須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

わたしの体を通り過ぎていったモノたち

 1時起床。晴。3時現在で27℃、湿度48%、南西の風6m/s。
 メール・チェック、入金あり、冊子小包一ヶ作り、電話で集荷依頼。第一食。トースト、アンパン、おはぎ、紅茶、カフェ・オ・レ、冷水。残暑たけなわ、まだ夏はそこいら辺に留まっている。久方ぶりに保冷剤入りタオルを頸に巻く。夕方、妻は岩内の実家へ。鳥さんたちの世話をやらねばならないが、明後日まで独身となるのはいい。

 6時前にFAXの方の電話が鳴るも、用紙すぐ切れて、受信失敗。あわてて、FAXロールを取り替え、二度目の着信で成功。ドッドッドッドッドッ・・・、って止らないよこれ。1枚、2枚、3枚、4枚も。見てみると◯◯大学という文字が目に飛び込んで来て、おほっ!これはもしかしてン十万の大口注文?って心は一瞬スキップ。が、仔細に眺めてみれば、あれれっ、書名は1冊のみ。で、よくよく内容確かめてみると、7月9日に四国の某国立大学の先生から注文のあった新渡戸稲造「帰雁の蘆」(明治41年 七版 弘道館/売価2500+送料290円=計2790円)一冊のみの日付なしの書類と口座振込依頼書を作成して送付せよの要請。なーんだ。期待もたせやがって。でも自分、この本を送ったこと自体を忘れかけていた。書類は日付無記入にて作成という所がたいがいであるのに、7月10日付けで書類作成、また振込先の口座のメモも同封せよ(もちろん請求書にも口座番号記しておきはしたが)、とずいぶんハッキリとメールでその先生からは指示されて、即送本しておいたのであるが、今になってこれじゃあ、こちとらへ入金になるのは、今月の末、いや下手すると来月10月の末になるではないか。だから、公費は嫌だって云うの。だから、◯学○師は駄目だっていうんだよ。仕切書も余計に使うしさ、FAX紙も無駄に減ったじゃないのよ、送るのに切手代80円はかかるし、第一この自分の人生の時間も空しく消費されることになるではないか。どうしてくれるんだ。口座振込依頼書には支払手数料(送金手数料)を、【1・負担できる、2・負担できない】なんていうお茶目な欄もあったりなんかして、ふほふほふほ、って思わず笑っちゃうんです。誰が負担するかってんだよ!

 このまま放置しておいても金は入らぬので、仕方なく書類を再度書いていると、自分の体を通り過ぎていった先生たちからの注文の思い出の数々が浮かび上がってきた。

 詩集その他約4万葉書注文、数度の催促の末、半年後に入金してはくれたが、その後もいつでも金払いの遅かった札幌の某私立大学の某センセイ。

「乳房よ、永遠なれ - 薄幸の歌人中城ふみ子」送料含めて2500円チョイをナカナカ払ってくれず、一年数ヶ月後にやっとお金を送って下さり、毎月の請求書送付で使用した切手代だけでも千円近くを無駄にさせて下さったJRお茶の水駅から近い某大学の某センセイ。
「◯◯大学の▽△△▽と申します」と丁寧な口調で「ヘンリー・ジェイムズ作品集」全8巻5万円を電話注文、数度の督促の末、半年たってやっと送金して下さった現代日本文学の批評で度々、文芸雑誌にも登場していた八王子方面にある某大学でアメリカ文学が専門の某センセイ。

 丸谷才一など数冊約9千円を送本したが入金なく、その後何度となく大学、自宅にも請求書を送ったが、ウンとスンとも云って来ないので、1年数ヶ月後、事務所に電話し番号を訊いて大学のFAX宛に請求書並びに手紙送ったところ、あわててFAXで詫びの返信くれ(たいていの場合、どんなに支払い遅れようともほぼ100パーセント、詫びの一言も振替用紙通信欄にはない、これもセンセイ方の著しい特徴)、そしてお金もようやく送って下さった福井県地方の某大学の某センセイ。

 著名な文芸批評家でもあり、毎回景気よく注文下さるが毎回支払いは遅く、その折も5万ほどの注文を下さり送ったが一月近くたっても当然のごとくに金は来ず、通常ならば一月ぐらいはカワイイものよ、とまだ放っておくのであったが、その時は家賃の工面が付かず速達封書で再請求、一週間ほどしても入金なく、少しばかり逡巡したが思い切ってFAXにて再々請求、それでも反応ないので、また速達で窮乏を訴える書信同封して再々々請求、さすがに数日して振替で送金してきたが、それまで目録「須雅屋通信」に毎度のように下さっていた注文がその後はパッタリ、完全無欠に途絶えた某大学の某センセイ。おそらく止むなく送ったFAXでの請求がセンセイの逆鱗に触れたのだろう、と思う。

 ベケット関係3万7千円ほどをお買い上げ下さり、しばらく金は貰えず、請求書を送付したところ、本学には在籍していません、と返送、何処かへ転任、消えてしまわれた中国地方の某国立大学の某センセイ。

 母校である東京有名私立大学の講師から札幌某国立大学へ助教授として赴任、十年ほど後、教授として同私立大学へ戻っていった、賢治や乱歩について『ユリイカ』『国文学』などにも執筆し、さる近代詩人の全集編纂者でもある某センセイについてはとりわけ印象が深い。オシャレとキザとノホホンが三位一体になったようなその髭のセンセイには目録で度々、しかしこれは必ず、公費で買って戴いていたのであるが、ある時3月の終わりのある日のお昼頃、注文品を納入すべく、その某大学の文学部図書受入れ掛りの元へ本を持参すると、その以前からイヤな男であるとは感じていたFという国家公務員は、「◯◯の分でしょ」とセンセイのファミリー・ネームではなく名前の方を呼び捨てにして、今は年度替わりの時期だから受け取れない、と言われ、「アンタもねぇ、売ればいいってもんじゃないよ、売れば!理解したら帰って」とケンモホロロに撥ね付けられたことがあった。それは1分足らずではあったが、古本屋になってから最も屈辱を感じた時間であった。部屋を出てから、閉まったドアを軽く蹴飛ばしてやったが、他にも二人職員がいた事務所の中でハッキリと相手の言動の理不尽さを抗議すべきであった、と現在でも思い返すたびに夜中眠れなくなることがあるほどなのである。古本屋は本を集めて売るのが商売じゃないか。売って何が悪いことがあろうか。その日は午後から絶望的な気持で仕事が手に付かず、その後二週間ほどは厭世的な実にイヤな気分で毎日を過ごしたのである。後に知れたことであったが、この処遇には (自分にはまったく不条理なものであり、相手方に同情の余地はないが)、因って来るところがあるのであった。予算を超えて本を公費で買うセンセイと(詩の授業では松任谷由実なども取り上げて、生徒には人気のある人であったらしいが)、その国家公務員図書受入れ掛りのFとはずっと折り合いが悪く、そのとばっちりがちょうどその時、のこのこ本を納品に行った自分に向けられたものらしいのである。これが老舗のK堂Jr.あたりであれば、理知的な容貌と落ち着いた物腰から醸し出される風格で、おいそれと軽い扱いも出来かねるのであろうが、自分という男は確かに内容空疎な人間ではあるが、それにもまして頼りなさそうなチャラチャラとした外見のためであろうか、軽々しく扱われる目にしょっちゅう遭遇する運命らしいのである。思えば、書類作成に要した時間、大学までの徒歩での往復時間がすべて無駄になり、それから数日のあいだ仕事にも集中できずに、踏んだり蹴ったりの結果になった注文ではあったが、納品できなかった状況を説明し、浮いてしまったままの本の処分をどうすべきか訊くために手紙を送ったが、その後センセイからは一切何も連絡は来ず終いであった。他人の苦しみを想像できる能力を持たない人間が、表象だけをあげつらい、小器用に分析して、テクストだ、エクリチュールだ、ディスクールだと、外来批評用語を振りかざして成しているどんな文学研究も批評も、自分は信用したくない。

 10時、「開運!なんでも鑑定団」を見終わった帰郷中の妻から電話。インコの様子を訊かれる。「テレビがある生活って、やっぱりいいわね」と好きな番組を堪能したようで元気である。何時代の会話だ?
 第二食済まして12時前、明日の健全な生活のために<Maxvalu>へ行き、トイレ・ロール348円、牛乳148を購入。ついでに明後日に妻がもたらすであろう刺身に備えて、「白鹿 酒カップ」100円2本も買っておく。それから<ローソン>で切手と葉書買い一度帰宅、すぐに出て先ほどの某大学宛書類の封書をポストへ投函。

 <楽天>へ9点UP。シャワーの後、人様のブログを覗き、3時半から日記書き。10時半、発泡酒1本、またネットを見てウダウダ、正午就寝となる。