須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

搬入・陳列・酒そしてじゃんぼの謎

 午前3時目覚め。4時半起床。5時から焼魚アジの干物、焼鳥、冷奴、蕗の漬物、米飯、番茶にてメシ。
 7時から仕事。<楽天>より注文1件。はせみつこ編・飯野和好絵「しゃべる詩あそぶ詩きこえる詩」。梱包2件。10時より明日からの狸パッサージュ<ABCプラザ>「古書の日」記念古書展覧会のための準備を切羽詰まってやる。といっても、大げさなものではなく、田村隆一黒田三郎などの詩集12冊にパラピンをかけて、タスキもどきの用紙に書名とプライスを書いて、本の表紙にかける作業。古書展と銘打っているが、内実はA本屋さん単独での古本市で、ガラス・ケースのみに各店からそこそこの本を出品してもらい陳列して、札幌の古書店はこんな商品を扱っていますよ、というデモンストレーションめいたものを古書の日(10月4日)にからめてやろうじゃないか、という趣旨の催し。これはA本屋さんの企画。Gケース用に何か出してくれ、と頼まれた時は、一旦断ったが、ふだんお世話になっているA本屋さんの申し出であり、どうせ店番をするのは自分なので付き合うことにした。が、薄っぺらな出品抄でも発行するのならまだしも、札幌ではまず、フリーの客に、それなりの価格の文学書は絶対に売れない自信があるので片手で持ってゆける分しか出品しないのである。途中、メールとFAXのやりとりがあり、わずか12冊に2時間もかかる。

 正午現在快晴、15・1℃、北北西の風8m/s。湿度36%。

 と、その後もなんのかんのとウジウジグズグズして時を無駄にして過ごし、トースト2枚を紅茶で流し込み、作業服の上下着て家を出たのが2時40分過ぎ。郵便局に寄るヒマなくなり、小包発送妻に託す。

 屋外へと飛び出してみれば、今日日中の最高気温17℃との予想と聞いていたのであるが、そうは思えぬ程のぽかぽか陽気なり。その中を、月寒公演の裏に沿ってずうっと続く明治時代に開かれたアンパン道路という道を走る。犬のフンと頭上の鴉に気をつけながらマラソン。前半は下りだが、途中からは上り、心臓破りの坂などもあり、ああ、何か自分はいつも(戸外では)走っているなぁ、はぁはぁ、それもこれも何事もぎりぎりの締め切り間際にならないとやらない怠惰のなせる結果なのは、ふぅふぅ、分かっているのだがなぁ、ひぃひぃ、ほぉほぉ、と汗をかきかき、腕をふりふり、孤独な中年ランナー駆けているうちにA本屋月寒店着。

 すでに運送屋さんのトラックが着いており、集合時間の3時に5分遅れただけなのであるが、店からの荷物はあらかた積み終えられており、A本屋兄弟に加わって自分がダンボールを2ヶ積んだ所で店からの出荷終了。即座にA本屋さんはトラック助手席に乗り、すぐ近所の倉庫代わりの車庫へ。トイレ小用タイム済ませて自分は、必要以上にゆっくり歩いて移動するように見えるA本屋弟氏と契約駐車場から軽ワゴン車に同乗して件の車庫へ行ってみれば、はや積み込み終了しており、今度は15分ほどクルマ走らせて地下鉄南郷18丁目駅近くにあるこれも貸し車庫へ。トラックにはもう50箱近くは入っているが、A本屋さんのこととて、これからまだ100箱以上は積むのだろうと覚悟していたが70箱ぐらいで終り意外とラク。と思ったらそうは問屋が卸す筈もないのであって、トラックとワゴン、ススキノまで10分ぐらいまた走り、HBC三条ビル前へ横付け、2階のA本屋三条店から30箱と縛り20本を下ろす。

 4時、<ABCプラザ>着。カーゴに荷を降ろし8階催事場へ運ぶのを繰り返す。同時開催の「ワケアリ価格の旭川家具」がすでに展示されており、その、如何なる訳があるのか訳が分からない家具の目と鼻の先を、傷つけたら古本の売上が全部吹っ飛ぶんではないだろうか、その責任は負いたくないよな、という心地よい緊張感の中、カーゴを移動。

 5時から陳列開始。レジを囲んで正方形にGケースがあり、その回りに4台、5台の島を置いて計22台の平台があるというレイアウト。本を並べ始めると開けられていた美容室の色ガラスのドアは閉じられた。その気持分かるよ。ホコリっぽいもんね。他に旅行代理店と易占いコーナー、歯科医院、荷物を搬入してきた入口の裏側にはこの店舗の事務所、その壁のこちら側では、「ワケアリ家具」の横で「韓流グッズ・コーナー」の展示をやっているという、なんとも形容しがたい空間のフロアー。

 この場所で古本と中古レコードCDの催事をやり始めてから(それはかつてわが仲人I野書店が開拓したものなのであったけれど)すでに十年以上がたっており、一般のお客さんの他に事務所の人間、美容師、易者などのテナントの方々も、本やCDを覗きに来るのが常なのであるが、一人ここのテナントの◎◎◎だけは、本にもレコードにもまったく完全無欠に興味を示さない。このお方、自分と同年齢前後とお見受けするが、一度も平台に近寄ってきたことはない。ある日などは今日のように陳列の折、本の入ったダンボールがちょこっと、ご自分のテナントの外壁に触れていただけで、中から注意に出てきたことがある。A本屋さんは美術雑誌や展覧会の美術カタログ、のみならず、時には絵や壺なんかも出品することがあるが、それらにも目を留めぬところをみると美術もお好きではないらしい。京都の◇◇閣などは医者や弁護士などの他に◎◎◎にも多数、カタログを送付していると聞いた覚えがあるが(現在ではベンチャー成功者にもか?)、このお方など送ってもらったカタログは全部フロの焚き付けにしているのかもしれない。って何時代の話だっつーの。まあ、人はさまざま、それぞれの生き方があっていいのです。ねぇ、みなさん。

 そうこうするうちに、セカンズ、伊藤書房、弘南堂庄一氏が来てGケースの品を並べ始める。伊藤さんは3箱を並べるのに4人で来場。女性二人に陳列させている間に社長と専務はずっと談笑、終始上機嫌。わ、なんか余裕じゃん。うらやましいこっちゃのぉ。と自分はA本屋さんの300円均一をしこしこ並べながら思ったことである。6時、7階の社員食堂へ行き、自販機で水分補給してから戻ると、ははははは、と何が楽しいのか妙に明るい薫風書林の笑い声が響き渡り、他にサッポロ堂理事長、角口さん、南陽堂若社長、息子さん同伴のじゃんくさん、游書館君、新人のスズラン君が集まり、Gケースの並べ中。ほぉ。南陽堂は52万5千円なんてモノも持って来てるぞ。そこで自分は昨年夏、土木作業に従事した折に買った作業着の上下姿を、どーですか、と云わんばかりに皆さんに見せびらかし、「明るい現場を目指そうじゃないですか、諸君!」などと声に出してポーズをとってみせたが、受けは今イチであった。7時半皆々様ご帰還。300円均一を並べながらシュ、シュ、シュと自分用に除けた本をワゴン下に確保して、8時前作業終了。A本屋さんから5千円いただく。ありがたし。じゃんくさんから古新聞を分けてもらう。これはインコの籠の床に敷くためのもの。これもまたすこぶるありがたし。

 A本屋兄弟と別れ、徒歩でススキノへ。今夜はお客さんのAさんが御馳走してくれるというので、いそいそと指定された場所へ。<グランド居酒屋富士>の向いの並びから横へ入ったところ、有名なジンギスカン屋<D>のある小路を行ったり来たりするが<焼鳥じゃんぼ>なるその店は見当たらず。一軒、貸し物件の貼紙のあるシャッターが降りたままのテナントあり、そのペンキが剥げかかった金属の上に<焼鳥>という字が見えて、あらら、つぶれたのかい?と途方にくれて歩道に出、Aさんは何処に?、と右に左にと顔を向けていると、少し離れたところにいた若者たちの一人と目が合った。若者、すぐにこちらに駆け来たりて、「ここいら辺はボッタクリとか出て、すごく危ないんです〜。今、ススキノで〜、危険な小路とか道のマップをお配りしてるんですよ〜。どうぞ」となにやら紙を渡そうとする。一度は手を振って断ったが、二度三度とすすめるので仕様がなく貰ったところ、すかさず「で、今日はこれから何処へ?」と本性表して訊いてきた。「いや、この小路で人と待ち合せ。やっぱりいらないです、これ」と返すと「そうですか・・・じゃ、気ぃつけて下さい」と案外あっさりと引き下がった。その後もまた、長さ25メーターぐらいのその路地をうろうろ。自分の記憶では<じゃんぼ>と書いた赤提灯が店頭に吊るされていたと思い込んでいたのであるが、その映像をじっと立ち尽くして思い浮かべていると、その自分の真ん前にある微かに奥まった入口ドアに小さく<じゃんぼ>と読めるのを発見した時はへなへなと膝からくずれそうになった。

 5坪ほどの小さな店のマスターのミヤケさんはA氏の友人、自分もH文字屋の店員時代から知っている人。読書家でH文字屋にも本を売ってくれたが、須雅屋ではジャック・ケルアックのモノ他、本を度々買ってくれた。つい最近まで、十数年会わないでいる間にすっかり髪が白くなったが、気持は昔と変っていないのが嬉しい。付き出しに毛ガニを出してくれ、Aさんとマスターで、タラバだ、松葉だ、いや花咲だ、と、いづれの蟹が最も美味なりやの蟹談義に花が咲く。品評できるほど蟹を堪能した体験のない自分は、ほぉ、はぁ、へぇ、と頷きながら蟹を喰らい、ビールを呷る。その後、小説や本の話からAさんの大学時代の回想となり、学祭でブルーフィルムの上映会をやろうとしたところ寸前で交番に呼ばれたり、同じく学祭で、田中小実昌の所属していたストリップ一座の公演を催したところ、入浴シーンで女性ばかりか、見たくもない小実昌さんの尻を見るハメになったというエピソードを聞く。自分は生ビール2杯、日本酒2杯、焼酎のお湯割りを4、5杯。友達値段なのか勘定は破格の安さ。もちろん自分が払ったわけではないけれど。店を出て、蕎麦屋へ行くも本日定休日とて、何年ぶりかでラーメン屋さんへ入って味噌ラーメンをいただき、タクシーで送ってもらい3時過ぎ帰宅。

 シャワー浴びて後、お茶を飲みつつ妻と少し話してから横になる。今は昔、須雅屋開店の頃、当時親しかった友人Yが連れて来た道内在住の漫画家Sさんを<じゃんぼ>に案内し、もう一軒寄った後、何故か自分の家に二人が当然のようについて来て宿泊したのを思い出した。その当時はまだ若く、純真というか、バカというか、極めて商売っ気が薄く、色紙を描いてもらうなんてことは思いつきもしなかったのであった。そして、思えばその頃のわが住処には、人を二人泊められるに充分なスペースがあったわけである。ああ、昔はよかったなぁ。まだ少しは人間的な暮しが出来ていたんだ、このオレも。そういえば、また由来訊くの忘れたな<じゃんぼ>の、焼鳥が特にデカいというわけではないしな。なんだろな。などと、思い巡らしているうちに就寝、5時近くとなる。