龍『半島を出よ』を読み解く」(『文學界』)。戦後において、ある作家が同時代の作家をこれほどまでに評価したことがかつてあっただろうか、と思わせるほどの誉め讃え方を松浦寿輝がするので、ちょっと驚く。

 『抒情文芸』、詩と俳句の入選欄それぞれに猫叉木鯖夫の名前確認。本人から聞いたところによると、雑誌を開くまでは、「今号における猫叉木鯖夫の出現は一つの事件と言うべきであろう」という選者坪内稔典氏のコメント付きで、晴れがましくも本欄の方に猫叉木俳句が5句ぐらい一括で掲載されているのではと、不遜にも期待していたようなのであるが、あえなく目論見はずれて入選欄に一句であった由。『抒情文芸』への俳句は初めての投稿となるが、作句は5、6年前からであるそうで、ご当人としては、石田波郷と富澤赤黄男をアウフヘーベンした境涯前衛俳句を目指していると言う。猫叉木は本欄の句を読んでみたが、同じく初登場の森◯◯さん、常連のうにまるさんの2句ずつ計4句はいいと思ったが、他の6句はどうもピンと来なかったそうだ。ちなみに猫叉木鯖夫とは韻文用のわがペンネームなり。馬鹿だねー、この男は、いい年こいて。少しは金儲けを考えろっつーの。

 単行本は題名にひかれて玄月山田太郎と申します」のみ手に取ってみる。短編集であるが、タイトルと同名の作品は入っておらず(連作短編の主人公がこの名前であるらしい)、ありゃ、へへへ、エサに釣られたわい、と思いながらも末尾の5枚ほどの「ある地方都市の」だけ、目を通してみる。関西のある街の立ち食いうどん屋での話だが、とってもリアル、視点のこのフラットさがいいね。カバー折返し部分の著者近影には坊主頭の後ろ姿しか写っておらず、アヤしさ200パーセント。気がつくと8時20分。いうまでもなく、すでに詩集コーナー前にいたMさんの姿はなかった。

 南平岸Maxvalu>で米「ななつぼし」5kg1490円、厠用紙348円を買い、9時帰宅。入浴。Mさんがお客さんから貰ったのを恵んでくれた<きのとや>の「札幌スフレ」と<DOUTOR>のアイスコーヒーを喫す。発泡酒1ダースには値しそうだから、効率よく回収したというか、何か悪かったかなあ。

 <ラクテン>へホンヤク11点UP。夕方の発泡酒の他は断酒。明日から札幌夏まつり。