須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

火曜 帯広古本市搬出往復行

 午前8時15分起床。うどん、ナットウ、冷水、トースト2クリームチーズ、牛乳、カフェオレ、紅茶にて第一食。9時40分過ぎ出。郵便局で冊子小包3ヶ発送。

 地下鉄でバスセンターへ。地下通路から地上に昇るエスカレーターで亜本屋さんに声をかけられ目出たく合流。バスセンターの売店でミネラルウォーター500ml1本と飴「KANRO ノンジュガー紅茶茶館」計299円購入。これは冷水を500mlPBに1本持参してきているが、帰りは買物している時間がないかもしれないので。

 10時半発、高速バス・ポテトライナーで帯広へ。先週の帰りは30人ほどの乗客がいたが今日は7人。客は少なくとも前回も今回も運転手が二人いるのは心強い。また目を閉じて寝ようとするが一睡もできず。テレビショッピングや小沢一郎のアップを否応なく見させられたり、両サイドの街並、雪を被った森や山々を眺めながら時間をつぶす。前回に比べて、二人がけ二列ではなく、一人がけ三列でフットレストもあり、ゆったりして快適な筈なのだが、やはり揺れがひどく気分悪し。亜本屋さんは眠ったり、薄目を開けてテレビを見たり。前回、川面が凍っていた川には雪が積もって白い広大な回廊のようになっている。夕張付近からDVDの『送りびと』が映され、これはイヤホンをつけて観る。

 2時40分帯広駅前着。3時前、藤丸に入る。最終日とてお客さんがまだ多い。それにしてもネットでこれも、誰か帯広界隈のお客さんが書いていたのだがご高齢の人が多い。この人たちが天に召された後、古本市というのは一体どうなるのだろうか、と思ってしまう。安部公房『事業』世紀群叢書を見つけ、清算した後、あら、亜本屋さんはと見るとすでに姿はなかった(後の話では社員食堂で先日食べ損なった帯広名物豚丼500円で腹ごなしをされていた由)。

 社員食堂に行き、オニギリ2ヶと番茶で第二食。持参4ヶのうち2ヶは帰りのクルマの中で食べようと残す。催事場に戻って、ふらふらしているとサッポロ堂さんが喫茶コーナーのコーヒーを御馳走してくれる。有り難く座って飲みながら、旭文堂さん、緑風さんとお喋り。古本市、好評だったようで、そこそこ売れた由。二日目にアイヌ絵など120万だか買ったお客が来たとか。経費差し引き後はどうなのか確とは判らぬが、亜本屋さんもまずまずの売上で自分もほっとする。荷物だけ参加の薫風書林も1台半の割りにはそれなりに売れており、これは一番効率がよかったのではないか、と感心。旭文、緑風のお二人も機嫌がいい。やっぱり商売人の元気の基は売上、栄養を巡らせる血液は即ちお金なのよね。まあ、それでいつも自分須雅屋は意気が上がらない訳であるが。旭川の店に来店した折、わたしの頭の中には5万冊の図書館があるのです、さあディスカションしましょう、とおっしゃったというY先生の話など聞く。

 4時から片付け開始。台の下に置いてあったダンボール箱を取り出し積めてゆく。亜本屋さんは美術本と圴一以外の単行本、自分は圴一本。亜本屋さんの予定では7時には帯広出発であるけれども、これまでも無謀な計画多く、今回も果たして可能なりやと危ぶんでいたのである。だが、なんと、5時ぐらいから会場の喫茶係やレジ係をやっていた女性従業員さんたち(パートタイマー?のオバさまたち)が亜本屋さんの台だけでも3人も応援に付いて、敢然と箱詰めに従事してくれたのである。これはかつて五番館やそごうデパートなどの古書展後で見られた美風、助け合いの精神。まあ、早く片付けて次の催事の準備に入りたいという気持ちもあるだろうが、何にしても大助かり、有り難いことである。嬉しいことである。中にはホコリでごほごほ咳をしながら本を詰めている人もいて、自分は思わず、その古い本の台はやらなくていいですから、と声をかけてしまったぐらいである。そういう訳で、あれよあれよという間に箱詰め終り、カーゴに積んで1階に降ろし、伊藤運送トラックに積み終え、撤収完了。大量の空きダンボールが出た。ともかく数は相当量減ったようで喜ばしい。それじゃあまた、と旭川二人組と根室道草さんに挨拶し、帯広を出発したのが6時40分。従業員さんたちのヘルプなければ、おそらく8時半過ぎになっていたことだろう。

 トラックの中では真ん中に座ったのだが、覚悟はしていたけれども両サイドの二人がかなりのスモーカーで、バスほどの揺れはないがやはり気分悪し。セーブしつつ持参PBの水を飲む。亜本屋さんの話では、今回の古本市成功につき、8月の開催がすでに決定したと云う。「もし店番担当することになったら、日当5千円、ホテル代5千円、計1万、他に往復交通費は出すから、あんたやってくれ」と頼まれる。何度か帯広の夏に来た覚えがあるが、ほとんど無風の、道内では酷暑と云っていい所で、夏に帯広で搬入搬出に店番かあ、と、ちと憂鬱になる。帯広で札幌ではほとんど動かなくなっている(と自分が見なしている)掘り出し物コーナーが好評だったようで、「新札幌の古本市でも皆が出す均一本はやめて掘り出し物を持って行ってみるかな」と独り言のように云われるので、ヤメトイタ方ガイインジャナイカナ、と自分は内的独白。昨年10月の大市で小耳に挟んだのだが今まで怖くて聞けずにいた弟さんの病状を訊ねると、勤医恊病院でリハビリに励んでおり、春辺りには戻って来られる可能性ありとのことで、この情報には気持ちが明るくなる。ヨカッタナア。しかし、お母さんも入院中の由でなんとも大変だ。いつ明日は我が身になるかも分からぬ身ながら、なんとか切り抜けて欲しく思う。毛布を亜本屋さんと二人、腰から下に被せているのだけれども、1時間ほど走行しているが、やたら足元が寒いというより足指が凍傷になるのではと危惧するほど寒風がすーすー入ってくるので、「あのぉ、この車って足元暖かくはならないんですか?」と伊藤運送社長に訊くと「なるけど」とスイッチ、やっと処置が施され、ようやくヒーターが効いてきた車内で10分ほど仮眠。占冠(シムカップ)の道の駅でトイレ休憩。まだ8時ぐらいだが、周囲にはすでに開いている店はない。見上げると星の近いこと。路上の電光掲示温度計は−13・2℃。過酷な土地であっても人は故郷に住みたがるように出来ているのだなと思う。夕張のコンビニに寄り、ホットPB緑茶が供給される。ここの気温は−8℃。高速道路を二本乗り継いで、10時、札幌着。月寒の亜本屋倉庫で荷物を降ろす。本が減ったとはいえ、三人で降ろすのはやり応えがある。バイト賃4千円貰う。他に雑誌『週刊 世界の文学』の「シュルレアリスム」ほか計17冊供給さる。出張手当の代わりか?先月のセリにお客さんからの委託で須雅屋が出品した雑誌何束かの口を亜本屋さんが落札していたのだが、その中でスガが気になっていたもの。「昨夜、市内で路上強盗が3件連続して発生してるんですよ、まだ死にたくないですよ」とお願いして近所まで送ってもらい、無事11時帰宅。

 シャワーで古本のホコリを落とす。今日の気温−3・3〜1・6℃。受注、楠本憲吉『句集 孤客』、『風報62号』。1時より、年末から1月にかけて古本市手伝いがようやく完了したのを祝して酒。あ〜あ、これでまた心ゆくまで引き蘢れるぞ。エビフライとクリームコロッケ、蒸しジャガ、イシガレイとダイコン煮付け、ダイコンおろし、イカ焼き、目玉焼き、米飯少、発泡酒350ml1本、ウィスキーお湯割り4杯、玄米茶。今回の古本市、二往復の行程はトラベリンバンド、♪トマム〜、シム〜カ〜ップ、きつい旅だぜ〜、ユウバリ〜、って感じで、投げ上げるタオルもなく苦痛であったけれども、ちょっとお勉強になったこともあったことだし、まあ、終りよければすべてよし、オールライト、OK!ベイビー、という気持ちである。午前3時就寝。