須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

捨てる神あらば・・・

 エプロンきりりと締め、明日の市会の準備をする。

 ブツは中国関係。故宮とかの中国関係の展覧会カタログや、原書の現代中国画家全集など。画家たちの名前は聞いたこともないし、読み方もわからぬものばかり。

 あとは20年前ぐらいに出た集英社の「探検の世界史」という全集モノ。てっきり今日の今日まで全巻揃いと勝手に信じ込んでいたのであるが、改めて調べてみると1冊欠であることが判明。揃いで2万ぐらいかなとネットで検索してみると、あれれ、5、6千円で出品している店もあるじゃないの。取っておいてもしょうないや、とこれも加える。買手にしてみれば迷惑な取り合わせであろうが、自分としても、これらの本が入ったダンボール箱がいつまでも脱衣場に積み上げられているのは迷惑であり、風呂上がりの体を拭くのにも塩梅が悪いので、他人の迷惑は顧みずに中国さんたちと組まさせていただく。それにほら、タクラマカン砂漠とか、楼蘭とか、ロプノール湖とか、中国とまんざら関係がないわけじゃないしさ。これのみ別口にしても誰も見向きもしないのは目に見えているのだからして。

 最後に数年前にお客さんから送られて来たダンボール箱にあった漢詩作法叢書みたいな本も混ぜる。以前、底値(その市場での入札最低額)の2千円にはなるんではと、これのみ市場に出してみたが、止め札無しなのに一枚も札が入らず、ボー(売買不成立)となり、中国関係専門店の<桃苑書房>が買ってくれるんでは、と期待していた自分の目論見はもろくも崩れ去ったのである。実を言えば、今回のターゲットもずばり桃苑書房なのだ。

 この中国関係、ならびに「探検の世界史」の口は、ちょうどひと月前の1月の交換会があった日に、横浜在住の人から貰ったものである。昨年11月末のある日突然、まったく見ず知らずの人から電話あり、不要な本をお宅へ差し上げたいので送りたい、まづは近々、リストをファクシミリで流すから、と言う。その後、何の音沙汰もないので、まあ、そんなもんさ、と半ば忘れかけていた頃に送料元払いで大ぶりの引っ越し用ダンボールが3箱が送られてきた。捨てる神あれば拾う神あり、世の中には奇特な人もいるもんだ、ああ、人生諦めるにはまだ早い、もう少し生きてみよう、と自分は思った。

 書棚の並ぶ玄関への通路はあまりに狭く蟹の横歩きを強いられ、この体勢では蒲柳の質の自分にはダンボール箱があまりに重くて持ち運べず、しょうがないので家のドア前に空箱を出しておき、数冊ずつ運んでは置いて戻り、また運ぶという、じれったいったら、じれったーい作業を繰り返す。予定では30分の見込みであったが、2時間半かかって荷造り完了。満足少々、疲労になる時それは今、ってか。入り口前の本を除けて書庫に入り、昨日注文の来た雑誌を探している最中にチャイム鳴り、あわてて出てみると、非常口前にクルマを止めたイトウ通商(古書組合御用達集荷業者)のお兄さんががちょうど荷積みを終えたところ。手を振って挨拶、向こうも振り返して来る。クルマを出すのを見送って、再び書庫に潜入する。