須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

水曜 軽くなった

 2時起床。12時現在、晴、0・3℃、湿度47%、予想最高気温1℃、15時現在、−0・1℃。豆パン1、ミニあんパン2、バナナ1、蜜柑1、牛乳、紅茶。

 3時半過ぎ郵便局。39990円を卸し、国保二回分5600円を払い、農協へ行って◎月分家賃後半34615円を払う。何ごとも誠意(?)である。<セブンイレブン>でJNBから2万6千円卸し、<Maxvalu>で、牛乳、もやし2、プロセスチーズ、玉うどん、ハブラシ、トイレペーパー、計898円を調達、4時45分帰宅。梱包発送。「亜本屋通信」通巻83号来。よく続くなあ。

 9時、味付ジンギスカン、米飯、大根おろし入りみそ汁、麦茶、コーヒーゼリー。11時半入浴。法事もあるので数ヶ月ぶりに家庭床屋で散髪。オツムが軽くなってしまったのである。1時半からウィスキー水割り4、大根浅漬け、イカと大根の葉っぱ炒め、プロセスチーズ、蜜柑1。ペリカン書房品川力さんが11月3日亡くなっていた由、102歳。午前5時過ぎ就床。

 「村野四郎詩集」(白鳳社/昭和50・新装版/楠本憲吉編解説)読了。この方は実業の世界でも成功された人であった訳だが、残されている写真を見ても、笑顔のものはほとんどなく(西脇順三郎と郊外を散策中の一葉、それに鉄棒をやってるものでは笑っていたけれど)、思わずこちらも居住いを正さずにはいられないようなマジメーな風貌雰囲気であって、その詩の世界においても生涯に渡って、笑い、諧謔味、ウィット、洒落っ気といった要素が、あるにはあるが微量で、それが同じくモダニスト系でも、西脇、安西冬衛竹中郁などの詩人たちほどには自分が魅かれない理由なのだと思う。生前最後の詩集「芸術」を「詩人のつけるタイトルではない」と西脇さんが誰かとの座談で評したと何かで読んだ覚えがある。が、現在、詩誌やネットで溢れているだらだらした牛の涎みたいな詩とは対極的な(自分は棚の上)、カッチリとまとまった詩として優れており、短歌俳句にも通じている秀でた詩歌の鑑賞家、批評家であったのは確かだろう。