須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

祖母の祟り

 10時半目覚め、寝床読書。田中庸介詩集「山が見える日に、」読了。面白し。けれど、まあ、宇宙人の言葉で書かれているわけではないのだから(そうなったら解読不能だが)、革命的に新しいというわけじゃない。「アフリカ」という詩はいい。この詩だけに限って云えば、詩から意味を消すことによりポエジーの純粋は実践される、とかってたしか戦前主張していた春山行夫の愉しい実験現代版みたいなところがある。「おしゃれなパラソルだった詩人さんパラソルだっ/たパプリカパラシュート草原のおしゃれな詩人さ/ん夏の、パラソルだったら走る、夏の。/アフリカのビジテリアンアフリカのビジテリアン/パラシュート草原の雲はアフリカの詩人さんラテ/ライトの詩人さんだってばおしゃれな/ジラフのビジリアンのジラフのビジリアンのジラ/フのビジリアン/も/ジープで走るアフリカの道のパラシュート落下傘/アフリカ降下ビジテリアン、ビジテリアンビジリ/アン、ピラフ/(以下省略)」

 晴。12時現在、27・?℃(今日最高気温29℃)、湿度55%、南の風8m/s。
 12時半起床。インコの世話30分。昨日の詩を手直し30分。トースト、昨日のトリ肉料理、牛乳、紅茶、冷水で第一食。そのトリ肉、固形物として本日最初に口にしたのモノであったが、それを入れようと口を開けた時にちょっとヘンな感覚が顔の右半分に走った。それからは、口を大きく開けることままならず、肉でもパンでも噛むたびに、右耳の下辺りに鈍痛が起こる。元来自分は顎の噛み合わせ(っていうか蝶番)の部分がしっかりフィットしておらず、口を大きく開ける度に、カクッ、カクッ、と微かな音も聞こえたりして、時々はその音鳴らしで一人、遊んだりなんかして孤独を慰めてみたりもしているのであるが、昨日は妻からの電話以外は人間語を話さなかったので、その噛み合わせ部分が硬直していたのであろうか、顎がはずれるまではいかぬものの、どうもちょっとずれてしまったたようなのである。(実際の人間の上顎と下顎の蝶番の部分はネジのようなモノで接合されているわけではなく、筋肉とか神経とかの筋で繋がっているだけの実に脆弱かつ不安定な構造である由、TVで見た覚えあり。)

 3時、電話あり。時期的にみて、そろそろ大家さんかしらん、と受話器とり「はい」とだけ発語すると、数秒沈黙があり緊張したが、女性の声で毎日新聞社衆院選挙アンケートとのことで、ほっ、とする。女性への調査をしたい由なので、明日にしてもらう。
 4時から、米研ぎ、洗いモノ、ついでに流しの掃除、計2時間を要す。我が家には稼ぎ手の主夫も常に不在であるが、主婦もいないので仕方なし。済ませて、早めに入浴。いやあ、今日は働いたなあ、と湯につかる。

 8時、食料を詰めたバックを三つ携え、妻が帰宅。4万円渡される。イカ刺し、秋刀魚の塩焼き、蕗と筍と豚肉の煮物、トマトと海藻サラダで米飯で第二食。どれも美味しいのは美味しいのであるが、噛む度に顎にまだ鈍痛があり十分には愉しめず、少量ずつを口に入れての食事で時間がかかり、難儀する。どうしたの、と問う妻に、顎がはずれかかったのだ、と答えると、ぷっ、と吹き出す。どうもこの、「顎がはずれる」、という症状は本人にとっては至極悲劇的な状況であるのに、それを横から見る他者には気の毒なことだと同情されながらも、「ぷっ」と思わず吹き出させずにはおかぬところがあるようなのである。

 この一月ほど前であったか、志賀直哉の「和解」を再読したのであるが、事実をそのまま書いたらしいこの小説の中で志賀直哉らしき主人公が、所用で千葉県我孫子から上京、麻布の実家に電話をし(作中、幾度も電話をする場面があるのだが、これはその中の一つ)、その後、祖母を見舞うくだりがある。その電話の場面で、
《そしてそこで電話を借りて麻布へ電話をかけてみた。母が出て来た。
 「おばあさんのお顎がはずれましてね」と言った。》
自分は「ぷっ」と吹き出し、続けて「ははは」と笑ってしまった。作品自体深刻な話であり、この「お顎事件」も決して明るい場面ではないのであるが、志賀直哉とそのお祖母さんには悪いと思いつつも、笑いを押さえることができなかったのを、自分今は思い出した。そして思った。今回、顎がはずれかかったのは、志賀直哉とそのお祖母さんの祟りかもしれぬ。と。恐るべし、志賀直哉、そしてその祖母留女。

 妻の話によると、岩内では本来今が盛りのイカとホッケがまったくと云っていいほど取れていない由。代わりにサンマばかりが揚がっているのだが、これは取れ過ぎて、価格が暴落し捨て値になっているという。うまくいかないものだ。それで漁師、魚屋の皆さん、みんな大変に困っているという。これも地球温暖化で海水の温度が今までとは違ってきつつあるためと想像されるとか。そういうわけで、今回のイカ刺し、とても貴重なイカ刺しであったらしいのだ。岩内のイカ刺しが食えなくなったらどうしてくれるのだ!ブッシュよ!コイズミよ!
 日記を書こうと考えていたので、酒なしでイカ刺しも食したのであるが、眠くなってきたので日記は取りやめ、一般市民の方々のように11時就寝。こんなことなら飲めばよかった、と後悔しつつ横になる。顎が痛くても水、紅茶など液体を飲むにはいささかも差し支えないのだから。