須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

布団の真ん中でマンセーと叫ぶ

 2時起床。晴。3時現在、25.1℃(最高気温は29℃)、湿度65%、南南東の風6m/s。こうしてみると風は毎日ちがう方角から吹いているのが分かる。
  メール・チェック。<日本の古本屋>からメール。お盆前から頼んであった入会本日よりOK出る。郵便局へ行き、昨日入金の振替口座の金1865円をおろして帰宅。冊子小包を1ヶ紙袋に入れて持参していたのであるが、出し忘れていたのを部屋へ戻ってから気づく。たんに、夏だからぼおっとしてつい、ならいいのであるが、何かこう、脳がどんどん縮小しているような感覚がある。恐怖なり。郵便局に電話し、集荷に来てもらう。

 『須雅屋通信』速報版と銘打って毎月、妻が自分の蔵書を掲載して作成発行している手書きコピー目録を11通、クロネコメール便で出す。<日本の古本屋>A本屋さん委託分より注文1件あり。鴨居羊子「のら猫トラトラ」。鴨居羊子の在庫2冊書添え、返信する。<楽天>からも『COMIC BOX』特集:内田善美に注文。

 昨日市場で買った句集をいじっていたら、手紙が一通入っており、宛名は数年前に亡くなった札幌の俳人Sさん。ありゃ、と自分は思った。出品者はたしか△▽堂であったが、A本屋さんと◇◇堂さんがノリ(共同)でいずれ全部買うことに決まっている、と以前A本屋さんから聞いていたので不思議に感じたのである。遺族の気が変ったということなのだろうか。Sさんは飯田龍太門であり、蛇笏龍太その周辺の俳人の本、他に色紙短冊などの自筆物が残されていた可能性大であって、自分が買ったのはそのホンの端の一部の筈なのだが。

 ◯◯書房のヒデオ君からメール。昨日知らせておいた「サンパギータ」買うという。購入するのなら、できるだけ早く来て金くれろ、とメールに書添えていたのが功を奏したのか、勤務終了後、10時過ぎに来るという。道案内の長文メールを送った後、持ち前のケチな性分が働き、あわてて高良勉サンパギータ - フィリピン詩篇」を卒読。作者は沖縄の人。フィリピンで大地震が発生した1990年(?)に留学生として滞在していた日々に取材した詩集。初めて読んだがいい詩人。サンパギータとはジャスミンのことで、フィリピンの国花の由。難解な言葉は一切使わず、比喩もむしろ月並みとも思える表現をあえて使っているようだが、やさしくそしてシンプルかつストレートな力のある詩篇が並び、これも凡庸な言い方で気恥ずかしいのであるが、ところどころジャスミンの香りが立ち上ってくるような官能的な感覚に誘う面も持ち合わせた優れた詩集である。太平洋戦争では日米の戦いで100万人以上のフィリピン人が犠牲になり、国民のおおかたは今もたいへん貧しい由。それで政治的にはいろいろと、傍目から見ると面白い事件が起きるのであろうか。それにしても正津勉といい、倉尾勉といい、勉という名の詩人は皆いい詩人、自分の好きな人ばかりなり。読んだついでに短い詩を二篇ノートに書き写す。「サンタクルス」には金子光晴の高名な詩「洗面器」をちょっと連想させるところがある。
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  ◯サンタクルス      高良勉

サンタクルスに/雨が降る/パッシング川を/雨がたたいている/いまは もう/何も書きたくない/語りたくない/スラム街の拡がる/マニラ湾に/雨が降っている/洗面器に落ちる/水の音よ/トタン屋根をたたく/雨の音よ/貧しいスープを/すすりあっている/娼婦たち/道端で寝ている/老婆と子供たちよ/それでも日は暮れ/人はまた 明日も/生きる 生きてある/遠くにかすむ/教会の尖塔/ああ サンタクルスに/雨がふる/水が天から/落ちてくる

  ◯サンパギータ      高良勉

どんなに貧しくとも/誇りを失わない 花/サンパギータ/フィリピンの少女たちが/炎熱の道端で売っていた/サンパギータ/小さい花房は 細い糸で貫かれ/芳しい香りを放っている 花の首飾り/一輪 一ペソ 三輪売れば/ライス と具のないスープだけの/一食にありつける/バランガイ(村)の庭先に咲いていた 茉莉花(まつりか)/サンパギータよ/イサン これで乞食にならないですむ/ララワ これで身売りされないですむ/タトウ これで売春させられないですむ/フィリピンの人々も 貧しいサイフの中から/小銭を捜し パキキサマ(お互いさま)/サンパギータの花輪買い/教会のキリスト像に 捧げ 祈る/主よ 主よ 我を 我等を・・・/私もまた キアポ下町教会の前/あるいは マカティ街の道端/やせた少女の手から 茉莉花ジャスミン)の花輪を買おう/それを留学先の壁に飾り/なまめかしい芳香の中で/詩篇を読もう 島宇宙の構造を学ぼう/だれが編んだか 純白の祈り/サンパギータ
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 (大丈夫か?こんなに無断引用して警察が須雅屋を逮捕しに来やしないか?)
 11時近く、ヒデオ君、「キリン一番搾り」500ml携えて来訪。なかなか愛い奴。今度から好意を持って接しよう、と思う。詩を書き写している最中であったので、玄関で5分ほど待ってもらう。本来なら上がってもらってお茶でも飲んでもらいたいところなのであるが、なんせ座れるスペースが全くないので勘弁なのである。中を覗いたヒデオ君も、ひえー、と驚いていた。

 妻、ほぼ毎週木曜日薄野でやってる高校時代からの親友とのお茶会のついでに某店に蔵書を売り、おかずと105円の酒カップを買って帰宅。羽毛を膨らませて丸まり、体調の悪そうな老齢(15歳)インコ金之助にあげるよう自分が進言しておいたのである。この金之助、以前はずっと食が細かったのであるが、数日前からはカゴの中でも常に餌を啄み、カゴから出てきては妻に餌をねだり、中へ入ってはまた食べ、終いには自棄を起こしたがごとくに餌を嘴でまき散らすその姿が何か異常なモノを感じさせ、この人間でいえば「ワシ、マダ、メシ、クッテナイ」状態はついにハイカイが始まっている段階なのかもしれないな、でも、食べてるうちはまだ大丈夫だろう、と見なすに至っておったのであるが、今日は止まり木に留り丸まって、目をつぶったままじっとして動かず、いかにも具合が悪そうであったのだ。早速、飲み水に酒を少し加えてやる。

 ゴミを捨てにゆくと、雨がぽつりぽつり。4点入力、<ラクテン>へUP。本日は湯をはって入浴。風呂から上がって第二食目をとり、日記を書く。
 妻の話によると、昨夜は自分のうなされる声に起こされたと言う。両手でTシャツを胸までまくり上げた淫らな(?)格好のまま夜具の上、自分が「マンセーマンセー!」と大声で叫んでいたというのである。いったいどんな夢を見ていたのか。「やはりキミは北朝鮮工作員だったのね。こんな貧乏暮らしも、できるだけ目立たないようにするための作戦なのね、日本の市民社会に潜伏するためのさー」と自分はすっかり北朝鮮のスパイにされてしまった。「活動資金、どっかに持ってるんでしょ?隠してないで出しなさいよ。ぱあーっ、とやりましょうよ、ぱあーっ、とさ」。そう問いつめられると自分も本当は工作員であったかのような気がしてくる。何らかの拍子に記憶を失い、本来の指名を忘れているのかもしれない、と思えてくる。ああ、愛する将軍様!申し訳ありませんでした。指令お待ち申し上げておりまする。「あんまり貧乏なのも返って目立つから、スパイじゃないと思うよ、たぶん」と妻には答えておいたが、彼女の疑いにもそれが冗談であるにしろ(?)、根拠がないわけではないのである。ここへ越してくる前に住んでいたマンション、それは独り者の時分に中古で購入していたモノなのであるが、結婚後そこへは数ヶ月に一度の割合で、朝鮮語によるマチガイ電話がかかってきた。その多くは、受話器の向こうのノイズから想像するに、何処か空港のロビーらしき場所からかけられているようであった。おそらく自分の取得した電話番号に似た番号の持ち主に朝鮮半島と関係のある人がいたのだと思う。この陋屋へ越して来てからはその奇妙な電話はふっつりとなくなったかに思えていたのだが、考えてみれば、ここではその元自宅の番号はFAX専用として使用しておるので、受信のすべては本当のところは分からないというのが真相であって、時々コールされて止るあれは、やはり空港からの電話であるのかもしれないのだ。

 なんやかや起きていて、午前11時就寝。断酒。