須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

日曜 一周忌

 午前7時起床。うどん、ノリ、ナットウ、米飯、麦茶、牛乳、紅茶、チョコレート。8時5分前に家を出、20分過ぎ札幌駅着。札幌ー伊達のS切符買う。5920円。8時34分のスーパー北斗6号で伊達紋別へ。備え付けの「The JR Hokkaido」で小檜山博掌篇他を読む。10時6分伊達着。10時半まで駅で時間つぶし、これが見納めと山下町の実家まで赴き、外から見学。今や廃屋となりつつあるこの家は昭和38年前後に建てられた。この半年以内には取り壊され、サラ地になることだろう。徒歩で鹿島町紋別寺へ。伊達はやはり雪もほとんどなく暖か。デカい<ダイソー>が出来ている。これでは商売アガッタリの店が何軒も出ているに違いない。

 11時から父の一周忌法要。お坊さんの読経と法話で30分。兄一家は墓参りをすでに済まして来ている由で、すぐに仕出し屋から頼んだオードブルで会食。発泡酒飲む。家の取り壊しには150万から180万かかる由だ。兄の孫の幼女二人が元気元気。1時終了。兄一族や清通叔父夫妻と別れ、本輪西及川家のクルマで相馬神社へ。畦蒜の叔父は出張で留守。ン十年昔からいる謎のお手伝いさんIさん(七十代か?)にお茶を御馳走になる。めっきり動作が緩慢になったIさんが自分と話しているうちに(と云っても「売上はいくらか?」「収入はいくらか?」「何時に起きるのか?」という類いのIさんの一方的質問であるが)居眠りを始めたので小一時間で辞す。

 前に入った覚えのある(と云っても四半世紀前だが)<MILK>という喫茶店へ行ってみると定休日。小道を挟んですぐ脇を紋別川という細い川が流れており、嘴の先が黄色い鴨が水に浮かんだり、岸辺で休んでいる。四、五十羽もいるだろうか。思いがけぬものに出会って嬉しくなり、なお見物していると、川底に何か、子供の傘ぐらいの長さの白いモノが沈んでいる。よく見てみると死んだ鮭ではないか。その近くにも分散して鮭の死体が四尾ほど。少し離れた上流の水面が盛り上がった形のまま動き、水草がそよいで、ばしゃばしゃと音がする。まだ生きている奴もいるようだ。いずれも伊達では初めて見る光景だ。これも気候異変のせいか。

 駅傍の倉庫が並ぶ近くまで数分歩く。気門別川を渡って山荘風の洋食屋<チロル>に入る。隣りには自分が中高生の頃に営業、とうの昔に閉店した<ウィーン>という喫茶店もあるのだが、今も看板は出ており、その当時のシャッターが降りたままで、通る度に不思議な感じを受ける。座った席の窓からは気門別川、今通って来た橋(新橋)と一つ向こうの橋(舟見橋)が見え、再開発のため家々が取り壊された原っぱの向こうに街並、その彼方に冬枯れた東山(と昔から呼んでいたが正しい名前なのかどうか)と白い空が。川と橋の多い町である。紅茶を飲む。370円。かなり渋い。が、雰囲気はいい。ピアノもあり、時々ライブもやっているらしい。
 15時23分の北斗11号で帰札。東室蘭から白老を過ぎた辺りまで15分ほど仮眠。車中、最近の飲酒で中断していた紀田順一郎「第三閲覧室」創元推理文庫を読了。やはり以前の作品と同じく古書や古書業界に関する蘊蓄で読ませるミステリーなのだが、読み終わってみると、この話のメイントリックは一種の叙述トリックと云っていいのではないかと思った。冒頭から事件発生までの伏線部分が長く、なかなか殺人が起きない。中井英夫じゃないが、殺せ、早く殺せ、まだか、早く死体を出せ、と心中呟きながらながら読み進めた。100頁近くで事件発生、物語が推理小説として動き始めてからは面白くなった。石神井さんの本を下敷きにしている部分がかなりあるなあ、と思いながら読んで行くと、ちゃんと内堀弘著「ボン書店の幻」を参考にしましたと巻末に書き添えてあった。

 16時58分札幌着。旧<ニシムラ>地下の<弘栄堂>で詩雑誌を見ようと入る。「ユリイカ」はあったが「詩学」や「現代詩手帖」は見当たらず。文芸書のコーナー自体も以前に比べ大幅に削減されているような印象。同じ札幌駅地下街に同店が何ヶ所かあるので、別へ行けば文芸書に力を入れてる所もあるのかもしれないが。荷物多く、引き出物が入った紙袋が破けつつあるので<紀伊国屋>、<旭屋>はヤメる。6時前帰宅。18時現在、雪、−2・1℃。

 剣道の世界選手権で日本が米に敗北の報。本来決勝で当たる筈だった韓国が米を降して優勝。第一回大会以来の13連覇ならず。剣道のスポーツ・ビジネス化進行を阻止するためにも日本が勝たなければならなかったのに。オリンピック競技になってピンクや黄色の防具をつける選手を見るのは自分的にはイヤである。

 9時、国営放送で「ワーキングプア2」。夏に放送したものの続篇。年金が支給されず、かといって僅かばかりの貯金があるために(といっても70万という羨ましい数字だが)生活保護も受けられない夫80歳妻70幾つの京都在住夫婦が自転車で空き缶集めをやっている姿が映る(十二分に悲惨なのに京都弁がどこかユーモラス)。このままではオレの将来も空き缶拾いだな、と思った。古本のセリなどがあって珍しく朝から街へ出た日には、札幌でもそういう老人を見かけることがある。その空き缶拾いもライバルの老人が多くなり思うように集まらなくなっていると云うし、第一、自転車で空き缶運ぶ体力が残っているか甚だ疑問であるし、わが前途は増々暗澹たるものだ。その時分にはとうに妻は逃げ出し独り身になっているに違いないしな。
 受注1件、特集:図像世紀(季刊『武蔵野美術』98号)。が、行方不明。「すみません」メール出す。零時半から入浴。2時から酒。Yに買って来させた温情2L780円を飲む。貰って来た揚げ物類と巻寿司、家の大根浅漬けで2リットルじゃなくて二合半。午前5時半就床。