須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

9月市会そして酒宴

 午前5時40分目覚め、6時起床。晴。7時半過ぎまで日記を書く。食パン二枚、ミルクティー、冷水にて第一食。

 8時半、南平岸駅向いの<Maxvalu>でM黄書店さんのクルマに同乗、9時前、市会会場、頓宮神社着。昨日、M黄さんに頼んであったグラシン紙を分けてもらう。半紙30枚。240円。

 すでに事業部員の皆さん、それに本日は早朝理事会もあるというので理事さんたちも集合している。小樽の若者、感心にもまた早くから来て手伝っている。大市前の通常市会にて荷物少なく、また若手(といっても30代)の労働意欲を奪ってはいけないと、ぷらぷらしているうちに荷の陳列は終了。休憩場で、K堂Jr. 、I英堂さんと、お茶とコーヒー、2杯、3杯とがぶがぶ飲みながら話す。昨日『東京人』で見た神田K書店5階だかの高級サロン、I英堂さんは何度か神田の人たちに連れられて行ったことがある由。やはり、お金持ちの友達はお金持ち、何ごとの不思議なけれど。

 1点のみ、買おうかなぁ、と思う黒っぽい本の6本口があったが。欲しいのは野間宏「暗い繪」カバー付き初版、山中貞雄(だったと思うが)「人情紙風船」(昭和10年代)、「中家金太郎詩集 我が墓碑銘」(旭川の詩人)の3冊だけ。置き場所もあるが、何か昔のような入札意欲湧かず、見送る。市場でのこのような状態が今後もしばらく続きそうな予感。ま、野間宏売れないからな、と自分を慰撫するけれど、実はそう言い訳した時点で、なんとかの遠吠えなのだ。
 11時から第1回改札。自分は今回は第2回、第3回と落札値の発声。正午終了。先ほどの山を落とした若者、真面目かつよく働き、加うるに謙虚、と、なかなか可愛い奴なので、さして無い知識にも普段吝嗇な自分が、これこれはこういう値段と教えておく。もちろん「ボクの弟にならないかい?」などと誘いはせぬが。
 A本屋さん、今回も大山を落札。毎回、これでもか、と云わんばかりに大量に買い続けるので感心を通り越して唖然としていたのだけれど、これを来月の古本市搬入搬出で運ぶのはバイト要員の自分なのだなと気づくと、唖然を通り越して慄然として来た。そのA本屋さんの荷物を一階に降ろしてから、薫風書林と茶碗洗い。最近入ったばかりの新人は、一番遅く来場して後始末も手伝わないというのに、オイラたちは一体何なんだ。♪どぶね〜ずみ〜、と灰皿をゴシゴシ、タワシでしごきながら薫風が歌い出す。

 1時、売買なく、よって来月の支払いを気にかけることもなく、神社を後にする。ああ、よかった。と、また遠吠え。快適なお天気の中、テレビ塔(東京タワーと同じく、何回か怪獣来襲の度に破壊されておる筈なのだが、根性でまだ立っている)近くのビルにある<紀伊国屋>へ。1階の中、ブルーシートで覆われ、工事中。ガラス・ドアに貼紙してあり、過ぐることはるか彼方、1月末で閉店、札幌駅近辺に移転した由。地下街店は存続営業中とのことなので、階段降りてそちらへ向かう。

 途中、近くを通ると必ず立ち寄る<小鳥の広場>でセキセイインコを見学。大勢の仲間の中で、じっとこちらを見つめる一羽あり。自分が横へ移動すると、そのまま顔を動かし、こちらを見る。その黒くつぶらな瞳の可憐なこと。オヤジとインコの交流。ガラス越しの許されざる愛。すまないが、君を連れて行くことは出来ないのだよ。と、トリの意向も確かめず、勝手に内的独白。

 <紀伊国屋>に入り、雑誌コーナーをチェック。『詩学』9月号見つける。4冊も並んで。それで投稿欄見ると載ってるじゃないの。猫叉木鯖夫の詩(らしきもの)。タイトル「ある春の気球学入門」。先月号でも褒めてくれた「いとう」という方がまた評価してくれている。ありがたし。いま一人の選者さんからは、先回も今回も0点。「逃げている」と云われる。勉強になります。それにしても、「いとう」さんて、ただそれだけ、下はなし。最近、こういう名前の詩人けっこう多いの。クロラ、とか、チョリ、とか、どっかのバンドのメンバーみたいなペンネームの人たちが。

 それから先日閉まっていた狸小路富士メガネ>へ行き(地下街にも支店あった筈だが、本店の狸小路が最も技術的に優秀なので)眼鏡調整。1時50分帰宅。カーテンと窓を開け、インコを起こす。トースト、犬ビスケット、紅茶、牛乳、冷水、で第二食。梱包1ヶ。日記を書く。うどんを食う余裕なくなり、三たび、トーストを紅茶で流し込み、6時半外出。『札幌人』さんの飲み会へ。

 地下鉄西11丁目から徒歩で『札幌人』さんの事務所があるビルへ。コンサート会場としての存続が危ぶまれる(タツロウ・ヤマシタも心配の弁、ラジオで述べていた)厚生年金会館の前を通り、7時に少し遅れて到着。「参加費はいりません。手ぶらで結構です。家に酒類があまっている方はお持ちください。百円玉がポケットにありましたら、ポテトチップスでもお持ちください。」と先日もらったメールにあったので、お言葉に甘え、家にあったハチの形見の乾パンを「少し、賞味期限が過ぎてますが」と云いながら荒井さんに渡す。

 すでに小笠原君来て焼酎なんぞを飲んでいる。示された席に着くと、デスク囲んでいた若者二人がいきなり立ち上がり(それはあたかもリハーサルをしていたが如く同時であった)、名刺を差し出すので、自分もまた立って「古本屋ですが」と一言云ってお渡しする。写真家の後藤健太郎氏とイラストレターの石垣渡氏。実は、こういうこともあろうかと、自宅を出てくる前に以前(昨年11月上京前)東急ハンズで買ってあったブルーのカードに、店のハンコをペタペタ押して、名前は妻の手書きで入れた手製急造名刺を携帯していたのである。遅れて後から、画家の椎名次郎氏、荒井さんの友人でお医者さん、『札幌人』寄稿者の一人でもある田村修氏、<寿郎社>の柴山太一郎氏、記者というよりレスラーという風貌のSタイムスの金子勝利氏。柴山氏には、名刺の他に、こういうこともあろうかと予想して持ってきた拙作掲載『彷書月刊』を進呈する。

 ところで皆さん、手に手に、カンビール、焼き鳥、焼そば、餃子、おでん、などを持参。立派だ。やはり分別ある社会人たる者、こういう心がけが必要なのである。こういう気配りが明日の日本の社会をより良くして行くのである。いやあ、すみませんねぇ、と心で頭下げながら、そのつまみ類を喰らい、ビール、ワイン、日本酒を次々と飲む。その後10時ぐらいに女性4人も加わったが、今度ナントカの店だか、ホールだかをやるとか、開くとかで、現在準備中ということであったが、結局どういう人たちなのか、最後まで分からなかった。男たちからはみんな、かねて知り合いの小笠原君からさえも名刺を渡されたが、その20代から30代と聞くなかなか奇麗な女性たちからは一枚もコレクション出来ず残念。ただし談笑しながら、この中で自分だけが気づいている、確かなことが一つあって、それは、かなりの幅で他のメンバーよりも自分が年長であるという事実。ああ、若者よ、時を惜しめ。人生短いぞ。と、みんなを眺め、酒を飲みながら、内的独白。

 11時半、終了。解散。荒井さんが、日本酒は飲まないからと、<北の誉>の大吟醸酒「鰊御殿」四合瓶の余り(一合ちょい)を、それを見ていた小笠原君が甲類焼酎「ビッグマン」20度1・8リットルの余り(約三分の二)をくれる。いいんですか?と遠慮してみせながら、何でも飲む自分は喜んで受け取り、非常に気分を良くした。うんうん。こういう心配りが日本を明るい未来へと導いて行くのだよ。帰り、田村さんと西11丁目まで一緒。荒井さんと大学時代のバンド仲間であったそうで、音楽、特にロックには造詣が深く、感心する。

 12時過ぎ、大通最終便にて帰宅。シャワー。小笠原君からメール。「どうも。お疲れさまでした。飲み過ぎたので寝ます。おやすみなさい。小笠原 淳」律儀な男である。それともこれって、もしかして、自分への愛の告白なのだろうか。自分には妻がいるのを知ってる筈なのに。わからん。焼酎水割り一杯。3時近く就寝。