須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

5月29日 日 コクトー展でゲイジュツする

 1時半起床。暖かく快晴。最高気温23.7℃。本年に入っての最高を記録。

 3時家を出る。南平岸駅まで下る坂、歩くのが心地よい。地下鉄西18丁目で下車、3時40分、道立近代美術館着。5時まで「コクトー展」を見る。最終日とてなかなかの人入り。中にガイジンさんも目につく。四半世紀前、札幌に住み始めた頃は、たまに異国の人を見かけると、おお、Foreigner!と胸の内で叫んだもんであるが、今ではすっかり当たり前の風景になってしまった。

 よく知られたペンや鉛筆の素描ばかりでなく、パステル画、油絵、タピストリー、それに陶器まで、あれこれ展示されている。さすがに学芸員が控えたのだろうか、もろ、モーホーという絵は今回の展示にはない。油絵は畳二、三枚ぐらいの大作も何枚かあり驚く。絵も決して余技ではなかった、のが伺える。詩、小説、芝居、オペラ、映画などの創作をあんだけやりながら、よくこんなに絵を描く時間があったもんだな、と感心す。いつ寝てたんだ、この男は。「大胯びらき」は若年の頃、「澁澤集成」で一読したが、その後、アラゴンを除くシュルレアリストたちがコクトーを軽侮していたのを知り、なんとなく自分も軽薄才子として遠ざけてきたが、やっぱ、この人ってスゴイ、天才といっていい芸術家でんがな、と感歎、いとも簡単に見直してしまったのである。わだば日本のコクトーになる、と若い時なら調子に乗ったかもしれない。古本屋的には、ガラス・ケースの中に飾られていた、親友堀口大學に宛てた絵入りサイン本の二十数冊、戦前来日時の直筆スピーチ原稿(大學が訳している)が垂涎もの、思わず総額を値踏みしてしまう。この初版本以外は、何の障害もなく、すべてが触れる距離に展示されてあり、この趣向はうれしいものであった。

 また、なんといっても子供連れが少ないのが、自分にはありがたかったのである。ガキが我が物顔に会場のそこいら中を走り回っていたりすると蹴飛ばしたくなり、オゲイジュツ鑑賞どころではないのだ。最後のコーナー出たところで、カタログの他、コクトーの絵入りの皿やカップ、ブローチ、ネクタイに、ハガキ、便箋封筒とその他いろいろのコクトーグッズが売られていた。しっかりしてるね、最近の美術館は。黒地に白線でデッサンを入れたTシャツが欲しかったが、プライス5千円近くとて、もちろん自分には買えたもんじゃない。うーん、やっぱりコクトーってプチブル向けなんだべか。

 近代美術館を出て、入口前の庭を見学、道路挟んで隣の旧知事公館の庭もぶらぶら。初めて入ったみたのだが、広々した芝生と、人工の小川や小さい瀧になって庭内を巡っている水路があり、実に気持ちのよいところ。端に見える八重桜のピンクと、すぐそばの梨の白い花がきれい。美術館の庭もそうであるが、樹木が豊富で、すべてにいちいち名前が記されたプレートが付されているので、自分のような自然知らずにはとても勉強になる。犬の散歩者も目立つが、缶ビール飲みながら芝生でひなたぼっこしているショートパンツ姿の白人のオネエちゃん二人連れなどもいて、混ぜてもらおうかな、なんて思ったが、5時半閉鎖とて係員に追い出された。ここ、大通公園中島公園よりもすっかり気に入り、今度また来よう、ビール持って、と自分は誓い、帰路に着いた。西18丁目駅に向かうこのあたり、札幌では都心に近い部類に入るだろうが、日曜の神田淡路町や小川町あたりのように、歩いている人が実に少ない。クルマもあまり通らず、わが陋屋のある南平岸高台近辺の方が賑やかというか、うるさいぐらいのものだ。

 夜、TVで野球観戦。巨人、負けも勝ちもせず。よしよし。ここまでは満足であったのだが、横浜、日ハム、揃って負けていた。

 楽天へ8点入力UP。