須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

火曜 遺書として

2時半起床。12時現在、雪、0・1℃(0・2℃)、湿度50%。うどん、冷水、紅茶にて第一食。15時現在、晴、−1℃、湿度45%。
 4時5分前に郵便局。冊子2ヶ出し、金3780円おろして<セブンイレブン>へ。ATMでJNBに9千円入金、『週刊新潮』立読み。<Maxvalu>で牛乳2、ナットウ2、うどん2、ジャガ薯キタアカリ1、計819円調達、5時帰宅。妻の怒りが炸裂。

 実は外出前に、数日前の日記のある部分の、<遺品のつもりで>という言い回しの<遺品>を<遺書>に直そうと思いつき、忘れないように<遺書のつもりで>と手近にあった「日本の古本屋」から来た封筒の表に鉛筆でメモしておいたのだ。普段の睡眠サイクルから見て、自分の戻ってくるまでに妻が起き出してはこまいとタカを括っていたのがよくなかった。「日本の古本屋」の利用代金が払えないのに加えて、昨夜の4500円返金の件に追い打ちをかけられ、絶望した自分が世を儚んで近くの霊園の樹木で頸を吊るか、豊平川に身を投げに出かけたのでは、と思いこんだらしい。死ぬんなら保険入って1年後に死ね!と浴びせられる。勝手に誤解するんじゃないよ。自分だってまだ死ぬつもりはない。肉と◯体への復讐を未だ十分に成し遂げていないというのに死ねようか。「年の暮、一人の古本屋が死んだ」ってのはミステリーの書き出しとしてはどうよと妻が奨めるが、どうよ、と云われても、どうしろ、と云うのか。

 続いて妻が東京の放送局へ電話。5日に発送した雑誌分の送金予定日を訊く。数分を要してようやく担当者に繋がり、答は来月末の由。受注時には、即払われる、ということだったので、そうか、テレビ局は即なのか、なにしろスピード第一の業界やからな、素晴らしい世界だなあ、大学とかとは違うな、と喜んでいたのであるが、な〜んだ、これなら公共機関となんら変わらないじゃない。いたましいぜ、東京までの通話料金が。

 受注2、ベルナノス『田舎司祭の日記』、C・S・ルーイス『愛とアレゴリー -ヨーロッパ中世文学の伝統』。梱包2。JNBにて「日本の古本屋」へ11、12月分1万6千円振込み。トースト2、ミニ餡パン1、紅茶にて第二食。

 「ドキュメント“考える”/石田衣良」を観る。随所にナルシーぶりが。考える、選ぶ、聴く、書くシーンだけが映され、気分転換に飲んだり食べたりなど少しでも見栄えが悪くなりそうなシーンはなし。そのためもあってか、頻繁にあるというインタビュー時に写真撮影されるのを想定して設計したと思しきホワイト・ルームの仕事場がエラく無機質、人工的で、舞台のセットみたいに見える。48時間以内で作られた童話は過去の様々な作品のコラージュであり飛び抜けてどうのというモノではなかったが、連載シメキリ2本(?)、インタビュー2本(?)、テレビ番組収録をこなしながら、依頼から丸二日間で書き上げてみせたのはさすが流行作家。入力。入浴。メザシ、ワカメみそ汁、米飯、ほうじ茶にて第三食。断酒。書見。6時半就寝。