須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

新しき謎の隣人と特価本今昔

 2時起床。曇り。

 2階の、ゴトン、ドスン、バタン、ウギャーという音で目を覚まされ、さらに宅配便で起こされた。

 一年ほども空いたままで、こちらにはとても都合のよかった真上の部屋に引っ越しあり。8年前、ここへ入居してみると、2階には、毎日朝から晩まで運動会やトランポリンでもやっているかのごとき、とんでもなくウルサいガキと非常識な両親の一家三人が住んでいて、こちらは2年近くのあいだ、毎日いらいらし続け、ついには、「ピアノ騒音殺人事件」とかいうのもあったよな、と思い出し思い詰め、ひそかに計画を練り始めていた折、ある日一家の姿は見えなくなり(つまり転居した)、あやうく犯罪者になるところを免れたという顛末があった。その後入って昨年までいたのは老夫婦で特に問題はなく、対2階に関しては(横隣はまた別)安定した精神状態が保てたのであるが、果たしして今日からはどうなることか。新しき真上の隣人は如何なる人なりや。まっとうな人であることを切に望む。まっ、あちらさんもそれはご同様だろうけどさ。大丈夫でげすよ。あたしはとっても真面目な人畜無害のいい奴なんですから。ね。へっ、へっ、へっ、へっ、へっ。

 と、かくもいちいちビクビクと気にするのは、自分が人並みはずれて神経質であるということもあるけれど、なんといっても鉄筋作りの割にはやたらに音響伝導のよいこの安普請のせいであり、さらにより奥深い理由を言うと、その陋屋マンションの大家に面とむかって他の住人などに関する苦情を堂々とは言えない立場にある、と自覚しているからである。現にできるだけ外出を控え、MS内とまたこの界隈で大家に能う限り出くわさないようにし、またどうしても外へ出なければならぬ拠ん所ない事情がある時は、雨の日も晴れた日も妻はスカーフをつけ、自分はホッ被りをして、きょろきょろと辺り伺いながら、早足で歩いているのである。

 宅配便は東京の明治古典会から。開けてみると、おお、これはお中元か、マウスの形の音声付きアラーム。さすがは明治古典会、シャレたもんくれるじゃないの。メタリックシルバーのボディがかっこいいい。いい目覚ましがなかったから助かる。電池入れて、現在時間に合わせてみる。これに約30分近くかかる。マウス裏のボタンも小さく扱い辛く、説明書の字がまた細こうて細こうて、老眼の始まっている身にはきつい。アラームをセットしようとしたが、説明文も分かりずらく、何度やってもウマく行かないので、放棄し、諦める。だめだ、この時計、オジさんには尖端的過ぎる。きっと、明治古典会のエッジな若者がセレクトしたにちがいない。どうせくれるならテレビの方がよかった。明後日から行く実家で使うという妻に渡す。

 1週間ほど前に東京・Y書店の「新本特価書籍卸目録」が来ていたのを思い出し、見てみる。店売りをやめてからは特価本は一切買わないので、ウチには目録も数年に1回しか来ない。一目見て以前と違うのは、厚さが増したのと横組なことであるが、中身も相当変わっている。むろん、前見た時と本が異なるのは当たり前なのだが、傾向がよほど違っている。文学書に限って言えば、筒井康隆だの、島田雅彦だの、高橋源ちゃんだの、群ようこだの、現在売れてる作家の本がたくさん並んでいるのが、目をひく。昔は内容はいいモノを出しているがセールスはぱっとしないマイナーな出版社(その代表例が薔薇十字社とか出帆社、牧神社といったところ)の本がほとんどであり、また特価本卸し会社に安易に商品を流すのは恥であるという風潮が出版社サイドにあったように思えるのだが、現在ではメジャーな出版社でも、或る程度で見切りをつけ、平気で特価本にしているようである。これも再販制ナントカ問題の影響なのか。いろいろな場所でさまざまな変化が起きている。

 札幌は中央区、その昔<古書B>、それに<I書店>といずれも自分と関わりの深かった古本屋さんがあった行啓通という商店街の交番で巡査部長が拳銃自殺。28歳、そばに遺書もあった由。幹部は「このようなことは警察官にあるまじき行為であり、今後再発防止に勤めたい」とかコメント。警官のピストル自殺は道内これで今月に入って2回目。どうしたんだ、一体。自殺は、そりゃあよいことじゃないだろうけど、すぐ身近にあればピストル使うよな、やっぱり。

 入浴後、妻に命じて買って来させた「白鹿」200mlカップ2本を、カツオの刺身とたたきのダブル、温ヤッコ、ワカメ・サラダと天ぷらカマボコで。5時就寝。