須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

秘かなる戦いは続く

  午後2時起床。15時現在、晴、17・3℃、西南西の風3m/s、湿度41%、日中最高気温19℃の由。

 メールチェック、ネット徘徊の後、3時、うどん、ナットー、トースト、冷水、カフェ・オ・レ、紅茶にて第一食。

 2階のお子さん、毎日のようにウルサイ。これまでの調査によると小学生以前のが二人と赤ん坊が一人いらっしゃる模様。隣にも赤ん坊。赤ん坊に挟まれた自分は木偶の坊。もっとも隣の赤ん坊、窓が開けられなくなった最近は泣き声も聞こえなくなり、いるかいないかいないかいるか、確とは分からず、何処へやられたものか定かでないのであるが。それはそうとして、現在、直に被害を受けているのは2階からであり、本日も1時ぐらいからずっーと休みなく走り廻っている音が天井を通して響いてくる。今日はことのほか大きく轟く。あれは二つ月ほど前、そう8月の10日あたりに、堪り兼ね、意を決して抗議に行き、玄関に応対に出て来た工藤静香似の若い美人ママから「わかりました」と答えを得た時はこれで一件落着かに思えたのであったが、.......甘かった、それはまだ、ほんのほんの序曲に過ぎなかったのである。5時前、えぃ、話しても分からぬ、とアメリカ式抗議の方法を試してみる。モップはないのでコロコロ・ローラーの柄の尖、グリップ部分の底で天井をドンドンドンと突いてみる。これを二度三度と繰り返してみたところ、二階は静かになった。ははは、少しは人の苦痛が分かったかい、と天井を睨みながら満足の番茶を啜っていると、15分ほどしてまたドスンバタンと頭上から音が降りはじめ、騒音が襲来し、さらにそれから1時間続いた。どうも推察するに2階のお子様、走りずくめで疲れたから、単にちょっと休憩とってただけらしいのだ。負けた。負けたよ。ガキのエネルギーには勝てん。おお、この苛立ちの日々はいつまで続く。若いお父さん、伏してお願い致しまする。早く豪邸買って、どうか引っ越して行って下さいませ!ウチは、おいそれとは移転できませんので。
 <楽天>へ2点のみUP。その<楽天>から注文もあり。バトラー「魔法入門」。妻の本。11時半から1時まで入浴。浴室でヒンズースクワット50回。12時前に妻が外出したきり入浴中帰宅せず。刺されたか、誘拐されて東南アジアへ売り飛ばされたか、と少々心配しながら、あれこれ妄想を逞しくしていたのであるが、ちょうど風呂から出たところに帰ってきたので、何をやっておったのか?と問うと、<TUTAYA>とコンビニで立読みのハシゴ、と答える。変った女だ、と改めて思う。

 ストーブを点けたり消したりしながら、ハマチの塩焼き、カスベの煮付け、焼鳥、メカブとワカメの酢のもの、イカの塩辛、醤油胡麻煎餅で酒三合。一合は燗で飲む。3時からNHK・FMで『思い出の歌謡曲』。青江三奈「空港待合室」、テレサ・テン「夜のフェリー・ボート」、クールファイブ「中之島ブルース」、美川憲一「釧路の夜」など。沁みるぜ。

 飲みながら、続けて、現在プータローの知人オガサワラ君がSタイムス記者であった時代に連載した、札幌のホームレス追跡(観察?)日記抄をブログで読む。この十年近く、いつかはああなるのではないかと、冗談半分、恐怖半分で、常に心の隅の隅で気になっていたホームレスにも自分は成りきれないが、ホームレスの人たちを冷静に取材して何かを書くなどということも到底無理だと分かる。まず、向こうが好意で出してくれる、恐らくはあまり清潔でないと思われるコップに注がれた焼酎を、神経質な自分は飲めないだろうと思ったのである。酒が飲めないからとか、いい加減な理由を云って逃れたにしても、何でも即座に顔に出る自分は、ホームレスの人たちの信頼を得ることが出来ず、話を聞き出すまでには至らないにちがいない。「05年10月22日現在、札幌市の調査で確認された路上生活者の人数は77人。把握できなかった顔ぶれも含むと推定約100人が路上で冬を越す見込みである。」由だ。自分としては、せめて調査される対称にならないように努力しようと思ったことである。
 7時近く就寝。