須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

11月である。

 午後3時起床。15時現在、晴、14・3℃、南東の風1m/s、湿度52%、日中最高気温17℃の由。

 妻は岩内の実家へと4時に出発。明後日まで。その妻がコピーで制作のカタログをY運輸のメール便にて15部、発送。

 いつにもまして、頭ボーッとしておりハッキリとせず。昨夜から鼻がぐずぐずしていたのだが、どうやら軽度の風邪のようである。ストーブを焚いてマフラーを巻く。自分としては、凍りかけたインク壜にペンを浸しつつ詩想を錬る、マラルメ安西冬衛を気取っているつもりなのであるが、妻の目には路上生活者としか映らないという。

 実は一昨年の2月あたりから鼻の按配がずうっと長きに渡って良くないのである。蓄膿かもしれない。医者に診断された訳ではなく、かつて蓄膿であった経験もないのだが、一年を通して鼻づまり感があり、晴れ晴れと鼻が通ることがないように感じられるので、勝手にそう思い込んでいる。蓄膿であった吉屋信子さんは四六時中、帽子を頭に被っているかの如き感覚に悩まされていた、と何かで読んだ覚えがある。幸い自分は現在までのところ、そこまでには至っていないが、鼻の穴からの空気摂取量が昔正常であった頃に比べて随分と少なく、脳の健全な活動に必要となる新鮮な酸素が充分に行き渡っていないように感じられ、一日に何度か思い出したように、ぐすすすすーっ、ぐすすすすーっ、と意識して空気を鼻から吸い込んではみているのだが、努力虚しく、次第に脳細胞が壊死してきつつあるように感じられて仕方がないのである。すでにもう何処もここも悪いところだらけである。

 7時、うどん、ナット、きざみこんぶ、粗挽きソーセージ、白あんパン、カフェ・オ・レ、紅茶、冷水にて第一食。

 9時、岩内の妻より電話。インコの心配と実家で聞いた親類の話。自分も何度か会ったことがある妻の叔父さん、亡くなったお父さんの弟さんが9月に倒れ、その後とんでもない不幸に襲われたまま入院中の由。まだ、58歳だ。あまりの病状に言葉を失う。昨年の今頃、義母が北大で手術した折には見舞の電話をもらい、久方ぶりに元気そうな声を聞き、また、律儀な人だな、という印象をも受けたのであったが。健康でありさえすれば、金がないなどはたいした問題じゃないな、と思ってみる。が、かような事態に陥った場合に、ないよりある方がいいのが、いや、何よりも必要なのが金なのだ。

 深夜、<ラクテン>へ詩集など6点UP。注文も1件あり。田中庸介詩集「山が見える日に、」。入力しながらNHK・FM「ラジオ深夜便」で小説の朗読三篇聞く。阿刀田高「あらすじ」、眉村卓「ある書評」、角田光代「旅する本」。「秋の夜長のものがたり〜本にまつわるおはなし」ということでいづれも本に関するものばかりであったが、古本屋としては「旅する本」が一番(圧倒的に)よかった。

 2時からシャンソン、3時から中島みゆき特集を、ウィスキー水割りを飲みながら聞く。肴は銀ダラとカズベの焼物、粗挽きソーセージ、プロセスチーズ、醤油せんべい、そして大根おろしとキムチでご飯、番茶。70年代、80年代、90年代、2000年代と四つの年代でヒットチャートNo.1になっている歌手は、日本では中島みゆきただ一人だそうな。へえ〜。

 なおも水割り飲みつつ、先ほど入力した昭和53年に学生社から出た「[シンポジウム]日本文学20 現代詩」を流し読み。出席者は吉田ひろ生、中村稔、分銅惇作、大岡信原子朗

 そう云えば11月である。そしてはや、その初日も過ぎた。2階のお子さんが今日も元気に活動を開始した物音を聞きながら、8時半就寝。