須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

水曜 どう、この頃?

 午前7時15分起床。梅おにぎり、みそ汁、牛乳、コーヒー、冷水。8時半家を出る。地下鉄で大通へ、9時、頓宮神社着。札幌古書組合月例交換会。

 HさんとN堂ヒデノリ君のお二人よりは前に到着できたが、他の事業部メンバーはすでに机を移動、会場設営して、本の陳列を開始している。店仕舞した小樽のHさんの倉庫本がまた出ている。いつまで出続けるのか、この口は。他は荷物ほとんどなく閑散。大西夫妻より挨拶を受く。今日からなちぐろ堂としてセリ場デビュー。

 組合費徴集。ひと月分でもいいですか?とおずおずと聞いて2千円払う。まだ払ってない人もいるから無理しなくていいんですよ、と会計理事から云われ、先月同様、シマッタ、と思う。観楓会の出欠をとられる。Nさんに『札幌人』のコピー差し上げる。これは、木村環という画家さんが書かれた文章にNさんのお店が登場するので。目を通しながら「この、[初老のご主人]というところだけは間違っているな」と微苦笑しながら云われる。うーん、そうかな?

 Nさん、K堂、Aさんの持ち込みがあり、会場の台がそこそこ埋まる。第一回開札で、同じ創元社の『世界推理小説全集』と勘違いして素通りしていたが、開札間際に気がつき、あわてて入札した『クライム・クラブ』の30冊ばかりを落札。函付の美本。これだけの量が札幌の市場にまとまって出たのは須雅屋が出入りし始めてから初めてだろう。第二回の台にある詩集の山に最も魅力を感じるのだが、量的に無理だろうと諦め、ならばこれだけでも買ってやろう、と札を入れたのだ。その第二回開札、『木下夕爾全集』が混じっている買えば必ず儲るのは分かっている詩集9本口と、やはりほぼ同じぐらいの冊数の詩句集・詩雑誌の口、二山はあまりに量が多すぎるので自粛する。北12条方面のお店に収まるかと眺めていたら、さはならず。自分としてはどうも納得のできぬ、課題が多く残るセリとなる。金もないが、一番の問題は事務所兼自宅に本の置場と整理の場所がもうないこと。いつものように発声係をやり、札改め係もやり、合間に開札係もやるので大忙しだ。入札している時間がない。第一回11時、二回11時15分、三回11時半開札の予定なのに、最高責任者がどんどん前倒して進めて行くので、自分が第三回最終発声を済ませた時点でまだ11時半になる前であった。発声係には一旦開札始まれば本をじっくり見ている時間はない。次回からコーヒー休憩タイムはほどほどにして本をちゃんと見なければいけん。自明の理じゃ。

 発声終了後、後片付け、掃除。10年前ほど前までは、店番中も北大生のアルバイトと間違えられるのが常であった自分は、その外貌と、一旦気を許せば延々愚にもつかぬ話をし続けて発作的馬鹿笑いに興じるという性格もあってか、すでに夏目漱石の没年と同い年なのに、店を開いて20年、店員修業時代を含めれば業界歴四半世紀にもなるというのに、いつまで経っても重々しさというものがまったくない人間で、セリの後の会場床に掃除機をかけている最中も(会場係という役目とはいえ)、周りの若手たちは、このスガさんという貧乏そうなオジサンはほんとに掃除が好きなんだな、毎回やってるもんな、お出かけですか?れれれのれ、のお掃除オジサンなのだな、いや、ご苦労ご苦労、という具合にまったくこのオジサンを気にかけることもなくそれが極当然、自然なことであるという風にお茶を飲み、煙草吸い、立ち話を続け、なおかつ最近は、自分が生きた年月のまだ半分ほどしか生きていない、自分の子供であっても何ら不思議のない新入りの若者にはタメ口をきかれたりして、ほぼボランティア的な労働の今季事業部員としては、我ながら真に大人げないとは思うのだが、さすがに辛抱タマラン時があるのである。つまりは軽く見られやすいのだ。もっとハッキリ云ってしまえば嘗められやすいのだ。自分が25歳の時にH屋書店に入店して丁稚どんとしてセリ場に出入りし始めた頃は、今の自分とほぼ同年齢のK堂さんやN堂さんがとても怖い存在に見え、誇張ではなくその先輩たちの影さえも踏めないぐらいの雰囲気が業界内には確然としてあった。よし、これからは、年齢相応の重厚さを出すために髭でも生やして、今までのようにバタバタと走ったり、競歩のようにセカセカ歩くのはやめ、同業者と酒やお茶を飲む時にもニヒルな微笑浮かべて一年に数度しか口を開かぬ寡黙な男になってみるか、とも思うのであるが、これまでの生き方が外貌含めて現在の自分に集約されているのならば、これも自分の不徳の致すところ、まあ、自分は自分、成熟や貫禄や風格にはどうせ生涯無縁なのだからやめておこう。ああ、一生軽佻浮薄でやって行くのであろうよ、嘗められつつ、コケにされつつ、とほほ。

 それから、久しぶりに会う訳でもなく毎月会っているというのに、セリ場で同業者から「どう、この頃?」とかけられる言葉も苦手なのである。とても羽振りの好さそうな◯◯書店さんや我が世の春を謳歌する△△書房さんなどが、毎回のように入札中にすれ違いざま、親切に云ってくれるのだけれど、このセリフ。それが時候の挨拶代わりの儀礼的な質問だとは重々承知していても身の置場がなくなる自分である。「ええ、まあ、どうにか」とヘラヘラ答えはするものの、内心、景気言い訳ねえよ、分かってるだろ、それともあんたがどうかしてくれるっていうの?、と吐き出したくもなるのである。話をせずとも、顔つきと落札する本の質と量によって、その古本屋の経済状況は知れるのだ。個々の古本屋さんの景気は市場での買いっぷりを見れば一目瞭然なのは、時代が遷ろうと変らぬ古本界の常識なのだから。だもんで、須雅屋薫風書林はお互いそんなこと金輪際訊いたりはしない。

 12時半前に終了。帰り際、休憩ロビーで喫煙していたK堂庄一氏から旧いお客さんで自分ら夫婦の結婚式にまで出てもらったHさんの近況を聞く。自分の漫文を読んでくれている由、ちと嬉しくなる。B教堂恊治君のクルマで1時前帰宅。MS前まで送ってくれた車内で、恊治君に昨年からの騒音問題を話す。愚痴を聞いて貰う。オレ、もう発狂寸前だよ、と自分。一見頑丈そうな建物なのにねえ・・・、耳栓はどうですか、とアドバイスをくれる。ありがとう、恊ちゃん。いつも君はやさしいね。でもそのアイディアは自分も考えていたのだよ。

 15時現在、くもり、6・7℃、湿度45%、最高気温7℃。松坂の独占交渉権を落札したのは噂通りボストン・レッドソックス。約60億円の由。豆パン1、ミニあんパン1、牛乳、紅茶、冷水にて第二食。日記付け。NTT9月分二回線分、3698円をYに頼む(一応金を渡して)。
 テレビを見ていたところ、8時半に津波警報。8時15分頃、千島列島でマグニチュード8・1の地震が発生の由。以後、ずっとこのニュースが続く。

 12時、カツオのタタキ、カキフライ、厚揚げ焼、もやしのキムチ和え、米飯、シジミのみそ汁、麦茶、昼間もらった那智黒飴にて第三食。断酒。1時半過ぎ就寝。