須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

3月8日 火曜日 免許書換え

 1時15分前起床。昨日と同じく、この時間からでは間に合わないのでは、と行くか行かざるべきか逡巡の末、1時10分家を出る。

 屋外晴れて、やや温か、心地よし。だが、雪が溶けて、水たまりになっている所、シャーベット状になっている所、まだ固さを残して滑り易い所等、甚だバラエティにとみ、路面状態悪く、そろそろと歩行。
 自宅近く、トラックやブルなどの建設関係車両が多数置かれてある空き地で、犬を散歩させているひょろっとした背格好の男を見かける。ふん、あんなバカ犬より、家の可愛いインコちゃん達の方がどれほど高等か知れんわい。犬は小型犬、主人は隣の部屋のオヤジなり。年齢50台後半、髪は白髪まじりの蓬髪、服装はこのあたりのオヤジにしては、若向きというか、なんかモダン。昨年4月下旬あたりに移転して来たが、郵便受けにも玄関にも表札なく、いまだに名前は分からない。その引っ越しの折、ちょうどドアを開けて踊り場に出た自分は、手に手に黒いゴミ袋を抱えて隣室から現れたジャージ姿の夫婦に出くわした。こちらが「こんにちわ」と挨拶すると、軽い驚きと困惑、そしてこちらを値踏みするような表情で女房の方は礼を返して来たのであるが、男の方は女の陰に隠れるようにして突っ立っているだけ。本来通常の常識ある人間であるならば、これは絶好の機会と、かような場面では、「あっ、これはこれは。今度隣に越して来ました犬山戌次郎でございます。これは妻の狗代です。後ほど挨拶に伺おうと思っておりましたのですが。どうぞよろしくお願いします」、などというような挨拶をしてくる筈と期待していた自分の前を二人はツツッーと通り過ぎ、逃げるようにして階段を降りて行った。どんよりとした雰囲気の夫婦ものという第一印象であった。自分は何か得体のしれないものをこの男女に感じ、不吉な予感がした。そしてそれは的中し、この一年というものずいぶんと不愉快な目に遇ってきたが、それはすべて今散歩させているこのマルチーズが原因なのである。

 このMSは本来ペット禁止と契約書にも定められているのであるが、7年前入居してみたところ、半ば公然と住民が犬猫同伴で廊下やロビーを歩いているので、ちょっと驚いたもんである。ただでさえ賃貸し物件が飽和状態であるところに新築物件が続々建設されており、かたくなに犬猫を排除していては部屋が埋まらぬので、大家も黙認しておるようなのであった。が、それにはそれなりの暗黙のルールというべきものがある。現にこちらが入居してから5年ほど隣に居住していた家でも小犬を飼っていたが、とりたてて嫌な気分を味わった記憶はなかった。しかし、この新しい隣人には常識というもの、想像力というものがまったくと言っていいほどに欠落していた。越えてはいけない一線も二線も軽く乗り越えて、暗黒星雲の彼方へ自分を連れ去り、絶望の淵へ突き落とした。ごく当たり前のことのように、バルコニーを犬のレジャーランドとして使用し始め、この犬畜生めが狂ったごとく吠えるわ、粗相はするわで、神経質な自分は危うく卒倒しかけたほどである。実家では二度犬を飼った経験があり、NHK盲導犬ドキュメンタリー番組などはハンカチを用意して泣くのを愉しみにアンコール放送までも見ている自分はそれなりの犬好きを持って任じていたのであるが、生涯初めて、犬を、憎んだ。犬は悪くない、犬に罪はない、悪いのは、糾弾すべきは、その飼い主だ。それは理解できる、が、あの犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬夫婦め!、あのマルチーズの犬畜生の犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬の犬ころめ!!ど、どうしてくれようか!できるだけ大家と顔を会わせぬように、関わりにならないように、大家さんのその意識にものぼらぬように生活している自分は、どうしたらいいものかと苦悩した。

 何のためらうことがあろう、非はあちら、あの犬夫婦の犬山たちにある。直接談判に行けばいいではないか、と自分も思うのではあるが、よほどの潤沢な貯えがあるのか、宝くじにでも当たったのか、株で食っているのか、それともパチンコ競馬で生計をたてているのであろうか、ほとんど毎日在宅して犬と遊んで暮らしておるこの隣人夫婦がどうもカタギの人間には思えぬのである。何処かに働きに通っている様子もなく、毎日ほぼ一日中家にいて何をしているのか分からないといえば、あちらから見た自分もまたそうであって、同じように胡散臭い怪しい男に映っているのであろうが、自分には古本の通販というアリバイがあるのである。しまいに自分は、この犬山のオヤジは何かから逃れて、身を一時この平岸の茅屋に隠している潜伏中の暴力団関係のお方なのではないか、と真剣に思いはじめ、今もその疑いは消えないでいるのである。人間にはいくらでも冷酷になれるが、ペットには溺愛というのは、ヤクザにもよくあるタイプである。面と向かって何か言おうものなら、今まで覆い隠されていた犬山の本性が現れ、奴の手の者に連れ去られ、簀巻きにされて石狩湾に沈められかねないのである。

 が、忍耐に忍耐を重ねた末、たまりかねて管理人に注意してもらったのが効いたのか、ごく最近はちょっと大人しくなり、今まで犬山の辞書には存在していなかったが如き犬の散歩も今日のように時々やっておるようなのである。空いている方の手はと見ると、案の定、フンを始末する道具の類は所持しておらぬようであり、やはりな、と思う。

 郵便局へ寄り、ぱ・る.るから5千円下ろし、南平岸駅まで急ぎ、地下鉄。12時40分近く、大通り駅着。小走りに札幌中央警察署へ。免許更新というと、以前は遠い郊外の手稲のはずれまで出張せねばならず、それだけで半日が費やされる大仕事となり辟易したものであるが、何年前からであろうか優良ドライバーは街中、札幌駅前の銀行密集地区も近い中央警察署で更新可能になったのである。ペーパードライバーの自分は当然優良運転手なのである。

 2時10分前、警察署着、受付に間に合う。汗をかき、マフラーを取って、コートのチャックをはずし空気を入れ、やれやれ間にあった、と呼吸を整えていた自分は、列の前に並ぶ青年が手にしている物を目にして、重要な忘れ物に気づいた。係員に、免許がなくても更新は可能なりや、と訊くと、旧い免許を機械に入れて書類を作成するので、それは無理ざんす、と答える。昨夜就寝前には、旧免許携帯のことと、頭の中に入れていたつもりであったが、一夜明けてみるとすっかり失念していたようなのだ。ああ、往復地下鉄代480円が無駄に潰えた。仕様がない、自分は帰路につくべく、警察署を後にして、思った。こうやって自分の人生は過ぎてゆくんだな。

 署を出る時に入り口で見知った顔に擦れ違う。黒い革のハーフコートを着た60台も後半と思しき眼鏡をかけた親爺で、免許更新の何処がそんなに嬉しいのかニコニコしている。10年前まで店をやっていた頃、ごくたまに来店したが、何か買ってくれたという記憶はない。親しくもなく、名前ももちろん知らない。つまり、良いお客ではない。それなのに、何故覚えているかというと、この親爺の態度がずいぶんとデカかったからである。いつの年であったか、五番館デパート古書展の目録が出来上がり、印刷所から配達されたその日の午後、何処から嗅ぎ付けたのか、ガラリとわが店の入り口の戸を開けるや、ずかずかと入って来て、まだ店に並べてもいないカタログを請求されたのであったが、その口調が、何処の何様って訊き返したいほどに高圧的であった。そしてもうひとつ、この人、唐沢兄弟商会の「古書街エレジー」に描かれているような、デパート展には初日開場と同時に最初のエレベーターで真っ先に駆けつけるが、それほどの物は買わないタイプで、「フリテン君」に飛びつきはしなかったが、松浦武四堂が安い値付けで出品している『太陽』などのムック紙の平台をまづ漁っていた。選び終え、薫風とスガのいるレジに来て、丁寧にプライス・シールを剥がすように、というその口調がまた横柄で、印象に残っていたのである。札幌はちょっと街へ出ると誰か彼か見知り人に遇うので、うかうかできない。

 地下鉄に乗る前、リーブルなにわで文芸誌立ち読み。詩雑誌『S学』を手に取り、編集後記を見ると、編集長の病気療養のため、しばらく休刊するという。ええっ?そりゃないべさ。実は自分が新人賞の野望を抱いていた某詩雑誌というのは、この『S学』であったのである。自分が目をつけた雑誌が、次々なくなってゆく。計画は頓挫した。おまけに10月末投稿の詩は一次予選止まり、11月末投稿分はまったくのペケであった。そうだよな、我ながらフザケタ作品だったもんな・・・・『G代詩手帖』は、はなから年寄り相手にしてくんないしな・・・・その点『S学』は職業年齢、投稿時に明記しなくていいから、よかったんだけどさ・・・・これから先、どうすんべか。とぼとぼと力ない足取りでリーブルを後にし、地下鉄ホームのレールを見ながら、自分は思った。ああ、こうやって自分の人生は過ぎてゆくんだなあ。

 Maxvaluで牛乳他食料調達し一旦帰宅後、勝木石油で灯油10リットル・560円。

 ESから梅田晴夫「パイプ - 七つのたのしみ」平凡社カラー新書・昭和51に注文あり。妻の本。