須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

火曜 色紙の話

 午後4時起床。紅茶。筆写。5時前、区民センター図書室へ。4冊返却、3冊借用。地下鉄駅方面に周り、<Maxvalu>で、木綿とうふ、牛乳2、モヤシ2、ナットウ2P、ジャガ薯北あかり1袋、ネギ1、マルチャン玉うどん、セサミブレッド、計1034円調達。6時15分前帰宅。

 18時現在、晴、12・1℃、(最低7・4、最高15・6)、湿度38%。8時、うどん、ナットウ、冷水、トースト2、エクレア1、カフェオレにて第一食。

 札幌豊平区在住暴力団組員29歳が弟などに指示して振り込め詐欺で2億円をだまし取らせ、自らは8千万を得ていた由。巨人3−3横浜で引き分け。熾烈な最下位争い。梱包1。入力少。2時、レトルトカレーで第二食の後、湯とうふ、モヤシのメカブ和え、ウィスキー水割り3。

 小川国夫本日午後1時半頃死去。肺炎をこじらせたらしい。80歳。75年前後、自分の高校から大学にかけての頃、「女性手帳」であったか、そんなタイトルの番組がNHKでウィークデイの午後の2時か3時あたりに放映されていた。それに、時々文士の特集があって、司会のアナウンサーの男女二人相手に「わが文学を語る」みたいな話を作家が30分〜1時間ほどするのを観た覚えがある。大岡昇平丹羽文雄遠藤周作(これは不確か)、金子兜太(これはずっと後の時代の別な番組であったかもしれない)などが出てきたが、そこに小川国夫さんも出演したのをこれはハッキリと記憶している。当時はまだ四十代で、画面で見ても顔の占める割合が大きい人なのであるが、いい男っぷりであったことは間違いない。

 また76、7年ぐらいのこと、友人Kが早大で催された小川さんと秋山駿さんの講演を聴きに行き、最前列に陣取ったが寝不足のためかアクビ連発、終了後、スガから預かっていた本を差し出し、頼まれていたサインをお願いすると、「いやあ、退屈させちゃったねえ」と苦笑しながらも気軽に応じてくれたという。識語入りの署名をしてもらったその本はたしか『流域』。署名は多い人であるが、あの本は持っていればよかったと今は惜しい気がする。

 それから、82年か3年あたりに札幌に来られたことがある。この折、他に札幌在住の作家さんや、北大の先生、編集者(?)なども乗せて、自分(スガ)が当時勤めていたH書店店主がクルマであちこちを案内、夜は酒とカラオケなどにも興じた模様で(カラオケ好きとして知られる在住作家は大いに得意のナンバーを披露したようであるが小川さんの方は分からない)、これが二日半だか三日だか続いたのではなかったか。その間自分はずっと店番をしていたので小川さんとはとうとう逢えず仕舞い。その折に小川さんに書いてもらった色紙、これはH書店に長らく飾られていたのだけれど、その後いろいろな物語があってしんしんと時間が流れ色紙も流転したのであるが、何を隠そう現在は薫風書林の店内に架けられているあの色紙がこれなのである(いまだに手放していなければの話だが)。

 書見。午前10時就寝。