須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

 5月24日 火曜 地獄めぐりの途中で

  今日、母が死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、自分にはわからない。養老院から電報をもらった・・・・・いや、待てよ、母親が死んだのはかれこれもう20年も前だ。もしかすると今日か昨日死んだのは父親であったのかもしれない・・・・・いやいや、パパンは親父は、大滝温泉病院のベッドの上で影の人となっておるのだが、まだ、くたばってはいない筈だ、だってまだ電報も電話も貰った覚えがないのだから・・・・・いや、そうかそうかそうだよ、おそらくボケて来ているのはこの自分なのだ、永年にわたり摂取した酒の毒が脳味噌に蓄積、飽和状態となり、にゅるにゅると蠢くあまたの酒虫となって、溶け出した脳髄を蚕食しているのであろうか、昨日の出来事も茫として、もはやくっきりとは思い出せないのだ・・・・・今、ハッキリと確実に断言できることは、妻が数日前から出て行ったきり、帰って来ないということだ・・・・・

 で、自分は日記をつけることにした。細かく震える指先でキーボードを打ち、焼酎で発作抑えつつ、惰性に流されて失われてゆく日々の真実を、なんとか書き留めておく決意をしたのである。タイトルは痔極、いや、地獄めぐり。ああ、なんとも大仰ではないか。だって、この日記書いてる男は何処へも行きやしないし、奈辺も巡りはしないのだから。自分は引きこもり、今流行りの言葉でいえばニートって奴なのだ。それも中年ニートの隠花植物。表向きは古本屋のような顔をして生計を立てているフリをし、社会参加しているフリをしているだけの、のらくら者の、ろくでなしなのである。通信販売、それも自宅を事務所兼用としておる古本屋っていうのは、その内実は何をやっているのか、わかったもんじゃないのだから。

 本当の事を云おうか
 古本屋のふりはしてるが 
 私は古本屋ではない

 って意外だったでげしょ?ありゃ、そんなのもう以前からバレバレだって?
 と、いうわけで、この日記の中の真実の記録において描かれるのは、何処かの古本屋を巡り歩き、銭に飽かせて本を買いまくるなどという憧れの優雅なる情景ではなく、せいぜいが、毎日の米や、月末の家賃の算段に無い頭を巡らし、じたばたともがき苦しんで脂汗たらたら、四つん這いになって部屋の中を、わおーんわおーん、と吠え巡りつつ(って、ほんとはそんなスペースないんだけどさ)、ついには堂々巡りに陥るぐらいが関の山の、或る男の日常なのである。そこんとこ、よろしく、なのである。