須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

土曜 大市準備ー逆巻く流れに架かる橋のように

 5時半目覚め。6時現在、晴、18・9℃、湿度78%、予想最高気温28℃。7時起床。冷やしうどん、ナットウ、冷水、トースト、ミニあんパン、牛乳、カフェオレ。眠い。
 昨日分の日記書きしてから8時半過ぎ家を出、地下鉄で大通まで。9時5分、頓宮神社着。9時集合となっていたが、事業部員はもちろん理事さんたち(除・理事長)もすでに揃って働いていた。十数人がテキパキ、ビシバシと仕事している。皆さんとてもマジメ、すごく熱心。8時半から来ているそうで、どうもどうも、皆さんご苦労さん、お疲れさん、とリポピダンDを配りたいのは山々なのだが、どーもスミマセ〜ン、と心の中で頭下げるのみ。
 自分、会場係主任なのであるが、もう会場設営(毎月の市で使う会場の3、4倍、ちょっとした体育館なみの広さ)が終わっちゃってるので、早く何かをやって、のこのこ遅れてやって来たこの場を取り繕わなければと、一階から三階会場へ台車でダンボールや紐で結わえられた本を運んだり、三階フロアで検品をやったりする。合間に無料サービスのペットボトルお茶や缶コーヒー無糖ブラックなども飲んでみる。
 薫風書林に游書館君、それにブックス21大西君夫人も応援に来て労働している。自分より前に会場に着いて汗をかいている。この三人はボランティア。偉いぞ三人!さすがクリスチャンだぞ、薫風!感心だぞ、游書館!可憐だぞ、マダム大西!誰も見ていなくても、天とこの古書須雅屋が君たちの無償の善行を見ているぞ、記憶しているぞ。だからと云って、何か好いことが起こったり、報われたりすることはないだろけどね、おそらく。少ししてリブロさんも応援に駆けつけてくれる。自店の荷物を運んで来た小樽の夢さん、岩田さん、2分の1君、釧路の道草さん、根室の榧書店番頭さんなど他組合の方々も手を貸してくれる。かかる美しき心根の組合員たちと他組合の善良な古本屋さんたちで維持されているんだぞ、古書組合は。そうでなければ大市など出来ないのだぞ、それを札幌古書組合正史に記さなければならぬと思うのだ、自分は。だが、記録されることはついにないであろうから、ここに書いておくのだ、自分は。
 ドリンク休憩時間中に写真集一括の縛りに紛れていた『ナース井出写真集 麗人』平成1年・ビックマン出版というのを薫風書林と観賞する。黒木香が詞を寄せているのであった。ナース井出さん、タイトルから期待していた看護婦の恰好はしていなかった。観賞に熱中しているうちに休憩時間が終り、ありゃりゃ、と二人。全然休憩できなかったのであった。
 千歳のGさんの出品10点ばかしが通常市(最低値二千円。この大市は最低値五千円)と勘違いしているのでは?というモノばかり。電話で連絡の上、4点に纏める。昨年店を閉めたGさん、これからの老後を過ごす予定のタイに行っていらっしゃるとか。優雅で羨ましい限りだが、いったい如何なる動機で古本屋を始めたのかしらん、とも思ってしまう。「手空いてる?」と声かけられて、Kさんと二人、理事長の荷を出す。大量にあるのでけっこう時間食う。薫風君から道新コラムについて訊かれる。手伝い要員が多いのと全集などの揃いものの荷物が少ないので、午前中でK堂さん以外の荷はほとんど並ぶ。
 正午過ぎ、弁当配給さる。プライス一ヶ1500円と知った初老の方二人から、ちょこまかと品数が多いばかりでメインなドーンとしたオカズがないだの、ホッケが固いだの、全体が値段に見合っていないだの、明日のはもっと気合いを入れるように電話しておけ、だのと弁当手配係のN堂秀了君にクレームが出る。金は組合から出されるのであり、無料の豪華弁当がいただけるのだから(労働は提供しているからタダではないかもしれないが)、自分などは有り難く美味しくいただいていたのであるが、通は違うものなのか、I can't get no satisfaction!!なのか。何につけ古書組合の金が正しく有効に活用されないと面白くない、我慢出来ない、許せない正義の味方であるとも云えようけれど、この20年眺めてきたところでは他人にキビシく自分にスゥイートな正義派が多いような気がして、時に困ってしまうこともあったりするのである。
 弁当を使っている横で、同じく食事中のリブロさんが◯◯◯◯さんからアマゾンへの出品や売上について訊いている。と、薮から棒に「須賀さん、山之口貘さんの第一詩集なんて扱ったことありますか?」と◯◯◯◯さんから話しかけられる。「いや、もちろんありませんよ」と答えると「いくらぐらいですかね?」とまた訊くので「十万ぐらいですかね。『思弁の苑』でしたっけ」と真面目に答えると「そうです。K堂さんは9万円で売ったことあるって云うんですよ。ウチも手に入れたんですけどね」とおっしゃる。なんだ、持ってんじゃないの。それに値段知っててなんで訊いてくるのよ?Why?と内的独白していると「金子光晴の第一詩集はいくらぐらいするんですかね?珍しいんですかね?」とまた質問してくる。「『赤土の家』ですか。あれはないみたいですよ、なかなか。稀覯本じゃないですか。獏さんのより珍しい筈だけど。35万とか45万とかしてるんじゃないですか」と再び答え、まさかな、と思いつつ「持ってるんですか?」と訊くと、「ええ、たしか何処かのダンボールに入ったままになってる筈なんですよ。最近は大口の宅買いばっかりで整理がもう大変で」と来た。再びな〜んだ、である。要するに古本屋さんの持ち物自慢がしたかった訳なのだ。けれどもいくら金子さんの弟子筋から出ている口とはいえ、そんなにあの本が転がっているとは思えないのだけれど、自分的には。信じられないのだけど、現物見ないことには。
 1時からは、会場に入って陳列の手直しをしたり、同じ口の荷物が泣き別れしないように荷札を、出品番号105番の人の番号1の10本口ならば「105ー1 10−1」などと書いて結わえてある分すべてに、全員で付けてゆく。午前中から来場している昨年入った新人のR君が何もやらずに、自店の入札のために下見しつつぷらぷらしているのを見つけ、どうも古書組合の仕事、それに大市は組合員全員でやるものなのだということが認識できていないと見てとり、他人にあれこれ指図するのは嫌いな自分なのであるが、注意し、仕事に参加するよう促す。「下見するのは3時からね。だからそれまでアナタも仕事していいのよ。他組合の人も働いてくれてるんだから。ね」と憎まれないようやんわりと。
 荷はたしかに幾分少なくボリューム感には欠けるかもしれないが、会場はほぼ埋まった。全集が少ないのは、自分的には嬉しい。陳列も片付けもラクでgoodなのであるよ、自分のような不良事業部員には。先月の会議では指令されていなかった筈の、入札規定を作成せよ、用意してあるから会場係のあんたが書け、と全紙判の白紙渡されて焦るが、字がベリーバッドですから、とブックス21番頭さん大西君にやってもらう。大西君、何を云ってもイヤな顔をせずに取り組んでくれるから好きである。ナイスガイ!大西!独立の暁には須賀先輩、ごらんような有り様で何もできんがんね、出来る限りのことはさせて貰うよ。微力ながらね。たとえば君の家にたくさんお酒があってなかなか減らずに困っている時とかね、呼んでくれたまえ。逆巻く流れに架かる橋のようにこの身を、この胃袋を投げ出そうじゃないの。あ、その際にはとてもチャーミングな奥様の手料理なども面倒みよう、みんなまとめてさ。それは期待してくれたまえ。ね。何もお役に立てないボクだけど。
 2時半、作業終了し、予定より30分は早く下見OKとなる。そうこうするうちに旭川のBBB御一行着。村田社長に挨拶。と、その後から、帯広の春陽堂さん、続いて釧路の豊文堂さん、春耕堂さん、新加入の笹目書店さん三人様ご来場。春耕堂さんとやあやあ抱き合って久闊を叙す。豊文堂さんと村田さん、頭は薄くなるわ、膝は痛いわ、とお互いこぼし合い、じゃれ合っている。ああ、みんな歳をとったなあ。でも目先変えれば、一般のサラリーマンさんたちよりは若いと云えるかも。休憩コーナーで釧路組合の人たちと話す。早朝6時に発って来た由だが、釧路から来ると札幌は暑い、暑くてかなわん、と贅沢を云う。豊文堂さんに書き物の方で励まされる。春耕堂さんからNet商売について聞く。笹目さんという方、初めてお会いしたが、ホームズものなども訳している翻訳家さんでもあるとか。今夜は泊まらず、下見入札済み次第、帰路に着く由。自分もそのままクルマに同乗して釧路へ遊びに行きたくなる。他人が運転するクルマの中で飲むビールってホント美味いんだよなあ。
 このまま帰って早く寝てしまいたいと思ったけれども、せっかくの機会だから本を見ようと自分も会場をふらふらしてみる。最終台に谷崎潤一郎一括40冊、永井荷風一括29冊、更科源蔵他の詩誌『至上律』全8冊昭和3年、草野心平詩額など数十点の中に吉田一穂『海の人形』金星堂・大正13年初版函付が置かれている。

 これは日頃から何かとお世話になっている◯◯書店さんの出品。6月にお客さんから買い入れして来たばかりの本を、どんなもんだべ?と見せられて、しばらく、うーんと唸り、これ珍しいですよ、第一詩集の『海の聖母』の前に出てるもんで、これが最初の本なんですよ、一穂の・・・函なしでもけっこう、確か15万から20万とかしてた筈ですけど・・・、函付きは相当珍しいんじゃないかな、復刻本も出てますけどね・・・、珍本、稀覯本といっていいんじゃないですか・・・、七夕大市に出品しておかしくないモノだと思うけど、もう締め切り過ぎてるし・・・、今からだったら明古の特選市へ送るか、まあ、通常市でもいいけど、ともかく札幌で出すとすれば大市、間違っても通常市に出したらダメですよ、高くならないから、と一応エラそうにアドバイスしていたものなのである。ん、分かった、と格段のヨロコビも見せず恬淡とうなずく◯◯さんを眺め、また本を愛で触りながら、嫉妬深い自分は、ああ、◯◯さんに入ってよかったあ〜、これが△△や×××のとこなんかに入ったら、しばらく寝れなくなる、悔しくて、一生オモシロクない記憶抱えて生きて行くことになる、ああ、よかったなあ〜、ほっとしたあ〜、と内的独白していたのである。
 荷を見て歩きながら5000円〜6000円の安札を何点か入れる。青蛾社のガルシン、アルツィバーシェフ、ヤコブセン(は露文学ではありません)他が入っているロシア文学の一括の口がいいな、いいな、と思ったが2万円以下では落ちそうにないのでやめる。壁にン百冊の洋書の大山。主にシェイクスピアシェリー、キーツ、コールリッジ、バイロン、ブレイクなどの詩集や研究書など。これを買えば英書のちょっとした専門店にはなれそう。量が量だけに儲りそうな匂いがするのだが、量が量だけに端から入札意欲湧かず。塚本邦雄署名本8冊、これなんて手頃な値段で買え、しかも亡くなってからは売れてるんじゃないかしらん、と勝手に考える。人形屋佐吉刊「幻日の少女」昭和59限定88部。これも珍しいな。
 民俗学関係書の二本口に『ニューヘブリディーズ諸島』なる本がささっているのが目に飛び込んで来て、ドキッ、となる。著者は富士原清一。あれ、このタイトル、たしか石神井さんのカタログで見た覚えあるぞ、と中を開いて見る。昭和19年・日本評論社刊・3000部。南洋の民族の人の写真が載っていたりして、やはり民俗学の本なのであるが、この富士原という人は瀧口修造のお友達で早くに亡くなった人であり、シュルレアリスムの詩人として戦前、『衣裳の太陽』『馥郁タル火夫ヨ』『薔薇・魔術・學説』に参加、その詩篇は『魔法書或は我が祖先の宇宙学』1970年・母岩社・100部に纏められているのだ(ちなみにこの本は須雅屋目録第2号1988年6月刊にも掲載されている。エヘン。と過去の栄光?自慢。ムナシ〜〜〜〜!)。思わぬところに思わぬ本があるものよの〜、と思うのであるが、他の民俗学関係の本は不要だし、支払い考えると入札意欲萎んでゆくので、微々たる知識と発見も無駄になるだけなのである。ああ。
 某地から巨頭◯◯さん来場。以前はよく札幌の大市に見えられていたが、最近は大市自体が休止していたので、お姿を見るのは数年ぶり。うーん。歳をとったなあ。とまた思ってしまう。◯◯という言葉が浮かぶ。たしかK堂主人と同世代の筈だが、歳を重ねられてステッキを持たれてもK堂のオヤジさんからは◯◯という感じは受けない。方や酒好き、遊び好きで有名な方、一方K堂さんは自宅では晩酌にビール1本ぐらいだと聞く。酒毒のせいかもしれんなあと考え、気をつけようと思う。でもね、すぐに忘却して飲み惚けてしまうのですがね。へへへ。ああ、手が震える。震えが止まらん。手が・・・てが・・・て・・・が・・・ふる・・・ふる・・・
 6時下見終了、会場閉鎖。結局、品物半分も見られず。昼食前に店に向い姿を消していた薫風、再び下見に現れていたが、神戸から来たまーぶる書房さんの歓迎会のため、じゃんくさん父子と連れ立って夕食へ。魚かジンギスカンを食うらしい。いいなあ、飲むんだなあ、とすごく眠たいのに思ってしまうのだ。若いが商売発展中のまーぶるさん、ちょっと見には、帽子なきカントリーミュージシャンのようなスタイル。カッコいい!遠方からのお客さんをもてなすじゃんく氏律儀、そして御丁寧に須雅屋に渡すべく今日の道新も持って来てくれた。有り難し。
 大通地下街「小鳥の広場」で例によりインコ見物。この時間になると眠たそうにしているのが何羽かいる。それを起こそうと人間の父子がガラスの外から手を振ったり、ガラスを叩いたりしている。チッ、と心の中で舌打ち。<紀伊国屋>で『詩学』『抒情文芸』他の文芸誌立読み1時間。思うこといろいろあり。
 南平岸Maxvalu>でティッシュ、ハブラシ、もやし2、酒白鹿カップ2、計638円を買って、9時前帰宅。シャワー。レトルトカレーで御飯、蒸しもやし、コンニャク煮付で日本酒一合。気になっていた「幻日の少女」、検索してみると、まだ版元で定価以下で販売しているのが判明。入札はやめよう。1時前就寝。明日は8時半集合だ。なぜ8時半なのだ?なぜ?そんなに早く集まって何やるんだろう。