須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

追憶の1975年

 正午前、惰眠を貪っていたところを、電話で起こされる。◎◎運輸の会計の女性から、一昨日お振込み戴いた60円はいかなる種類のおカネなりや、の質問。以前何度か電話をこの人からもらっているのであるが、いつも鈍い人でごたごたとして話が通ぜず、今回もまたそうであり、寝起きであることも相まって、こちらもつい不機嫌な応対になる。電話を切ってからちょっと恥ずかしくなり、修業が足りんと反省。が、常日頃のドライバーの態度を思い出すと、こんなもんじゃだめだ、もっと言ってやらんと、と思い直す。

 夜、薫風書林娘モモさんの受験結果を知り、我が高3の二月、三月をしばし追憶。受験での上京時は、5歳年上の兄の友人Mさんの下宿先アパートに十日ほど滞在した。♪はーるばる越えて函館〜、♪津軽海峡冬景色〜を連絡船で渡り、上野までは、どですかでんどですかでん、と国鉄でやって来たお上りさんの東京滞在初日のこと。カフカ的悪夢の体験があった。こ、これが、と、と、東京なんだな・・・お母っさん!えらく、お、お、恐ろしかとこに来てしまったばい、と、普通の受験生では味わえぬ貴重な経験をしたのであった。ああ、あの上京第一日目からしてすでに、自分の人生は底抜け脱線ゲームだったのだな、と今にして思い当たる馬齢を重ねた現在なのである。

 夜12時,< Maxvalu>で酒を調達するためにsub南平岸駅近辺まで下りて行く途中、<ローソン>のウィンドウ越しに雑誌立ち読みに集中してる妻を見かける。ブラックニッカ・クリアブレンド749円、白鹿200mlカップ99円を買い、戻ろうとすると妻がまだ立ち読みに熱中しているので、声をかけ、一緒に帰宅。

 妻が週刊誌から得た情報によると、長野オリンピックのスキー・モーグル金メダリスト里谷多英嬢は、堤義明の推薦でフジテレビに入社したのだそうだ。昔、北海道出身のウィンター・スポーツ選手は、ニッカとか、拓銀とか、ナントカ組とか、地元企業に就職するというコースが普通であったと記憶している。勤務先のカラーが変われば、人生もまた違う様相を帯びて来るというわけであろうか。