須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

日々を慰安が吹き荒れる

 午後2時起床。15時現在、晴、4・1℃、西2m/s、湿度63%。

 ふかしイモのかけらニヶ、冷水。

 薫風書林からメール、夜6時45分、大通<リーブルなにわ>で待ち合せとのこと。他のお客さんや友人などから通常自分に来る酒の誘いというもの、一次会の飲み代だけ、あるいは帰りのタクシー代だけを用意して来なさい、さらには体一つで嫁に、ではなくて、飲みに来ないか、というパターンがほとんどなのだが、この飲み会は端た金とはいえ銭を捻り出して持参しなければならないので、昨今のような(って年柄年中なのであるが)経済状態の時には甚だ辛いものがあるのである。しかし、すべて自分のビンボウが悪いのであるし、以前は現代詩関係をたくさん買ってもらい続けたお客さんだけに、ごめんちゃい、と断る訳にもいかぬのだ。

 3時半外出。郵便局で振替口座から1790円、<ぱ・る・る>4330円おろし、冊子二ヶ出す。農協で9月分家賃後半3万振込、<Maxvalu>で牛乳168円、厠ロール348円を調達、4時半一旦帰宅。

 うどん、ナットー、トースト二枚、りんご、いものかけら二ヶ、紅茶、冷水。受注一件、『ミステリマガジン』ガードナー特集。

 6時15分、再び外出。地下鉄で大通へ。6時40分<リーブルなにわ>着。雑誌コーナーで『詩学』12月号見る。今回、一次選考も通ってなかった。ぐぐっ。無念である。どうやら、あまりにフザケ過ぎていると摂られて、受入れられなかったようである。続いて『抒情文芸』冬季号。あった。二回続けての本欄ではなけれど、入選欄のトップに猫叉木鯖夫「家」が掲載されていた。かなりのスペースを割いての清水哲男さんの懇切な選評も戴き感激す。投稿直後からちょっと気になっていた部分が弱点として指摘されてあり、身に沁みる。勉強。現在のある種の風潮へ対してではないかと思われるが「詩は決して密室の中の遊びではありません」と述べられている。かっこいいなぁ。

 チェック済ませ、薫風と合流。さき程からこの男が店の前に立って、辺りを見回しているのには気づいていたのだが、時によってもの凄いエゴイストになる自分は放置して雑誌を見ていたのである。これがK堂さんあたりと待ち合せとなると、自分が入口前でお待ちしていたに違いないのであるが。すでに7時近いが◯◯さんの姿はない。地下一階に上がり、また二階に降りて捜すが見当たらない。「携帯がないと不便ですよねぇ」と薫風。向こうは所持しているが我々二人は持っていない。斯くしてビンボウ古本屋は尚のこと世の流れに遅れをとる羽目になるのである。薫風は店に戻って電話連絡に備える、自分はここで待機、という役割を決めて、別れようとした時に息を切らして某大学助教授◯◯さんが現れる。やはり、本店の<なにわ書房>と勘違いしていた由。

 本屋を出て、居酒屋などは経由せずそのまま直に狸小路のカラオケ屋さんへ。カウンターで3時間飲めや歌えやコース前金3750円を、賞与が出たばかりの筈の◯◯さんの提案により各人清算してもらうことになる。ああ、三千円予算で来た自分は、心で泣いた。そも、五千円札を嚢中に忍ばせて来たのがマズかった。一昨日には金がないと嘆いていた薫風はヘラヘラと率先して払っていた。どうしたのだ?金ができたのか、こやつは?宝くじで一発当てたのか?それとも狸小路の年末恒例福引きで現金つかみ取りが当り、一等の鐘を高らかに鳴らしたのか?親友だろ。今まで以上に昵懇なお付き合いをしょうじゃないの。いや、目は笑ってないぞ。ニコニコと笑顔を作りながらも奴の目は笑ってない。一夜の辛抱だと奴も心で泣いているのか、そしてヤケのやんパチ、虚無的な心理となってヘラヘラ笑いが仮面のように顔に固定したままになっているのか。

 二畳ほどの個室に案内され待たされること5分以上、ようやくやって来た泡の立たないビールで乾杯。世間話もせずにいきなりその直後から◯◯さんが歌い出す。まず布施明の「これが青春だ」。◯◯さんはマイクなしで堂々と歌う。マイクなしでも、マイクを通した自分のそれよりもその声は余程大きく響く。これでマイクを使われたら自分たちの鼓膜は破裂するやもしれぬ。その後は早稲田の「都の西北」、慶応の「若き血」、「闘魂込めて - 巨人軍応援歌」、「六甲おろし(正式名称阪神タイガースの歌」、「柔道一直線」を朗々と。自分も負けじと家を出る前にラジオで聴いた「東京ラプソディ」に「王将」、「ありがたや節」などをやるがその迫力と個性には到底かなわない。

 一時間ぐらいして中休み。◯◯さんの近況と今年の回顧総括、来年からの豊富と展開を聞く。現代詩にはすっかり興味を失ったこと、5年ぐらい季刊で出して来た個人雑誌は次号で終巻、今後はネットを主な活動の場とする、今年出る予定であった新興川柳作家論は出版社と喧嘩別れして違う出版社に企画が移り、編集者に「まっ、泰然としてかまえていて下さい」と言われて待機の状態であること、近々始めるおフランス文学の耽美エロチッック小説の翻訳のこと、東京のあるジャズ・バーのマスターが以前から道楽で作っているヴィデオ映画(?)に出演したが、初めての割には我ながらなかなかに目線の使い方など決まっていて好演であったこと、亡くなった奥様の、こちらも亡くなった義理の娘と交際があったという面識のない映画監督が訪ねて来て、またその際、元漫画雑誌『◎◎』の二代目編集長であったという男も付いて来て、この男にまた二十歳以上も年の違う女子大生の彼女がくっ付いて来て、計三人を自宅に泊めたことなどを、矢継ぎ早に話される。

 それから突然脈絡もなく、笑顔を浮かべて、「皇室の側室制復活についてはどう考えますか?」と切り出され、「将来、愛子さんにお婿さんが来るとは限らないし、せっかくここまで続い来たんだから、雅子様には我慢してもらってお妾さんを迎えたらいいと思うんですよね。大正天皇昭和天皇も皆そうやってですからね」と意見を開陳される。薮から棒の高説に自分たち二人はどう答えていいか判らず、はぁ〜、と拝聴するのみであった(帰宅後、妻にこの件を話たら「ご当人たちの気持にもなってみなさいよ。どんなにいやな気分になるか。どんなに傷つくことか。それに、それ相応の家柄の知性教養のある女性で、ただ世間の好奇の目に晒されるだけのそんな損な役回り引き受ける人がいると思ってるの?まったく男って奴は!」と叱られ、「いや、ボクの意見じゃないって。◯◯さんのだって」と訴えたのに、聞く耳もたぬ)。

 さて後半戦、「ハイサイおじさん」、二十歳のころの吉永小百合が好きだと解説しながら「いつでも夢を」の日本語版と中国語版、そして「明日があるさ」の坂本九版、吉本興行版、中国語版、その他よくもいろいろある版、それに「オー・シャンゼリゼー」を原語で、見事に。自分も、吉永小百合はどんな目に遭わされてるんだろう?と想像しながら、拓郎、岡林、モップスCCR、クイーンなど。薫風は例によって「たどり着いたらいつも雨ふり」で唱和したのみ、以前は賛美歌など歌ってくれたこともあったのに今回も一曲も歌わず、だが元は取るぞと云わんばかりに、ただし笑顔は絶やさず、アルコール類をがぶがぶ飲んでいた。◯◯さんと自分もウィスキー水割り、焼酎ロック、梅酒割りなどをかぽかぽ。「祭りのあと」の<日々を慰安が吹き荒れる〜>という歌詞、「すごい詞だな」と感嘆すると、かつて吉田拓郎に詳しかった薫風の解説によれば、「いや、この歌詞は誰だかのをパクったって拓郎が認めてるんですよ」だそうな。勉強。やがて「お時間ですが〜」と云いに来た店員に◯◯さん、「それはオカシイ。手続きした時点で7時12分、この部屋に入ったのが16分」ともう一度カウンターに確認させに行き、十分を粘り(正当な権利なのであるが)、10時16分カラオケ・タイム終了。

 あとはホテルへ帰るとおっしゃる◯◯さんを二人して送って行き、途中、酒に卑しい自分の提案で薫風と金を出し合って焼酎「サッポロソフト」のポケット壜295円(◯◯さんは学会での明日の発表を考えてか、もう飲まないとおしゃるので)をコンビニで買い、歩いて十数分のホテル着。薫風は湯のみ茶碗と、自分は歯磨き用コップで焼酎お湯割りを飲み、30分ほどお邪魔してお別れした。部屋に入ってからは◯◯さん、我々にお尻を向けてノートパソコンに向い、時折、机の上の鏡に映っている自分等の話に加わっていた。

 ススキノ駅まで歩きながら、帰りの地下鉄に揺られながら、HCB前の坂を互いの家に向かいながら、薫風から最近の業界話を聞く。某店の壮大な城のようなネット専用倉庫が完成したこと。某さんの講演会は話途中で立ち消えになったこと。K堂さんを囲んでお話を聞く会が近々あるかもしれないこと、など。

 12時前帰宅。ホッケの煮付けと飯鮨で一ノ蔵(山廃特別純米酒って何なの?)を一合飲む。交通費含め約4500円、散財を妻に皮肉られる。家で飲んでいれば良かったなぁ。1時半就寝。