須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

水曜 飛んでます

 7時起床。うどん、ナットウ、冷水、トースト1、牛乳、カフェオレ、紅茶。8時25分出。<セブンイレブン>ATMで1万8千円卸し、地下鉄で大通。

 9時、頓宮神社着。二階会場で事業部員の他に遊書館、セカンズ、薫風書林、小樽2分の1、それになちぐろ夫人がすで労働中。着いた早々、靴に付着した泥雪が落ちて階段が汚れているので会場係のあんたがなんとかしろと△△さんに指令される。他の人にも手もあれば足もあるのになあ、と内的独白しながらモップかけ。先月分金券16440円払う。

 本日も荷物の半分は、またもやいつまで続く閉店した小樽の店の口。皆でダンボール箱から本を取り出して、適当な冊数で結わえて山を作って行く。並べ終えてみると今日はヒジョーに荷物少なめ。大山に岡田鯱彦「薫大将と匂うの宮」のあまりキレイではないがカバー付が混じっており、封筒に札が一枚しか入っていないので安札を入れてみたが、結果当然落ちず。三橋一夫「天国は盃の中に」も二山に一冊ずつ紛れていたが、どうしたものか今日は入札意欲湧かず。最終台に植草甚一編集『ワンダーランド宝島』や種村季弘さんや八木義徳さんの自筆ものなどが。鷲巣繁男宛種村季弘書簡ハガキはリスペクトしている人から浩瀚な著書を恵贈された礼状の書き方の見本になる内容。更科源蔵八木義徳書簡は入院した更科への病気見舞。結局この時の病いで更科源蔵は亡くなるのだけれど、丁寧な筆遣いでペン書きされた、真摯に回復を願っているのが伝わって来る文面。やっぱりいい人だったんだなあ、としみじみしてしまう。いつものように発声係をやる。11時半最終発声終了。何も買えず。終わってみると、やはり、あの山とあの山は落札すべきであった、とじわじわと後悔が。組合費4000円払う。萌黄さんからグラシン紙分けてもらう。全紙25枚分。会場片付け、掃除機かけて、12時半頓宮神社を出る。

 恊治君のクルマで南平岸駅前まで送られる。<Maxvalu>2階ATMで札銀から4万8千円卸し、1階で買物。ガム、醤油、モヤシ2、ダシつゆ、歯ブラシ、歯磨き粉、石鹸、ゴミ袋、計1626円。農協で家賃◯月分後半3万円払って1時半前帰宅。2時半から半時間ばかり仮眠。高校時代の同級生内田喜久男君から電話。千葉在住の男だが、出張で札幌に来ている由。9時10分にススキノ駅で待ち合せとなる。渡辺和哉をメールでお誘いするが、「今、忙しくて行けません。残念だけど内田にヨロシク」の返信が。今夜の金主として期待していたのに、むくくくっ。友人の仕事が忙しいのはメデタイことだが、作戦は失敗。ああ、情けない、情けない。15時現在、晴、−0・1℃、湿度66%、予想最高気温1℃。

 受注1、まりの・るうにい「月街星物園 」。冊子二ヶ出す。トースト2、紅茶。

 6時半近くに家を出て地下鉄で札幌駅へ。7時ジャスト、古書組合新年会会場、京王プラザ・ホテル4階<蒼樹庵>着。ちょうど理事長のスピーチが始まるところ。今年は幹事さんのご尽力により掘りごたつ式の和室にて豪華会席料理である。そのせいか参加者多し。小樽の夢書房さん、旭川のB・B・B息子さんも出席、約三十名弱か。B・B・B息子さんは本日のセリ場で誘われ、急遽予定変更して参加した由。そういうノリの良さって好きよ、スガのオイちゃんは。料理、確かに美味なり。乾杯のビールの後は日本酒を燗で。これまたケッコウ。

 隣席のなちぐろ堂大西君は明日が自動車免許試験の由でウーロン茶を飲んでいる。普段の酒席では斗酒なお辞さずの男であるからこれは気の毒なり。首尾よく免許を取ってクルマを買った暁には我と薫風を温泉へ導きたまえとお願いすると、いや、仕事にしか使わないつもりですから、と早くも警戒される。

 向いに座った◎◎◎◎さんに昨年11月のセリで須雅屋の買った推理小説の口が欲しかった、悔しかったと、云われる。また、アマゾンに出品している札幌の同業者に何の注文が入ったかを毎日チェックしているのだそうで、まあ、そういう執拗さは古本屋の資質のひとつではあると自分は考えるのだが、それにしてもあっさりしている風に見えて意外にけっこうシツコイ人だったのだな、と認識を改める。その◎◎◎◎さんがオオイズミクンと呼ぶ交遊があるらしいオオイズミヨウ氏について話していると、こちらはオツキアイはない赤の他人のようであるが、薫風書林がオオイズミ氏の高校・大学の先輩であるのを宣言。高校までもと知って、へえ。それから◎◎◎◎さんがスズイクンと呼ぶスズイタカユキ氏が現在では狸小路だかにビルを所有しているのだそうで、これにも、ほへえ、と驚く。名前を出すのもナンなのだが、同じ演劇人でも一生家の一軒さえも持たなかった寺山修司とはエライ違いなり。儲ってるのねえ。リッチマンになっちゃったのねえ。身分の違いがあり過ぎて羨む気持も起こらないけど。

 斜め前の◇◇◇さんジュニアが、ウチの店の者も何人か須雅屋日記読んでますよ、と云ってくれ、次いでどうした脈絡からか、ボクはオヤジと違い酒乱じゃないですから、と父上について語る。むふぉふぉ。そうか、そんな所にもオレの読者がいたかと調子に乗った自分は、お宅のそのお父さんを自宅に泊めたことがあるのよ、ワタシは、と回想談を始め、そう云えば、反対にお父さんの家にも泊めてもらったこともあるなあ、市英堂さんの家にも何回か泊まったなあ、薫風書林佐々木家にも泊まったなあ、百間堂さんちにもブランメルさんちにも泊まったなあ、帯広の春陽堂さんちにも泊めてもらったなあ、それから、そうだ、弘南堂さんちにも一泊したことがあんの、夜中に起きてトイレへ行こうとドアと間違え3階の窓を一生懸命開けようとしていたワタシを庄一氏が引き止めてくれたのよ、当時まだ彼は独身で実家に住んでいたんだけどね、庄一氏が気配で目を醒さなければスガの人生はあの時ゲームオーバーしていたかもしれないのです、と話を続け、呆れられる。まったくどっちが酒乱か分からない。

 宴半ば、例年にはなかった余興?として一人ずつ立ち上がって今年の抱負を述べさせられる羽目に。薫風書林の話は、巨匠◯◯◯書店さんからの年賀状に「負け犬にならないで」と奮起を促すお言葉があったというもので、これには一同爆笑。市英堂理事長の話は、20年ほど前に北天堂さんの自宅に遊びに行った折、周りで遊んでいた小さな子供が今は古本屋としてお父さんと一緒にこの宴席にいることへの感慨。時は流れた、と。深く同感す。開業以来この20年で新年会の顔ぶれも随分と変わった。自分としては最近通常市や宴席に来られなくなった南陽堂さんと弘南堂さんのオヤジさんの話が聞けないのがサミシイ。

 料理のコースが終わった後で、最後に喰い放題の蕎麦が出る、蕎麦が出る、蕎麦が出る、と繰り返し幹事さんが云われるので、蕎麦蕎麦蕎麦と頭の中でソバという音が反響、期待せざるを得ない状況になっていたのであるが、デザートの後、そのままお開きとなった。あれはいったいナンだったのだろう。宴会自体は例年にないゴージャスなものであって、もちろん大満足、感謝なのであるが。ホテルを出て足早に札幌駅へ。

 9時15分、ススキノ駅で内田と落ち合い<焼鳥じゃんぼ>へ。お客は他に女性三人組と二人組。内田とは2004年の11月末に東京で会って以来。近況を聞きながら燗酒をくいくい飲む。内田がマスター三宅さんにコルトレーンをリクエスト。ビレッジ・ヴァンガードでのライブ盤で「マイ・フェイバリット・シングス」をかけてくれる。用を足している間に内田が支払いを済ませており、それではと5・5ビル4階<Lowdown>へ向かう。ドアを開けると「やあ」とマーサマスターの笑顔。

 ここで記憶がショート。飛んでます。♪飛んで飛んで飛んで飛んで回って回って回って回る〜、というあの歌はかかる状況を表現したものなのか。ああ。どうしようもない古本屋であることよ。