須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

水曜 交換会のち出稼ぎ十七日目

 7時20分起床。うどん、ナットウ、冷水、食パン1、ミニあんパン2、牛乳、カフェオレ、紅茶。

 8時20分家を出、小走りで南平岸駅へ。地下鉄で大通。9時前、頓宮神社着。すでに新事業部員全員が来て作業中。新体制になっての第一回目の交換会。「21日は9時集合厳守」と一昨日メールが一来ていたので、ちと焦ったが遅刻せずほっとした。あのメールは部員全員に回したものだと思いたいが、最も遅刻の虞れのある須雅屋だけに送信されていたということもあり得るのだから。

 K堂若主人と薫風書林も早々と来て、ノリで(共同で)出品する、北海道の古本界では有名な在野の民衆史研究家というべきか社会運動史研究家◯田さんの蔵書をダンボールから出して整理している。ダンボールは書籍用の大きなものに40箱ぐらいか。二人が仕分けした本をビニール紐で縛って、2本口、3本口というふうに重ねて並べてゆく。『戦旗』の復刻とか、特高ナントカとかの揃いとかがある。これは◯田さんの集めていた本の何分の一かに過ぎないらしいが、さすがに目配りがきいていて、細かいものが実に丹念に集められており、自分のような専門外の者から見ても面白いものがある。これを全部買い切れば、すぐに特色ある古本販売カタログが作れるだろう。薫風書林のような薫陶を受けた立場ではない自分にも◯田さんの思い出があり、こういう風に最後、蔵書が処分されるのを見るのは、誰にでも必ず訪れる日とは云え、それなりの感慨がある。警察がいつ自宅に踏み込むかも分からぬという不安から、ちょっと危ない本には新聞紙を巻いて本棚に重ねて保管しているという伝説のあった蔵書家(何時の時代の話だ?)。極めてシャイな人で、自分のような若造と話す時さえ決してこちらの目を見ない人。紅茶を出すとシュガーステイックを二本、三本と使った人。と過去形で書くのは語弊があり、まだご存命であるが。

 今回の事業部では会場係を仰せつかったので、前担当者のセカンズさんに伴われて社務所に行き、7月と8月の会場を予約。会計係のH書店さんに領収書を渡すと、事業部慰労金から18640円が渡される。9日10日の東京旅行に行かなかった自分への現金での支給なり。航空券キャンセル料、前払いの5千円を差し引いたもの。やはり現金はいい。助かる。酒もいいけど。
 本日は交換会の後、北海道古書連合の会議が開かれるので帯広のS堂さんや旭川のK書店さんなど、他組合の方も6人ほど来場されて賑やかなり。通常市は息子さんに任せ、最近は大市と総会以外は来られなくなったK堂主人も、何十年に渡る付き合いの◯田さんの品とあって御大自ら出陣。おそらく◯田さんの荷の中には、K堂さん出身の本もたくさん含まれているに違いない。新事業部長の◯◯書房さんは社長の他に専務や店員6人が来て、総勢7人で入札しまくっている。その中に初めて来た青年がいて、その顔を見た瞬間から、何処かで見たぞ、と気になっていたが、やがて自分の人生で彼と関わった時と場所を思い出した。2001年2月から2003年5月までコンビニLの出荷倉庫でアルバイトをしていたのだが、その後期に7ヶ月ほど一緒だった若者だった。その時のことを自分は「ああ 狂おしの鳩ポッポ」という小説らしきものに書いたことがある。声をかけると向こうも覚えてくれており、「世間は狭いですね」と驚いていた。頭もよく、陽の当たらぬ倉庫の低賃金仕事をしているには勿体ない青年だと当時から思っていたので、「いいとこ入ってよかったね。あそこから見たら、ほんとラクだからさ、古本屋って、愉しいしね。本にちょっとでも興味あるなら尚更」と喜ぶ。
 新事業部長の出品、新理事長の出品、K堂の出品、と新体制、第一回目のセリとて荷が集まり、第一回開札はいつもより30分遅れ、11時半から。開札をちょっとやり、発声係でもあるので、第三回の最終まで、「炭坑の本 三本口一括 印ありの口 1万5千770円では◯×堂さん」などと声を枯らす。A本屋さん出品のAVとエロ雑誌の口も売れていた。めでたい。あれがまた戻ってくるのはたまらんと思っていたので。第一回の発声途中、旭川の<カムイ>さんが落とした口の時に、マイクをOFFにして、「♪古本屋がとお〜るケモノ〜道〜、ひ〜とり、ひ〜とり、カムイ〜、カムイ〜」などとフザケて小声で薫風と歌っていたら、箸が転がっても可笑しい時代は遥か遠く過ぎ去ったというのに、笑いの発作が収まらなくなり、涙と痙攣で発声がしばらく出来なくなって往生する。カムイさんご自身には可笑しい点など何もないのだが、何か笑い茸でも食うたように笑いの波が後から押し寄せて引いていかないのであった。K堂主人の粛然とした視線がこちらに向けられており、また自分の評価点が下がるに違いない、とは思うのだが発作が治まらぬ。

 第二回開札の台に戦前の詩歌雑誌が十数冊ずつ二口出ていた。本州(主に東京で)出されたものと道内刊のもの。久しぶりに胸がときめき、支払いの心配等いろいろの逡巡葛藤の末、1年半ぶりに三枚札(1万円以上)を書いて入札。表紙に小さく「瑛」と雅印が押してあり、これは6年ほど前に亡くなった札幌の女性詩人が所蔵していたものと知れた。左川ちかと中島葉那子(更科源蔵の最初の夫人)の研究者でもあった人。北園克衛を訪問したこともあったとご本人から聞いたことがある。その時に北園さんからもらった雑誌も(仮にそんなことがあったらの話だが)含まれているかもしれない。その時、詩人でお土産なんて持って来たのはアンタが初めてだ、と云われたそうな。お年を重ねられてもキレイな人であったが、お若いころはさぞかしという容貌の方であった。結果、道内の口は逃したが、もう一縛りの方は上札で落札。嬉しい気持と同時に早くも支払いの算段、それに逃した魚は素敵に思え、もう一点もやはり買うべきであったという後悔の念。それなりにすべて面白いものだったが、一点特に気になるものがあったのだ。全集未収録のものではないとは思うが、与謝野鉄幹・晶子夫婦の寄稿している詩歌雑誌があったのだ。あれは珍品かもしれぬ。いや、そうに違いない。この十年ほどの極貧と、二度三度とあった古書組合追放の危機が蘇り、どうも入札する段になると、支払日の前に脂汗を流しながら胃を押さえている自分の姿が脳裏に浮かんで来て、思い切った数字が書けない身体に成り果てている。絶対落札するという気合いが必要であったのに、すべては後の祭りなのである。

 12時半終了。後片付け。掃除機をかける。汗をかく。茶碗洗いは21ブックスの番頭さん夫人と薫風書林がやってくれるので助かる。◯田本が当初の予想よりいい値段になった薫風書林は機嫌がいいようだ。今回の売り立てはボランティアという話だが幾らかでも手間賃が出るといいな。2時解散する。

 神社を後にして、近所の某ビルの某金融機関へ寄って支払い。2430円。今回で完済。いつ見ても恐ろしく無表情の女性。もう見たくないし、金輪際来たくないものである。が、往々にしてそうは問屋が卸されなかったりするのだ。地下街に降り、<紀伊國屋>。『詩学』は一次予選止まりであったが、『抒情文芸』夏季号、猫叉木鯖夫「お子様よ!」が入選。阿川佐和子のインタビューを読み、『アイ・フィール』を眺める。次いで<リーブルなにわ>で『新潮』を立読みをして、狸小路名取川靴店>で2079円の靴を買い(今履いてるのは穴が空いたので)、地下鉄豊水すすきの線で月寒へ。A本屋さんへ向かうべく国道37号線脇の歩道を小雨の中、傘をさして歩いていると、ププッププッとクラクションの音が。見ると事業部長◯◯書房さんの白いセドリックが止っている(以前はベンツだった)。近寄ると、「どうもお疲れさん」と「あの雑誌よかったね」と云っているのは分かったが、周りの騒音ウルサく話の半分ぐらいしか聞き取れなかった。

 4時からA本屋。今日でこの店の移転のための整理片付けに参ったのも延べ十七日目。豆パンと持参の水。10分ほどダンボールに座ったまま仮眠して後、マンガのビニール袋取りと箱詰めの続き。7時半まで。A本屋さん来たり、3千円下さる。明日は雨がひどそうなので休みにしてもいいと許可が出る。帰り、雨足が繁くなりつつあるので、地下鉄で南平岸へ。<Maxvalu>で、食パン、牛乳、ソーダ、計356円。

 9時半帰宅。入浴。疲労をほぐす。受注1、田村泰次郎「大學の門」。「門シリーズ」と云うべきか。有名なのは「肉体の門」だが、いろんな門があるんだな。トリ肉とマイタケのカレーライスと蒸しもやし。ウィスキーのソーダ割1、水割り数杯。米牛肉輸入再開決定だそうな。AM4時就寝。