須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

火曜日 兄からの電話

 朝8時半就寝。12時電話に起こされる。受話器取り、「はい・・・・」とのみ声を出して、向こうの言葉を待つ、という癖が直らない。7年前にこのMSへ移転した時から、店を持っていた頃のように「はい、須雅屋でございます」とか、「はい、須賀です」なんていう威勢のいいと云おうか、一般市民としてのノーマルな電話第一声ができなくなり、それを今だに引きずっている。ああ、こんな大人にはなりたくなかった。

 「はい」と電話に出て、しばらくの間があって後、「おっ、アキか」と返してきた声は苫小牧に住む兄であった。声を聞くのは昨年8月末以来。顔を会わせたのは、最近では一昨年の四月に父が倒れた時。それ以前は電話含めてほぼ五年間無沙汰していた。兄や親類縁者には、ヤクザな古本業界から足を洗い、アルバイトをして生計を立てていることに自分はなっておるのだが、向こうは薄々内実に気づいておるようなのである。

 室蘭の母方の伯父が亡くなった由。明日夕6時お通夜、明後日9時告別式だが来られるか、来られなければ香典出しておくがどうか、と言う。嫌だな、と咄嗟に思ったが、それはあまりに薄情、かねてより常識のない弟と見ていたがこれほどまでとは、と思われるのを怖れ、「うーん」と返事をためらっている自分に「明日夕方までに電話くれや」と言って兄は電話を切った。

 死んだ伯父は年に何度か伊達の実家へ、一人暮しの父の懐と酒を目当てに訪ねて来ておったようだ。家で飲ませ、居酒屋で飲ませ、スナックで飲ませし、ある時は温泉で饗応、不良老人二人酩酊して風呂に入り、伯父は洗い場で昏倒、意識不明となり救急車で病院へ運ばれ一命をとりとめたという事件を引き起こしたこともあったとか。おかげで父は、「飲ませたアンタが悪い」と親戚たちから寄ってたかって糾弾され、少しも弁護しようとしないこの伯父と絶好した。「あの野郎の葬式には絶対出ないからな」と宣言していた父も今は入院生活の身の上で、はからずも珍しいことに有言を実行した。ああ、自分は思う。この馬鹿なお調子者どもの血がこの体に流れているんだな、確実に。と。

 てなわけで、悲しみはまったくと言っていいほどない。それに第一ひどく眠い。小さい頃はお年玉を毎年もらったなあ、などと強いて面影を辿ろうとしてみるが、やはり死ぬもんだな、いつかは、そういう親戚を持つ年齢に自分もなったのであるな、ぐらいの感慨しか湧かない。ひとつには、自分が大学に入ってからは疎遠、この四半世紀ぐらいの年月で数えるほどしか会っておらず親しみが薄れている、というのもあるのだろうが、より根本的な理由は、この伯父を含め母方の親戚連中が足を踏み入れたこともない癖に、古本屋という職種に全然理解を示そうとせず、バカにさえしていたという事実によるのである。そしてこの無知蒙昧な田舎者どもを見返すどころか、細々と食いつないで行くことさえ出来ずに、奴らの予想通りの人生を自分はこの札幌平岸のアバラ屋で送っているのである。ああ、敗残者という言葉が浮かんで来る。

 「さっぽろの古本屋」への注文品に同封した自家カタログ・バックナンバーへ葉書注文。松江のお客から河野愛子歌集と日野啓三の本、二冊4400円。妻の出しているカタログへ千葉県市川市のEさんよりFax注文、いろいろ、1万円ちょっと。この人はお寺さん、昭和62年に『彷書月刊』へ掲載した目録広告で買ってもらって以来のお得意さんであり、今や数少ない、宛てにできる目録客。おそらく全国の古本屋から毎月購入している筈だから、その費やした金額と蓄積された量たるや大変なものであろう。夕方、3月11日第一弾20通に続いて妻目録第二弾21通、クロネコメール便で発送。
 夜9時、「なんでも鑑定団」。見終わって外出する妻にNTT二回線分4225円の支払いを頼む。10時から「日経スペシヤル ガイアの夜明け」<今、本を売りにゆきます 〜純愛に泣くY世代を狙え〜>を見る。「セカチュウ」他純愛物でミリオンセラーの◯◯館、携帯小説家のYoshi、日本初めての作家エージェント業を名乗る<◯◯エージェント>社が28才の新人女流作家をデビューさせるまでの三つの話が主体で、要は文芸ビジネスも今やマーケティング第一よ、てなことを言いたいのであろうが、映される絵の7、8割方がヤラセではないか、と思わせるあざといモノばかり。文芸書のことを何も知らなかったからこそ売れる本が作れたと鼻息も荒い◯◯社編集者。「チョー泣けたっ!」「横書きでチョー読み易い!」と女子高生に大人気の「Deep Love」シリーズ計250万部売り上げ、「今の作家は読者のことを考えてない」とエラそうに述べるYoshiという男は何処かのホストか、ヒモか、結婚詐欺師のような風貌。会社設立後3年間で12冊のベストセラーを産んだという◯◯エージェント社の小柄な社長は、ユンケルと赤蝮ドリンク毎日10本飲んで鼻血ブー、もうギラギラしてるヤリテって感じの人。小檜山博の回想エッセイによれば「いい本は七千部以上は売れない」というのが坂本龍一の親父さん、名編集者と謳われた坂本一亀の口癖であったそうな。七千部はちと寂しいかもしれないが、まあそんなもんでしょう、と思う。一冊でもより多く売れる(売る)に越したことはないが、お祭り騒ぎの後には必ず「祭りの後」が来るのである。