須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

お葬式

 午前7時起床。二日酔い。強風窓を打つ。窓開けてみれば吹雪。8時朝食。洗顔。しばらく横になってから着替え。再び腹部圧迫され、呼吸苦し。

 10時告別式。昨日から、香典返しの品に付されたハガキ大の会葬御礼の文句を見て知ってはいたが、改めて、お坊さんの口から父の院号を、須賀さんに相応しく賢明院にした、と紹介されて思わず吹き出しそうになる。何故なら在世中の父を知る者にとって、賢明という二文字ほど彼に似つかわしくない言葉は無いのであるから。あの世とやらがもしもあるのなら、どうかそちらで賢明に過ごしてくれ、と祈る。参列者少なく、すぐに焼香が済んでしまって時間が余りそうなので、これぐらいの数なら時間稼ぎに全部読みますから、と葬儀屋さんが予告していた通り読み上げられた弔電の中に小笠原君の名があり驚く。

 棺の中に花を入れてお別れ。釘打ち。他人から見れば、彼が死んで後、よりくっきりと彼が見えて来ようが、当人にとっては生きているうちが花なんよ、死んだらそれまでなんよ党宣言、と内的独白。死後の名声などと云っても、いずれ文明が滅びれば、すべてぱあー、ではないか。兄のお礼挨拶、一字のみ閊える。自分は腹の辺りが少しばかり苦しいというだけで何もしていないのであるが、兄は大変だ。あんなに兄に悪態をついた父であるのに、あんなに兄に辛く当たった父の葬式であるのに、自分が兄であったら疾っくに殺していると思った父であるのに。

 11時出棺。戸外、猛烈なる吹雪。バスの前10メーター先、いや5メーター先が見えないくらいだ。こんな吹雪は伊達では記憶にない。すぐ前に座っている運転手さんも、長年乗っているがこんなのは初めて、ちょっと怖いですね、と話すので、おいおい、と尚更こちらは不安になる。15分ほどで火葬場着。

 火葬場でのお経、20年前の母の時は人間(お坊さん?)がやっていたような記憶あるのだが、今はテープ。最後のお別れ。焼き上がり(でいいのか?)まで約1時間半の予定。二日酔いでカンビールには手が伸びず、お茶で弁当を使う。後は窓外の吹雪見ながら、「限りなく降る雪何をもたらすや」(三鬼)、「雪降れり時間の束の降るごとく」(波郷)、「雪降れり沼底よりも雪降れり」(橋間石)、「天を発つはじめの雪の群必死」(大原テルカズ)、「ふるさとは吹雪今も永い吹雪」(猫叉木鯖夫)、「白暝の自伝の荒野雪がふる」(深谷雄大)、「山鳩よみればまわりに雪がふる」(窓秋)、「降る雪や明治は遠くなりにけり」(草田男)、「降る雪や地上のすべて許されたり」(野見山朱鳥)、「俺に是非を説くな激しい雪が好き」(野村秋介)、「雪はしづかにゆたかにはやし屍室」(波郷)、なんて次々と雪の俳句を心に思い出して一人遊んだ後、畳に仰向けになり目を瞑って過ごす。起き上がるといつしか雪も小降りに。

 半時間ほども予定より時間がかかりて焼き上がり、二人一組になって骨上げ。母の時に比べて、頭の骨からつま先まで、はっきりと体の形そのままに骨が残っているのにちと驚く。そして小柄であった筈なのに一本一本の骨が意外に太い。やはり尋常小学校出てから働き初め、樺太抑留の過酷な強制労働を経て来ているだけに、骨も鍛えられているのかもしれない、と兄と話合う。納棺の時に足元に入れた十円玉を貰う。

 国道から火葬場までの道、積雪のため一時車両の通行不可能となり除雪車が来る。結局予定より一時間近くも遅れて葬儀場に戻り、2時過ぎからまた、繰り上げ法要兼ねて読経。そしてようやく葬儀終了。伊達地方では最近、お礼の物のみお持ち帰り戴き、精進落としは省略されているそうで、これはとてもよいことだ思った。着替え済ませ、兄に慌ただしく挨拶して、従兄弟満弘氏のクルマで伊達駅まで送って貰う。途中、各民家や商店の前に人出て除雪に精を出している。

 伊達駅3時15分着。待合室入るや、人溢れ、立ったまま待っている人の異常に多いのに気づく。何だ、どうした、何事ならんと、改札口、次の列車の案内札見れば、大雪のため洞爺と東室蘭間が不通と貼紙。ああ!なんたることだ!特急列車が洞爺駅に停車したままだというのであるが、その列車というのが本来午前11時25分伊達発札幌行きの特急だというのだから、参る。なかなか放送での案内が入らず、現在如何なる状況で、何時頃開通するのかが皆目分からず苛つく。ようやく駅長らしき人物の声で案内が入り、除雪車が行ったり来たりして、改札始まったのが5時半過ぎ。100人近くが自由席車両が着くホームに並んだろうか。中には午前の11時ぐらいから待たされていた人もいるらしい。こんな大雪はめったに降らない伊達紋別。ホームの上、駅員だか除雪要員だかの三十代ぐらいの男が、はあ〜、ほお〜、ひい〜、ふう〜、ほお〜、おお〜、ああ〜、とか大きな声を上げながらスコップで雪かきをしている姿に、同情しながらも笑いを禁じ得ない。

 寒風の中10分ほども待たされてようよう乗り込んだ自由席。が、その車内まで行き着かないのである。座れないのは覚悟していたが、立っているスペースが無い程の混みよう。デッキに立っているのがやっとなのである。自分が生まれてこの方乗車した道内の長距離列車では一番人間の密度が凄いと断言苦笑しよう。乗ってから10分ほど動かず、発車したのが6時。10分足らずして着いた東室蘭で一旦外へ出て走り、もう一つある別の自由席車両のデッキに乗り込む。伊達から乗り込んだ車両内の場所は周りにトイレがなく、いざという時に不安であり、「すみません、すみません」と云いながら車内の人かき分けて移動する勇気と自信、自分にはないのであって、用心のため、トイレが近くにあるデッキに移動したのである。イギリス英語をしゃべる長身白人男二人。伊達から乗ったらしい「ナウなヤング」の男女、いちゃいちゃと話題尽きず。登別でまた乗客あり、苫小牧までは地獄、千歳で大型トランクの客数人降りてやっと人心地つき、新札幌でようやく座れる。昨日今日の移動でまた腰痛がぶり返したようである。8時札幌駅着。

 8時45分帰宅。郵便受けに年賀状三通。ドアに紙片が挿まれている。見ると人探しのチラシ。怪事件が近隣で起きているようなのだ。妻は今日から実家へ帰郷。メールチェック。受注一件、児玉数夫「ターザン」。

 シャワー浴びて、寝室テレビで焼酎水割り飲みつつ「古畑任三郎」、途中から見て、石坂浩二を追いつめて行く辺りでまた寝てしまう。3時頃起きて、インコ寝かせ、また寝室で焼酎飲んで、大泉洋らの水曜天幕団「鷲頭十郎太」をやっていたのをこれも途中から見る。この人たちに興味湧かず、今まで無視していたのであるが、話は実によくある分かりやすいパターンのもので(また意識して分かりやすさを選んでいるのだろうが)取り立ててどうというモノではないけれども、舞台は案外面白かった。たしか昨年、このMS近くのテレビ局駐車場にテントを張って興行した芝居で、テレビの音声にも時折、ブーとかプアーとかいう自動車の騒音が入っている。5時就寝。