須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

詩人の名前

 夜7時過ぎ、妻が買物に出かけるのを見届けてからワープロに向かい、詩らしきものを書き始める。12時過ぎ、妻が帰宅するや、ぱたりと中止する。金にならぬものに足掻くのは、時間の無駄だからやめろと妻は言うのだ。

 これは某詩雑誌投稿用のもの。昨年から今年にかけてのわが野望は、某詩雑誌で年間の投稿詩人の中から数人選出される新人として二月号で紹介されることであった。さらに今回からは、その中から最優秀新人賞が一人に授与されて十万円くれるというのである。

 実を言うと当初は、連続殺人犯永山則夫などのユニーク(?)な受賞者を出している「新日本文学賞」という公募の新人賞に詩で応募する予定であった。ジャンルは小悦・詩・短歌・俳句・評論のうち何でもかまわぬというし、この雑誌が自分の書く詩にフィットするのではないかと分析したからである。金には一生無縁であろうが、よし、自分は平成のプロレタリア詩人になってやるわい、と決めて、応募締切日が近づいた或る日、どの詩で勝負すべきかの自選の段階に入っていたところへ、『新日本文学』の廃刊決定の報を妻がもたらした。そうか、昭和21年創刊、かつては開高健のデビュー作を掲載したりなどして輝きを放っていた時期もあった『新日本文学』、すでに役割を終えていたとはいえ、この猫叉木鯖夫の傑作を載せずして終刊を迎えるとはな、惜しい、実に惜しいことよのお、としばし嘆じていると妻が言った。「よかったよね。切手代無駄にしなくて」。

 計画の変更を余儀なくされ、某詩雑誌へ照準を定め投稿を始めたところ、二回目で入選、掲載となり、ほっ!俺もそう捨てたもんじゃないんでないの、と微かな自己満足を得たのであるが、その後は予選は通過すれども佳作の欄に名前が載るばかりで、活字になる機会は来なかった。で、今年の二月号。当然、最優秀新人はもちろん新人にも自分は選ばれなかった。最優秀新人は選考委員から見て、甲乙つけがたい、いづれも19歳の青年二人に与えられた。その二人の新進詩人のそれぞれのペンネームが、クロラといま一人はチョリである。苗字なしのクロラとチョリ。芥川賞候補の山崎ナオコーラっていうのも、えっ?であるが、詩人の名前も変わったもんである。チョリ君の方のHPを覗いてみたが、朗読においてはギンズバーグの再来(!)と称されているそうで、イエーイ、俺たちゃ若いぜ、バリバリだぜ!というノリのものであった。20年後、生活のホコリをかぶったチョリ君はどんな詩を書いていることだろうか。その頃、自分は生きているかどうかもわからぬが。
 それはともかく。そうだ、昨年は選考委員が悪かった、うん、彼らには俺の詩が分かる筈がなかったのだ、ははは、と自らを建て直し、気持ちの安定をはかり、本年もむなしく投稿詩人を続けているのである。ちなみに韻文での筆名は猫叉木鯖夫。冗談に妻が考えついたもの。もう一つ須賀馬子という候補もあったが、これは採用しなかったのである。