須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

台風通過

 時折、雨の音、窓をたたく風の音で目が覚めたがまた眠り続け、午後6時に起床。夕方近くになるにつれ、風が強くなるのがうつらうつらしながらも分かった。6時現在、雨、22・8℃、湿度85%、南東の風11m/sの由であるが、体感温度はもっと低く感じられる。

 起きて、風が窓に打ち付けるのを見ていると(大概の北海道の家屋には雨戸という物が備わっていない)、道南地方、室蘭と洞爺の中程にある我が故郷伊達紋別にある今は無人の実家は大丈夫なのだろうか、と人並みに心配になる。無事なりや、懐かしの我が家、という思いが一度起こると胸騒ぎが募り、果ては、第一無事も何もあの家はまだ建っているのか、果たしていまだにこの地上に存在しているのだろうか、もう売却されるか壊されて、今ではアカの他人の住居に変っているのではないだろうか、という疑念が湧き上がって来る。こんな自分にも世間並みに兄弟というモノがあるのだけれど、その現在ではたった二人の肉親の内の一人である兄とは一昨年春に伊達で会って以来(その折に一夜一人宿泊したのが実家に入った最後である)、その後電話でたしか三度、家の話はせずに数十秒言葉を交わしただけなのであって、故郷の家がどうなっているのかはずうっと分からぬままなのである。あの家はまだあのままなの?と訊けば万事は済むことであるのに、個人的にわだかまりがあってそれが出来ず、年少の頃より十数年住んだ家のその後の消息が謎のまま、自分の中で宙吊りになっているのである。

 トリさんたちの世話をしている間に妻目録にFAX注文あり。愛知県のお客さん。「中国の呪法」「泰西少年愛読本」「版画(文庫版川上澄生全集)」「特集:文学表象(『武蔵野美術』)」「とっておきのものとっておきの話」「臨終の日本史」「去勢の歴史」「江戸のエロス(『太陽』)」8冊計13300円。やったあ。妻の本だけど。続けてメール・チェック。<楽天>より注文。東雅夫「ホラー小説時評 1990〜2001」双葉社、1200円。内容読むと売るのが惜しくなる。(ちなみに妻の蔵書なのだが。)この分野での知識はまず第一人者と申してよろしかろうが、文章もいい。参考書としていずれまた自分用に入手しよう。と、思うが概ねそのまんまに終わるのである。「第56回五反田遊古会」「文庫堂古書在庫目録80号」来。

 9時、第一食。昨日の総菜にて米飯。ニュースで聴くサッカー親善試合ホンジュラス×日本、4−5で日本が逆転勝ちしていた。珍しく柳沢が2点もゴールを決めている。盗難が報じられていた忌野清志郎の自転車が発見され、返却された由。160万だという。

 10時、妻から電話。トリさんのこと、義母が北大でまた検査を受けるかもしれぬこと。シャワーを浴びて2時、俄然雨も風も弱くなっている。ネット散見の後、5点のみ入力、UPはせず。5時、いつのまにか雨風ともすでに止みぬ。予想外に早く収まり、札幌市民の一人として好かった。ニュースによると、さほどまでとは感じなかったのであるが、札幌では4年ぶりの大雨であった由。朝7時、第二食。即席麺、ハンバーグ、米飯を食しながら、『季刊札幌人』のHPにて発行人荒井さんの過去日記を読んでいたら、会社を立ち上げた昨年5月の日録に下記の記述を見いだし、慨嘆す。

『        2004年5月17日 図書館からの電話

 「札幌人」の発行以来、道内のいくつかの図書館から電話がきた。 「蔵書にしたいので、送ってほしい」という。本の購入代は払わず、送料も払わないという。 「図書館は運営が苦しいので」とかいう。
 社会人としての分別を備えた私は「図書館が地域に果たす役割や、運営が厳しいのは分かりますが、 本体価格と、送料の一部を払って購読してもらっている郵送購読者に申し訳ないので、今回はお断りします」と申し上げた。

 本当はこう言いたい図書館もある。「私は新聞記者時代に図書館を取材し、お宅の○○の地位にある人は、仕事の内容の割に高額な○○を得ており、自分たちの税金の使われ方の不条理さに怒りを覚えたことがある。特にあなたのとこの○○は、○下りするまでの腰掛けだということも知っている。運営が苦しい?ご冗談を」ま、言ったところでどうなるもんでもない。  なかには「札幌人」を書店で購入した職員が、それを読んで「これはうちに置きたい」と、あらためて購入を申し込んでくれるという図書館もあるわけで、まあ、さまざまである。

 実際、図書館に本を置くというのは、零細出版元としては微妙なところで、なるべくなら買ってほしい、と思うのが自然な気持ちだ。地域貢献というのは、もっと高額な○○を貰っている○○の地位にあるような人が積極的にすべきだと思う。』

 これが、今後の購入を検討したいから見本誌として一部を恵贈願えまいか、とおっしゃられるなら分からぬ話ではないが、あわよくばこれからずっとタダで貰おうとしているっていう思惑が言外にたぷたぷ汲み取れるじゃないの。誰が送るかってんだ!ま、俺の出してる雑誌じゃないけどさ。だが、ここに一つの問題があるのでありまして、それは公共図書館全般がセコいのか、それともこの件は道内の公共図書館に限ってのセコさの表れであるのか、という点。

 と考えつつ横になり、清水昶詩集「芭蕉」(砂子屋書房 1997年)読了して、午前9時就寝。断酒。