須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

須賀ちゃんってば。

 午後3時半起床。3時現在、曇り、8・8℃、西の風4m/s、湿度42%、今日日中の最高気温9℃の由。稚内旭川などに初雪観測。うどん、ナット、トースト、カフェ・オ・レ、紅茶、冷水。メールチェック。

 A本屋さんに委託出品している分に<ラクテン>より注文あり。見てみるとモノは昨夜須雅屋に注文の入った「魔法入門」で注文者も同じ人であった。何を考えているのだろう。何冊でも同じ本を蒐集するタイプの人なんだろか。タイトルがタイトルだけにあり得る。

 妻目録に新冠(ニーカップ:北海道は日高地方にあります)に住むお客さんより3点葉書注文。現在32歳、9年ぐらいもおつき合い戴いている有り難い人。最近、少なくともウチでは、カタログでの若い購入者がめっきり減ってしまったので貴重ですよ、こういうお方は。この人の青春の日々の片隅に須雅屋のカタログがあったんだなぁ、とこちらの自己満足かつ感傷であるのを承知で思ってみる。

 今年2月に発行された『さっぽろの古本屋』第2号に出品していた『幻想文学』にも葉書注文あり。「特集:ロストワールド文学館」「特集:吸血鬼文学館」の2冊(妻本)。長崎県壱岐市の人で初めてのおつき合い。「随分遅れてのお尋ねで恐縮ではありますが・・・」と丁寧な文面で。いいえ、いくら遅れても有り難いんですよ、ご注文は。
 ジャパンネット銀行から某宅配便会社へ2568円振込。<楽天>へ手数料送る以外には使ったことはなかったが、いや、これは便利かつ経済的。駅界隈の札幌銀行へ行ったり、大通のみずほ銀行へ出かけたりしていた時間と手数料、あれは一体何だったんだ。ここでもまた自分は世の動きに遅れていたらしい。

  4時からNHK・FM。クィーン with ポール・ロジャースが来日中の由。いよいよロジャー・テイラーがビヤ樽のようになった姿を晒すらしい。

 6時から日本シリーズをラジオで聞く。今日は小林宏之×下柳。ロッテが1点先制したところで後ろ髪引かれながら外出。南平岸駅近くの<セブンイレブン>でJNBから8千円を引き出し、<西友>3Fの<ダイソー>でマッチとボールペンを購入、平岸駅界隈まで歩き、某所で1万5千円を払う。帰り、R平岸さんに寄り雑談1時間ほど。1冊本を貰う。<Maxvalu>で即席麺5ヶパック198円、トウフ68円、ナット4ヶパック68円(火曜は安売りの日なのである)他を買い、9時帰宅。

 ロッテ×阪神。ゲームは8回、福浦の満塁HRなどで10−1。てっきりアナウンサーが一昨日を振り返っての話をしているのかと思いきや、それはまごうかたなき今夜の試合経過なのであった。そのまま終了し、ロッテ3連勝。3試合連続の二桁得点はシリーズ初とか。阪神は3試合で2得点のみ。ああ。

 12時から生鮭のマヨネーズ焼、湯奴、白菜漬物、みそ汁、米飯で第二食。

 さあ、そろそろ日記を書こうかな、と気分をやおらそちらの方向へ持ってゆこうとしていたところ、妻が眺めていた雑誌を持って来た。1980年発行の『ふぁんろーど』創刊号。妻が指し示す頁を見てみると、浅草の問屋街に<須賀商店>という店、さらにその近くに<須賀神社>が存在しているのを発見。ほぉ。これはこれは。だが、神社の紹介、説明を読むと、お盆でもクリスマスでも正月でも、年がら年中一日も休むことなくラジオ体操が行われているとあるが、如何なる神や誰が祀られているかについては記されていなかった。ラジオ体操の神、ラジオ神でも祀られているというのか。それはそれで健康にはご利益のありそうな神社であるが。

 ラジオ体操が関の山よ、と一言残して、妻は寝室へ引っ込んだのであるが、自分は須賀神社をネットで検索してみた。確か、出雲地方にも、そういう名前の有名な所がある筈という朧げな記憶はあった。ぽん!とキイを叩いて、じゃーん!と現れ出たるその結果。ディスプレイに、あるわ、あるわ、あるわ、須賀神社が。もう、そこは須賀神社のオンパレード、パラダイス、ラビリンスのワンダーランド。なんと3万7千1百件がヒットした。試しに唐沢神社、岡崎神社で検索してみたところ、59件に643件。須賀は異常だ。何なんだ?、この須賀っていう奴は。
 と、さらに須賀神社の果てしなく立ち並ぶ須賀神社の鬱蒼たる森を歩いて行くと、分け入っても分け入っても須賀神社、日本各地に須賀神社のネットワークが広がっているのであって、これは神社界の一大勢力であるのが分かってきた。真田信幸の時代に開かれたという群馬の沼田、京都の左京区、茨城の結城、石岡、和歌山の新宮(ここは阿須賀神社)、佐賀の小城、香川の山本、神奈川小田原、逗子の小坪、横浜の泉区、宮城の石越(宮城県下だけで十社あるという)、秋田の羽後、千葉の野田、柏、埼玉の新座、栃木の宇都宮、河内、高知の須崎、福岡の甘木(昔ここの図書館に何回か本を買ってもらったなあ)と、毎度お晩です、ふるさとの歌祭りのようにあちらこちらに須賀神社が鎮座ましまし、東京にも、浅草の他に杉並、世田谷、それに四谷の総鎮守として知られる須賀神社が新宿区のその名も須賀町にあるらしい。

 その中で、島根県松江の付近、大東町須賀神社と、栃木県小山の須賀神社の二社は自分なんぞも知っていた。出雲の方は「『古事記』に須賀の宮、『出雲国風土記』に須賀社と記されています/その昔、斐伊川の上流で八岐大蛇を退治したスサノオの命が宮造りの為この地を訪れた際にとても”須賀須賀”しい気持ちになったと伝えられそれが須賀と言う地名になったと言われています/また、スサノオの命が須賀宮を造る際に雲の立ち上るのを見て「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」の歌を詠んだとされそのため須賀は和歌発祥の地とされています」(引用)だそうで、一方栃木の方は徳川家康関ヶ原の戦いの時に軍議を開き、参籠して戦勝を祈願した史跡としても知られている。八雲立つ出雲の方は、高校の古典の授業で習ったし、それに入沢康夫さんが物された長篇詩もぱらぱら覗いたことがある。また栃木の須賀さんの方は、司馬遼太郎の「関ヶ原」の中で、山内一豊が大出世へのジャンピング・ボードを掴んだ小山評定の開かれた場所として、書かれていたのを思い出した。

 なんという有り難くそして由緒正しき名前であることか。が、縁があるのはかねて久しき顔馴染みの貧乏神だけであって、この自分には良い風は全然吹いて来ない。出雲のみならずすべての須賀神社スサノオノミコトを御祭神としている模様。であるというのに何故、一向に須賀須賀しくなく、いつも女々しい自分であるのか。ま、須賀神社古事記以来の系統正しき社であるからといって、いつ乞食ならぬホームレスの身にならぬとも限らぬこの須賀が、何か高貴な血統正しき人間であるという訳では微塵もないのであって、それは須賀神社の責任ではない。恐らくこれは日頃から根本的に信心薄き自分の生活態度がよくないのかも知れぬとも思う。そうだ。自分はこれらの須賀神社を廻ってお祓いをしてもらおうかしら。そうすれば、人生少しは変る、この自分だってウダツが上がるかもしれぬ。グッド.アイディアではないか。.......が、その神社巡りの金はどうする?それに、これだけ数多の須賀神社があれば、須賀神社参りだけで残りの人生終わってしまうのではないか。

 などど思い巡らしているうちに、一つ疑問が湧いて来た。こんなに全国に須賀神社が点在しているのに北海道には存在していないようで、これは何故なのか?けれども、このままPCに向かっていると、須賀神社の八幡の薮知らずから幾日たっても戻って来れなさそうなので、途中で探索は中止。

 というわけで、須賀神社の引力というか霊力のお陰でとうとう日記が書けなかった。どうか明日からは何かご利益があるように。

  朝8時半就寝。断酒。