須雅屋の古本暗黒世界

札幌の古書須雅屋と申します。これは最底辺に淀んでいる或る古本屋が浮遊しつつ流されてゆくモノトーンな日々の記録でございます。

火曜 北12条往復

 午前三時半就寝。六時半から寝られず。八時起床。晴天。予報通り朝から酷暑。前に弘南堂庄一氏よりワードファイルで貰っていた「組合史」戦前戦後篇にざっと目を通す。食パン2枚、ピーナツクリーム、ベビーチーズ、カフェオレ、冷紅茶、冷水にて第一食。

 十時五十分出。地下鉄で北12条駅。十一時二十分、店前が道路工事中の弘南堂着。二階にてアイスコーヒーを戴きながら、一代目から須賀執筆担当「組合史」平成篇のチェック箇所の説明を受ける。二代目庄一氏はPCで入力作業中。正午半になり、「久しぶりにバスで通ったけれど、学生だった七十年代の面影がまったくなくなってるものねぇ」とかつて弘南堂の店員だった小樽の岩田さんが七月のラルズ催事の折に話していた、その北大前通りを二分ほど歩いて、近くの蕎麦屋〈そば切りさか田〉へ。昼食をご馳走になる。一代目は大せいろ、自分は山かけ蕎麦の大盛り。弘南堂も〈さか田〉もよく冷房が効いているので温かい蕎麦にしたが、これが美味い。先日亡くなったばかりの親しくされていた東京の慶文堂さんのこと(お盆に葬儀参列のために東京往復された由)、二代目のいない時に『ドストエフスキー全集』と共に持ち込まれた『志賀直哉全集』旧版のこと、東京の市場での『古事類苑』の凋落ぶり、庄一氏の思いきりのよさ、などのお話を聞く。弘南堂に戻って「組合史」打ち合わせ続き。庄一氏は倉庫へ。途中、電話を貰っていたという『小林秀雄全集』の持ち込みあり。2時半、「組合史」チェック作業終了。昔の興味深い写真をいろいろ見せて貰ったが、弘南堂がビル化して新装開店した頃に店員だったサッポロ堂石原さんの若いこと、本の運搬を手伝ったくれたという八文字屋上田さん(当時は稲野書店で見習い)の溌溂としていること。一階でホット・コーヒーを戴きながら、文学書の棚を拝見。翻訳文学の棚で一冊値段の付いていない本を発見。これは買うのではないのですが、と云って、マンディアルグをレジに差し出す。手元不如意でなければ欲しいものはもちろんあけれども、何も買わずに辞去。五十にして奮起を期待すると薫風さんに伝えておいて下さい、須賀さんもですよ、との言葉戴く。弘南堂横の通りを東に向かって歩き、四年前の夏に杉村悦郎さんとのご縁で本の整理をさせて貰い(鷲巣繁男ほかのかなり珍しい本があった)、今年の三月にも倉庫の本や版画を、これは好意で戴いていた豊島さん宅がその後どうなっているか見に行ってみる。取り壊すと聞いていたが、想像通りすでに建物はなく、舗装されて駐車場になっていた。弘南堂でも話題に上がった薫風書林を覗こうかとも思うが、もしも開いていないと空しいので地下鉄駅へ。

 南平岸Maxvalu〉にて、食料品ほか買い物。〈LAWSON〉にて」KDDI八月分四四三四円、ガス代七月分四〇七八円払い込み。五時半帰宅。シャワー。薫風書林に明日のセリについてメールで問い合わせる。予報では明日も三十度以上。本日の気温二十二・七℃〜三十二・九℃。十一時、「クロスオーバー・イレブン」を流しつつ、冷やし鶏背肉塩焼き、茶碗蒸し、ホッケ塩焼き、冷や奴、蒸しモヤシ、缶ビール1、ウィスキー水割り2。書見少。午前4時就寝。