須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

反町さんの教え

 正午前に軽い揺れで目が覚め起床。すばらしい快晴。昨日までとはうって変わって、湿気少なく爽やか。それが本来の北海道の夏なり。12時現在気温24.1℃、湿度61%、北の風5m/S。今日は保冷剤も不要になりそう。

 アップル・ジュース、冷やし紅茶、冷水、トーストで第一食。

 隣の住人宅からは赤ん坊の泣き声が聞こえる。あの子供がどの程度に成長するまで、犬山夫婦はこの賃貸MSに居座るつもりであろうか。赤ちゃんのたけくらべと自分の我慢くらべの競争なり。いざ、勝負、勝負。

 2時、ラジオで聴くテレビのワイドショーにより、昼前11時46分の揺れは宮城県沖が震源地のM7.2の大きな地震であったことを知る。海岸線の市町村に大きな被害が出ている由だが、テレビが見られないと状況がもうひとつリアルに伝わって来ないのを認識す。かつて一度酒席を共にしたことのある仙台の古書店、ぼおぶら屋さんはご無事なりや。

 4時前、外出。微風ここちよし。平岸六条郵便局で昨日振替口座へ入金なった2390円をおろし、その金で冊子小包一ヶ出す。コンビニ<セイコーマート>まで足を伸ばし(5分ぐらいの距離なんですけど)、『週刊文春』立ち読み、牛乳1パックを買う。『文春』連載の著名人の日記「この人の一週間」、今回は新直木賞作家朱川湊人の受賞決定前後の日々。<赤坂プリンスホテル>で担当編集者たちと受賞の報を聞き、<東京會舘>に移動して記者会見の後、銀座<数寄屋橋>に行かされ、選考委員の「阿刀田高先生、北方謙三先生、津本陽先生、林真理子先生、渡辺淳一先生に」お礼の挨拶を述べたとあり、栄誉のための一生に一度のことと割り切ればなんでもできるだろうが、自由業である筈のこの稼業も大変なもんだな、と思う。

 帰り道、電線、あちらこちらの屋根に鴉が目につく。霊園のあるこの界隈、お盆とて鴉にはカキイレ時なのである。襲われないようにきょろきょろ、あたりの屋根や樹木を伺いながら歩く。起きた頃より次第に温度湿度共に高くなっているようで、けっこうな汗。

 4時半帰宅。M黄書店さん、『札幌人』のアライさんへ長文メール。6時からのニュース、自民党が<ライブドアー>堀江貴文衆院選出馬依頼の報。彼氏も乗り気とか。出馬当選の暁には、金持ち、強者にヤサシイ政治に拍車がかかることであろうよ。

 昨日、R平岸さんに戴いた本を入力する。ふだんなら「本の販売価格を決める時には仕入れ値を一旦忘れることです」とかいう亡き<弘文荘>反町茂雄氏の教え(もちろん直接薫陶を受けたわけではなく、あくまで著述や回りの方々の回想からの話である、為念)を遵守できぬまでも参考にして値段を付けておる。だって、100円で仕入れた本でも検討の末、価値があると思えば1万円で売り、1万円で仕入れた本でも調べた末、ダメだ、こりゃ、となれば捨ててしまえというのだから、前の方はともかく後の方を実行するのは凡人にはなかなか難しいのである。だが今回のように好意で寄付してくれた親しい同業古本屋さんが、手前どもの値付けをネットでご覧になる機会もあるかと想像すると、どうも高く付けづらいの、これが。いつになく遠慮がちな私になってしまう自分である。津村信夫の未刊小説集「秋晴れ」(昭和62年・潮流社)、こんな本が出ていたのも知らなんだ。これってけっこう珍しいんではなかろうか、と思える本に出会えるところ、しかもそれが何年やろうと減らないのが、古本屋生活の面白さの一つ。調べてみると八木書店があくまでも<八木値段>ではあろうが、けっこうな値段を付けておるではないか。

 二階真上の一家、お盆里帰りからご帰還されたらしくガキの走り回る音うるさし。以前と変わらず騒がし。田舎(?)へ帰ってリフレッシュしてきたらばあの美人ママさん、一階の苦情を奇麗サッパリ忘れたとみえる。ああ、やんぬるかな。先が思いやられることよのぉ。
  8時、珍しく一般の方々の夕食時のように鰻にて第二食。鰻は通常価格の三分の一に値下がりしたのを妻が琴似ダイエーで買うてきしものなり。その後ラジオでテレビを聴きながら入力続け、零時過ぎ楽天へ24点UPしてシャワー。

 風呂から上がるとNHKの「ラジオ深夜便」で聞き覚えのある声の爺さんがアナウンサー相手に盛んに喋っている。この声はあの、あの女優............宝塚出身の、ほら死んじゃった、そうそう乙羽信子の旦那の、なんだっけ、ん、そう、新藤兼人監督、とやっと名前が出てくる。この人を見ると必ず乙羽信子の名前が先に浮かんで、しかる後に本人の名前が浮かび上がってくるというのが自分の記憶回路が働くパターンになっておるようである。ヒロシマをリアルに再現した映像を作り、そのフィルムを世界中の隅々にまで送り届けてやるのだ、そうしなければ永遠に他国にはヒロシマが分からないから、と今なお意気盛ん。1912年生まれということは、ひえ〜っ。何食べてんだろう、一体。やっぱり毎日鰻かな。

 寝床読書少し。3時就寝。断酒。