須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

土曜 ススキノ・ラウンド・ミッドナイト

 7時半目覚め。9時二度寝。12時目覚め。三度寝。2時半起床。15時現在、晴、26・6℃、湿度57%、最高気温28℃。シャワー。トースト2、ミニあんパン1、バナナ1、牛乳、紅茶。
 5時半外出。地下鉄でススキノへ。週に二度もススキノに来るのはいつ以来か、覚えていないくらい昔のことだ。6時10分前、<東急イン>ロビー着。T畑さんに無事お会いし、ほどなく小笠原君も駆けつける。半袖のジャージのような上着に、頸にタオル巻いて、さっぱりした様子の小笠原君は散髪をして来たところだと自己解説したが、自分には今、何処ぞの風呂に入って来たようにしか見えないのだった。

 地下の<まんまる>という鰻屋に入り(と云うか、入らせていただき)ビールで乾杯。うざく、う巻き、白焼きを、「ああ、この後一生食うことないだろうな」「そうですね。今世紀中は無理でしょうね」などという会話を小笠原君と交わしながら食し、国稀、八海山、南部美人浦霞一ノ蔵、などの酒を途中からは味も分からぬままに、こんなに飲んでいいのかな、と頭の隅でちらと思いながら、でもすぐに忘れて、またすいすいと飲む。文楽志ん生に間に合ったと云うT畑さんに小笠原君が、いや、「明烏」は志ん朝がいい、と反駁するのに、いや、やっぱり文楽だ、とT畑さんと二人でやり合っているのを横目にまた、自分はすいすい。「三平さんは生が面白かったよ」と云われるので、へえ〜、とこれは意外。若年の頃、テレビで見ても、「奥さ〜ん」とか客席に向かって招き猫みたいに手を振るばかりで、何処がいいのか理解できなかった自分は現在も、何が昭和の爆笑王だ、と馬鹿にしていたのだが、T畑さんの印象ならやはり何かがあった人なのだろうと思ったことだ。たしか福永武彦石川淳訪問時に鰻を御馳走になって感激したらしいというどうでもいい話を自分が持ち出すと、それがどうでもよくなくなり、石川淳への思わぬキビシイ評価がT畑さんから下され、かなりの部分当たっているので返す言葉がないのであった。

 生ジャズの店へ向かう前に時間つぶしをして行くから、と連れられて入ったビルの何階かの「芽」というちょっと変わった店で、焼酎を飲む。ここは明るく清潔な和風ビストロというか酒房という赴きで、食べ物もいろいろある所のようなのだが、すでに相当に酩酊状態のため、食べないでもっぱら飲む。何が変わっているのかというと、どうして淫靡な照明のスナックとかを経営しなかったのだろう、さすればしこたま儲ることだろうに、と思わず自分がにわか経営コンサルタントになったほどに若い店主が奇麗な女人であったことだ。自分は現在妻帯しているので今は結婚できないが、来世ではお願いしたい、と嫣然と赤ワインのグラスを手にする女主に名乗りをあげておいた。今度はミミズあたりに生まれて来る心配が大いにある男なのだが、せめて「おスガ」とか呼んでもらい、おそばの花畑とかにおいて貰おう。

 この2軒目を出るとすでに10時半を廻っており、もうジャズ生演奏の店には間に合わない由なので、古本屋<北海堂>さんの斜め向かいあたりの中通りにあるビルの何階かのスナック<yu's>になだれ込み、ウィスキーをかぽかぽ飲みながら、店の女性三人に奨められるままに歌いまくる。途中、小笠原君の元同僚の柴山君と金子君(http://ch.kitaguni.tv/u/12133/)が、「魂の歌が聴けるから来い」と携帯電話で呼び出されて現れたのは気の毒であったが、柴山君が一曲歌ったのみで、二人はいかにも場違いなところに来たという 侮蔑の視線を残して風のように去って行ったのであった。でも、たまにはバカになる時間があってもいいのだ、金子君。この自分のようにいつも阿呆であってはマズいがねえ。現代最先端(?)のカラオケというのは選曲ノートブックをぱらぱらやって選ぶのではなく、モバイルパソコンみたいな機械を操作して、どんどんチョイスしてゆくのを知る。で、他の客がほとんどいないのをよいことに、「逢わずに愛して」「あなたのブルース」「港町ブルース」「たどり着いたらいつも雨降り 」から始まって、「廃墟の鳩」を飛ばし、「マサチューセッツ」に遊び、最後は例によってフリー、CCRストーンズビートルズなどを絶叫し、小笠原君と二人、かれこれ50曲ぐらいはやったのだった。大げさなアクションをいれて、踊りまくり、走り廻っていたのだった。その間、個人的に深刻なことも、世界的に重大なことも、すべて頭から飛んでいるのだった。小笠原君の一人「ボヘミアン・ラプソディー」は傑作、なかなかの芸になっていた。店の一番若い、可愛らしい女の子が、自分が歌い始めてから帰るまで、終始、腹を抱えて、身を捩るようにして笑い転げていた。文字通り、箸が転がっても可笑しい年頃がまだ続いているのかもしれないが、あれはいったい何だったのだろうか。そしてずっとT畑さんは微笑しながら、我々がなすがままにされ、一軒目から三軒目まで全部面倒を見て下さったのであった。小笠原君は、自転車で帰ります、と云い残し、人波に消えて行った(http://ch.kitaguni.tv/u/10387/%BF%B7%A1%A6%BE%AE%B3%DE%B8%B6%C6%FC%B5%AD/0000382801.html)。
 2時半、T畑さんにタクシーで送られ帰宅。今回は前回と違い、意識もハッキリしているのが自分でも嬉しい。シャワー。5時就寝。