須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

水曜 交換会、崩壊、そうかい

 午前7時目覚め。7時半起床。うどん、ナットウ、冷水、牛乳、カフェオレ。8時35分出。

 南平岸駅プラットホームでは澄川よりに立った。一刻も早くセリ場に到着して事業部員の務めを果たすべく、大通駅着の際、改札口へ昇る階段に一番近い最後尾の車両に乗った。席を詰めてもらい、礼をして座る。腰を移した女性から何故か冷淡な視線を感じる。立っている人がおらず、いつもより空いているなあと思う。それに気のせいか女性が多いかな、とも。向いのシルバーシートでは和装のお婆さんが二人話している。平岸でまた女性ばかりが数人乗って来た。自分の左前に一人、斜め右にマスクした女性が立つ。クシュン、とマスク女性。そちらを見上げると非難するような視線が返ってきた。幌平橋を過ぎて車内放送。「毎度地下鉄のご利用ありがとうございます。午前6時から9時までは最後尾の車両、女性専用車両とさせていただいておりますので、ご協力よろしくお願いします」。そ、そ、そうだったのか。どうりで。一斉に射すような刺々しい視線が自分に集まって来たように感じ、頬が火照り、頭を垂れる。中島公園駅で一端ホームに出、ひとつ前の車両に乗り換える。やれやれ。なるほど、こちらは男性客も多く、いつものように立ち乗りの客もたくさんいて、ほどほどに混んでいる。ふとアイディア浮かぶ。来月のセリの時は間違って最後尾に乗ってもいいように、あらかじめスカートその他、妻の衣装を借りて着用し、カツラもつけ、化粧もして出かけるというのが賢明ではないだろうか。しかしである。男であると発覚の折には、また、たとえ首尾よく大通駅まで乗車するのに成功したにしても、女装姿のまま頓宮神社のセリ場に足を踏み入れたなら、いずれにしろ、ぴーぽー、ぴーぽー、110番か119番されるのがオチではないだろうか。セリ番においては、前々からちょっとオカシイとは思っていたんですよね、あの人、などというコメント付けられて。

 午前9時10分過ぎ、頓宮神社着。大西夫妻から先日は失礼しましたと頭下げられ、あらためて好感持つ。先月分金券2520円払う。亜本屋さんに新事務所の具合訊く。「寒い」とただ一言、簡潔かつ明快なお答え。萌黄さんからグラシン紙分けて貰う。半紙50枚。「組合費はどうします?」と会計理事から訊かれ、「来月払えるよう努力しま〜す」とスルーする。萌黄さんからセリの後にジュンク堂いい匂いツアーに誘われるが今日は遠慮する。代わりに薫風佐々木氏が同行した模様。弘南堂庄一氏はいつにも増して活力に溢れていた。その笑顔はカタログの好成績を示しているのであった。じゃんくまうす太田氏の顔見えず。睡眠中か風邪だろうか。

 荷物少なし。もしも弘南堂、南陽堂の出品なかりせば、どうなっていたことか。果たして10年後に組合のセリは存続しているだろうか。戦前刊のロレンス『恋の紋章』ほかの翻訳書と戦前の旅行案内書や温泉案内書など触る。何も入札せず何も買わず。開札係をやる。通常より20分早く11時20分改札終了。配送係の任務遂行。荷が少ないので実にラク。正午過ぎ後片付け終了。B堂恊治君が地下鉄利用なので、今日は吉成君のクルマに同乗し正午半帰宅。

 12時現在、曇り、−3・1℃(最低−8・2、最高−2・1)、湿度42%。2時、トースト2、カフェオレ、紅茶、冷水。4時〜6時仮眠。梱包2。受注『遠藤周作の世界 追悼保存版』。元はっぴいえんど鈴木茂大麻所持で逮捕の報。

 8時50分〜10時10分入浴。千葉在住の友人内田から電話。奥方の実家の用で来札中の由。一昨年、種畑さんに御馳走になったあの奇麗な女性がやってるお店の在処教えてくれと云うので、それは南4西5第四藤井ビルの<芽>だよ、と答える。マグロ刺身、鶏てんぷら、蒸しモヤシ胡麻ドレ和え、カキともめんとうふ汁、米飯、玄米茶。断酒。日記。

 零時を過ぎて、妻の座っている真後ろ上部の山頂から本がぱたぱた十数冊も落ちて来た。続いてトイレで用を足してからレバーを捻ったところが、水が轟音と共に瀧のように流れ続けて止まらなくなる。長年の金属疲労のせいかトイレタンク内の浮き袋についてる棒が折れてしまったのである。慌てて居間で探したドライバー片手に戻り、栓を締めて水を止める。「これ以上家の中のものを壊さないで。あたしが破壊の神だと云うけどあなたこそ破壊の神よ、でもシバ神は周りの物はすべて壊し続けて止まないけど自分は壊さないのよ、自分壊してどうする」と嘆きの声。憂鬱な気分から逃れるべく横になって書見などしていると妻が椅子がオカシイと知らせに来た。見に行ってみると、居間兼食堂兼仕事場の机前に設置してあるパイプ椅子が、これも金属疲労のせいか崩壊して使い物にならず、座ること能わず状態。不吉。「神社で何かやって来たんじゃないの?なんかカミサマの怒りをかうようなことを。思い当たることない?」と問いつめられる。祟りか。妻が拍手打って合掌し頭を下げるので、溺れる者はナントやら、思わず自分も掌を合わせ頭を下げてみる。うーむ。たしかにあそこでお祈りした最後は十数年前である。信仰心薄き自分であるが今度からは神社での礼拝を忘れないようにしようと思う。イヤ何でもいい、八百万のカミ、誰でも何処でもいいから遭遇した時はできる限り(新興宗教除いて)礼拝しておこう。人はこうして神秘思想に入りやがてはさらにおかしなことになってゆくのかもしれない。が、とにかく今は縋れるものには縋ろう。これまでとは違うことをやってみよう。保身からとは云え俄に沸き起こった殊勝なこの気持、持続力なき身には果たして何時まで続くか甚だ疑問であるし、それに我が家におわす貧乏神様が強力過ぎてご加護はあまり期待できないだろうけど。

 午前3時半就寝。